・優勝記録
・大関・横綱勝ち星記録
・主要な力士の成績推移(11勝以上)PDF(※閲覧にはAdobe Readerが必要です。少々重いかもしれません。)
・年二場所制時代の主要な力士の成績推移PDF(※閲覧にはAdobe Readerが必要です。少々重いかもしれません。)
最終更新:2014年9月場所後
力士の「強さ」を測ることは非常に難しく、不可能なことではある。しかし、過去の力士たちの残した成績を比較して並べていくことは非常に心躍らされるものである。ここでは、星取り表に残る成績のみを参考に、角会の看板たる大関・横綱の成績の比較を行なうことを目的としている。
本頁では、基本的に大関・横綱時代の成績のみを扱う。また、年6場所制定着以降の力士を扱う。
指標
大関・横綱の勝ち星数・・・
角界の看板たる地位にて、どれほどの勝利数を稼いだかを比較している。長く角会の顔として君臨し、地位を保っている場合、高い数値を叩き出すことになる。なお、引き分け・預かり・無勝負はそれぞれ0.5勝と換算するものとする。
一場所当たりの勝ち星期待値・・・
大関横綱時代の勝率を15(一場所当たりの日数)で掛け合わせたもの。場所平均何勝する力があるかの期待値を示してある。現在では、三役において3場所で33勝が大関昇進の目安であるという記事を目にすることもある(例えば、11勝を3場所)。しかし、大関・横綱の在位中に、平均で10勝以上で終えることのできる力士は、例外なく「横綱」に昇進していることがよく分かる。いかに、大関昇進の壁が高いかをよく示している。ただし、勝率は在位期間中の平均勝率を示すものであるため、ある一定期間に極端に良い成績を収めている力士の場合や、成績にムラがある力士の場合は、世間の思っている印象よりも低めの値になることもある。また、現役力士のこの値は、成績が下降して勝率を下げていく前の値であることが多いため、最終的な値よりも高めになっている可能性もある。平均11勝もしていれば、「名横綱」クラスである。平均12勝を超える大力士は年六場所制になって以降、6人(現役を含む)しか登場していない、まさしく「大横綱」と呼ばれるに相応しい成績である。
勝点・・・
本頁における独自の指標である。「大関に昇進する成績が平均11勝を3場所続けることである」、「15日制での優勝成績の最低限ラインが11勝である」とのことから、11勝を「優勝にからむことのできる看板力士としての最低限の成績」という前提を置く。その上で、11勝=1点、12勝=2点、13勝=3点、14勝=4点、全勝=5点とする。力士ごとに、この得点の通算成績を計算する。この記録は横綱・大関時代以前のものもカウントする。10勝以下は全て0点とする。総計が50を越える力士は「名横綱」クラスであり、100を越える力士は一般的に「大横綱」の称号を得ている。優勝回数が伸びていないものの、立派な成績を収めている力士がいることもよく分かる。現役のこの成績はかなり低めに出ることに注意されたい。
大関・横綱 | 勝 | 負 | 休 | 勝率 | 11勝 | 12勝 | 13勝 | 14勝 | 全勝 | 優勝 | ポイント |
大内山 平吉 | 55 | 40 | 10 | 8.68 | 3 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 10 |
松登 晟郎 | 99 | 102 | 24 | 7.39 | 2 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 5 |
若乃花 勝治 | 371.5 | 98.5 | 55 | 11.86 | 11 | 8 | 6 | 4 | 1 | 10 | 66 |
朝汐 太郎 | 219 | 100 | 86 | 10.30 | 7 | 2 | 4 | 1 | 0 | 5 | 27 |
琴ヶ濱 貞雄 | 185 | 152 | 83 | 8.23 | 3 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 7 |
若羽黒 朋明 | 102 | 78 | 15 | 8.50 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 3 |
柏戸 剛 | 488 | 171 | 147 | 11.11 | 11 | 12 | 4 | 3 | 1 | 5 | 64 |
大鵬 幸喜 | 680 | 120 | 145 | 12.75 | 9 | 9 | 13 | 14 | 8 | 32 | 162 |
北葉山 英俊 | 250 | 179 | 21 | 8.74 | 6 | 2 | 1 | 0 | 0 | 1 | 13 |
佐田の山 晋松 | 364 | 130 | 46 | 11.05 | 6 | 9 | 8 | 2 | 0 | 6 | 56 |
栃ノ海 晃嘉 | 203 | 103 | 89 | 9.95 | 4 | 0 | 2 | 2 | 0 | 3 | 18 |
栃光 正之 | 188 | 131 | 11 | 8.84 | 6 | 3 | 2 | 0 | 0 | 1 | 18 |
豊山 勝夫 | 301 | 201 | 8 | 8.99 | 3 | 4 | 4 | 0 | 0 | 0 | 23 |
北の富士 勝昭 | 455 | 191 | 62 | 10.57 | 6 | 1 | 6 | 4 | 3 | 10 | 57 |
玉の海 正洋 | 336 | 114 | 0 | 11.20 | 2 | 6 | 6 | 4 | 1 | 6 | 53 |
琴桜 傑將 | 353 | 193 | 54 | 9.70 | 7 | 1 | 2 | 3 | 0 | 5 | 27 |
清國 勝雄 | 233 | 147 | 31 | 9.20 | 3 | 3 | 1 | 1 | 0 | 1 | 16 |
前の山 太郎 | 67 | 56 | 27 | 8.17 | 2 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 7 |
大麒麟 將能 | 189 | 132 | 43 | 8.83 | 6 | 4 | 0 | 0 | 0 | 1 | 14 |
輪島 大士 | 516 | 152 | 85 | 11.59 | 10 | 8 | 9 | 6 | 3 | 14 | 92 |
貴ノ花 利彰 | 422 | 278 | 42 | 9.04 | 3 | 3 | 2 | 0 | 0 | 2 | 15 |
大受 久晃 | 30 | 32 | 13 | 7.26 | 3 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 6 |
北の湖 敏満 | 706 | 165 | 115 | 12.16 | 6 | 10 | 15 | 8 | 7 | 24 | 138 |
魁傑 将晃 | 70 | 65 | 0 | 7.78 | 7 | 3 | 0 | 1 | 0 | 2 | 17 |
三重ノ海 剛司 | 235 | 146 | 42 | 9.25 | 9 | 0 | 2 | 2 | 1 | 3 | 28 |
旭國 斗雄 | 168 | 122 | 29 | 8.69 | 3 | 1 | 1 | 1 | 0 | 1 | 12 |
若乃花 幹士 | 352 | 114 | 65 | 11.33 | 12 | 6 | 4 | 3 | 1 | 4 | 53 |
増位山 大志郎 | 44 | 44 | 7 | 7.50 | 1 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 |
千代の富士 貢 | 663 | 119 | 144 | 12.72 | 7 | 9 | 10 | 15 | 7 | 31 | 150 |
琴風 豪規 | 212 | 110 | 8 | 9.88 | 7 | 4 | 0 | 1 | 0 | 2 | 19 |
隆の里 俊英 | 201 | 71 | 75 | 11.09 | 8 | 3 | 4 | 1 | 2 | 4 | 40 |
若嶋津 六夫 | 250 | 145 | 13 | 9.49 | 5 | 4 | 2 | 1 | 1 | 2 | 28 |
朝汐 太郎 | 294 | 203 | 33 | 8.87 | 4 | 2 | 2 | 1 | 0 | 1 | 18 |
北天佑 勝彦 | 378 | 245 | 29 | 9.10 | 4 | 4 | 1 | 1 | 0 | 2 | 19 |
大乃国 康 | 295 | 134 | 105 | 10.31 | 5 | 8 | 2 | 0 | 1 | 2 | 32 |
双羽黒 光司 | 120 | 47 | 13 | 10.78 | 1 | 5 | 1 | 1 | 0 | 0 | 18 |
北勝海 信芳 | 306 | 95 | 109 | 11.45 | 9 | 5 | 7 | 3 | 0 | 8 | 52 |
小錦 八十吉 | 345 | 197 | 43 | 9.54 | 3 | 9 | 4 | 2 | 0 | 3 | 41 |
旭富士 正也 | 265 | 90 | 24 | 11.20 | 7 | 6 | 3 | 5 | 0 | 4 | 48 |
霧島 一博 | 139 | 76 | 25 | 9.70 | 3 | 3 | 2 | 1 | 0 | 1 | 19 |
曙 太郎 | 468 | 131 | 185 | 11.72 | 6 | 8 | 13 | 4 | 0 | 11 | 77 |
貴乃花 光司 | 566 | 127 | 201 | 12.25 | 8 | 9 | 11 | 12 | 4 | 22 | 127 |
若乃花 勝 | 334 | 134 | 123 | 10.71 | 6 | 10 | 2 | 4 | 0 | 5 | 48 |
貴ノ浪 貞博 | 353 | 194 | 8 | 9.68 | 5 | 9 | 1 | 2 | 0 | 2 | 34 |
武蔵丸 光洋 | 569 | 194 | 120 | 11.19 | 9 | 16 | 10 | 2 | 1 | 12 | 84 |
千代大海 龍二 | 519 | 349 | 115 | 8.97 | 9 | 2 | 3 | 1 | 0 | 3 | 26 |
出島 武春 | 100 | 71 | 9 | 8.77 | 6 | 1 | 1 | 0 | 0 | 1 | 11 |
武双山 正士 | 168 | 136 | 60 | 8.29 | 3 | 3 | 2 | 0 | 0 | 1 | 15 |
雅山 哲士 | 57 | 58 | 5 | 7.43 | 4 | 3 | 0 | 1 | 0 | 0 | 14 |
魁皇 博之 | 524 | 328 | 119 | 9.23 | 10 | 7 | 4 | 1 | 0 | 5 | 40 |
栃東 大祐 | 201 | 112 | 104 | 9.63 | 3 | 5 | 2 | 1 | 0 | 3 | 23 |
朝青龍 明徳 | 500 | 100 | 76 | 12.50 | 6 | 3 | 13 | 9 | 5 | 25 | 112 |
琴欧洲 勝紀 | 378 | 264 | 63 | 8.83 | 2 | 1 | 2 | 1 | 0 | 1 | 14 |
白鵬 翔 | 651 | 84 | 15 | 13.29 | 4 | 9 | 13 | 16 | 10 | 31 | 175 |
琴光喜 啓司 | 141 | 104 | 10 | 8.63 | 4 | 4 | 5 | 0 | 0 | 1 | 27 |
日馬富士 公平 | 318 | 146 | 36 | 10.28 | 5 | 2 | 1 | 3 | 3 | 6 | 39 |
把瑠都 凱斗 | 133 | 69 | 23 | 9.88 | 6 | 3 | 0 | 2 | 0 | 1 | 20 |
琴奨菊 和弘 | 148 | 99 | 23 | 8.99 | 4 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 8 |
稀勢の里 寛 | 176 | 79 | 0 | 10.35 | 6 | 2 | 4 | 0 | 0 | 0 | 22 |
鶴竜 力三郎 | 150 | 75 | 0 | 10.00 | 6 | 1 | 1 | 2 | 0 | 1 | 19 |
豪栄道 豪太郎 | 8 | 7 | 0 | 8.00 | 5 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 13 |
大関横綱時代の場所毎勝ち星期待値ランキング。
08.50勝以下はやはり短命が多い。勝ち越しと負け越しを行ったり来たりしてた成績なのかもしれない。
08.50~10.00勝クラスは、長寿の名大関が多い。そこそこ任期が長くなるためには、それ相応の成績でなければ落ちてしまうからだろう。また、短命でも、それなりに優勝戦線に残っていた大関もここに入る。長く大関にいて、その後横綱に昇進したものの、短命で終わった力士もこのクラスだ。大関力士としては、最終的にこのくらい(09.00勝)の成績は欲しいところだろう。だが、平均で9勝(くんろく)というのも少し物足りない。
10.00~11.00勝はひとつの区切りだろう。最終成績で10.00勝以上あげていれば、(ほぼ)確実に横綱に昇進しているといえそうだ。ただし、全盛をやや過ぎた力士の成績は少し高めに出てしまうので、ご注意願いたい。あまりにもムラっ気があったり、途中廃業している場合も然り。11.00勝未満の場合は、横綱としてはやや物足りない成績かもしれない。このへんが、大関と横綱の境界として線引きできると思われる。果たして最強の大関なのか、最弱の横綱なのか・・・。
11.00~11.50勝。このクラスになると、横綱力士たる成績を皆がみな修めている、錚々たる顔ぶれである。少なくとも4回くらいの優勝経験がある力士が揃っている。横綱として安定した成績を修めている力士たちといえるだろう。優勝争いに非常に多くからんでいるはずだ。大関昇進の目安が平均11勝を3場所連続で修めること。これをずっと保てるならば横綱になれるというわけだ。そのこと自体が難しいのだろう。
11.50~12.00勝の力士たち。もう一時代を作ったといわれるような力士達ばかりだ。若乃花、輪島、曙。高所安定。何度優勝したろうか、みなみな10回以上である。長期横綱に就いていて、スタートダッシュしていた横綱や、横綱時代の成績が激しすぎる横綱たちだ。
12.00勝以上だと時代を彩る大横綱クラス。大鵬、北の湖、千代の富士、貴乃花、朝青龍、白鵬。
13.29勝 白鵬 翔
12.75勝 大鵬 幸喜
12.72勝 千代の富士 貢
12.50勝 朝青龍 明徳
12.25勝 貴乃花 光司
12.16勝 北の湖 敏満
11.86勝 若乃花 幹士(初代)
11.72勝 曙 太郎
11.59勝 輪島 大士
11.45勝 北勝海 信芳
11.33勝 若乃花 幹士(二代)
11.20勝 玉の海 正洋
11.20勝 旭富士 正也
11.19勝 武蔵丸 光洋
11.11勝 柏戸 剛
11.09勝 隆の里 俊英
11.05勝 佐田の山 晋松
10.78勝 双羽黒 光司
10.71勝 若乃花 勝
10.57勝 北の富士 勝昭
10.35勝 稀勢の里 寛
10.31勝 大乃国 康
10.30勝 朝潮 太郎(四代)
10.28勝 日馬富士 公平
10.00勝 鶴竜 力三郎
09.95勝 栃ノ海 晃嘉
09.88勝 琴風 豪規
09.88勝 把瑠都 凱斗
09.70勝 琴桜 傑將
09.70勝 霧島 一博
09.68勝 貴ノ浪 貞博
09.63勝 栃東 大祐
09.54勝 小錦 八十吉
09.49勝 若嶋津 六夫
09.25勝 三重ノ海 剛司
09.23勝 魁皇 博之
09.20勝 清國 勝雄
09.10勝 北天佑 勝彦
09.04勝 貴ノ花 利彰
08.99勝 琴奨菊 和弘
08.99勝 豊山 勝夫
08.97勝 千代大海 龍二
08.87勝 朝汐 太郎(五代)
08.84勝 栃光 正之
08.83勝 琴欧州 勝紀
08.83勝 大麒麟 將能
08.77勝 出島 武春
08.74勝 北葉山 英俊
08.69勝 旭國 斗雄
08.66勝 大内山 平吉
08.63勝 琴光喜 啓司
08.50勝 若羽黒 朋明
08.29勝 武双山 正士
08.23勝 琴ヶ濱 貞雄
08.17勝 前の山 太郎
08.00勝 豪栄道 豪太郎
07.78勝 魁傑 将晃
07.50勝 増位山 大志郎
07.43勝 雅山 哲士
07.39勝 松登 晟郎
07.26勝 大受 久晃
戦後の強豪力士たち(本計算方式による、3ポイント以上を獲得したもの)
私見であるが、力士の成績や、どれぐらいの期間でどのぐらいの強さを保ったかを表す指標として、それなりに説得力のある結果だと思っている。全階級の力士に適用できる数値だからだ。下位での大勝も換算される。優勝回数が少なくても、競った成績を修めていれば反映される。
010点未満の力士は、それなりの強さを示してはいるが、ほとんどの関脇もこのぐらいの成績を修める。一回くらいの優勝程度でもこのぐらいいくし、成績の安定しないそこそこの名関脇クラスといえそうだ。現行の制度だと、003点でも理屈の上では大関になれる。
010~014点は、大関力士も含まれるが、強豪関脇もこの成績を収めている。幾度か優勝争いに関わった成績と言えよう。
015~019点いってる力士は、もう大関力士たる成績といえそうだ。短命に終わった横綱がこのあたりの成績である。長命な大関が多く入る。関脇としては琴錦がランクイン。
020~029点の力士は、大関としても立派に優勝戦線に多数食い込んでいた力士たちだ。大関として2~3回は高いレベルでの優勝をしてそうな印象を受ける。大関クラスの成績を長きにわたって収めている力士たちだ。また、この評価基準としては最高レベルの関脇である時津山がここに入る。
030~039点は、横綱になれなかった印象の強い大関がいたりする。横綱でもこのぐらいだと平々凡々な成績だろうが、大関としては最強クラスだろう。大関力士では貴ノ浪がランクイン。横綱では大乃国が入る。
040~049点の力士は、もうかなり強烈な印象を残している力士たちた。最強の大関といってもいいレベル。大関として最高のポイントを獲得している小錦とそれに準ずる魁皇、横綱では隆の里、旭富士、若乃花(三代目)が入る。
050~059点になると安定した成績をおさめた強豪横綱達が顔を連ねる。佐田の山、北の富士、玉の海、若乃花(二代目)、北勝海ら。
060~099点になるともう、超強豪、名横綱連。若乃花(初代、柏戸、輪島、曙、武蔵丸。いずれも、優勝・準優勝10回以上の力士が名を連ねている。優勝を逃しても、準ずる成績が非常に多い。北の富士も優勝10回だが、ムラがあったのか、あまり伸びない。
100点オーバーはやはり大横綱。優勝30回の白鵬、32回の大鵬、31回の千代の富士、24回の北の湖、22回の貴乃花、25回の朝青龍。白鵬がどこまで記録を伸ばすか。
175 白鵬 翔
162 大鵬 幸喜
150 千代の富士 貢
138 北の湖 敏満
127 貴乃花 光司
112 朝青龍明徳
092 輪島 大士
084 武蔵丸 光洋
077 曙 太郎
071 栃錦 清隆
066 若乃花 幹士(初代)
064 柏戸 剛
057 北の富士 勝昭
056 佐田の山 晋松
053 玉の海 正洋;若乃花 幹士(二代)
052 北勝海 信芳
049
048 旭富士 正也;若乃花 勝
047
046
045
044
043
042
041 小錦 八十吉
040 隆の里 俊英;魁皇 博之
039 日馬富士 公平
038
037
036
035
034 鏡里 喜代治;貴ノ浪 貞博
033
032 大乃国 康
031
030
029
028 三重ノ海 剛司;若嶋津 六夫
027 朝潮 太郎(四代);琴桜 傑將;琴光喜 啓司
026 千代大海 龍二
025 吉葉山 潤之輔
024
023 豊山 勝夫;栃東 大祐
022 時津山 仁一;稀勢の里 寛
021
020 把瑠都 凱斗
019 琴風 豪規;北天佑 勝彦;霧島 一博;鶴竜 力三郎
018 栃光 正之;栃ノ海 晃嘉;朝汐 太郎(五代);双羽黒 光司
017 魁傑 将晃;琴錦 功宗
016 琴ヶ濱 貞雄;清國 勝雄
015 貴ノ花 利彰;武双山 正士
014 大麒麟 將能;雅山 哲士;琴欧州 勝紀
013 玉乃海 代太郎;北葉山 英俊;豪栄道 豪太郎
012 鶴ヶ峰 昭男;旭國 斗雄
011 若羽黒 朋明;貴闘力 忠茂;出島 武春;玉乃島 新
010 富士錦 章;大内山 平吉;玉乃島 新;大豪 久照;陸奥嵐 孝雄;豊ノ島 大樹;栃煌山 雄一郎
009 若秩父 高明;陸奥嵐 幸雄;安芸ノ島 勝巳
008 出羽錦 忠雄;北の洋 昇;大豪 久照;明武谷 力伸;海乃山 勇;麒麟児 和春;若の里 忍;琴奨菊 和弘;豊真将 紀行
007 琴ヶ濱 貞雄;安念山 治;房錦 勝比古;長谷川 勝敏;前の山 太郎;龍虎 勢明;水戸泉 政人;旭天鵬 勝;北勝力 英樹
006 岩風 角太郎;大受 久晃;高見山 大五郎;琴富士 孝也;朝赤龍 太郎
005 若ノ海 正照;松登 晟郎;若浪 順;藤ノ川 武雄;増位山 大志郎;金城 興福;土佐ノ海 敏生;旭鷲山 昇
004 羽島山 昌乃武;前田川 克;福の花 考一;鷲羽山 佳和;出羽の花 義貴;時津海 正博;安美錦 竜児;豪風 旭;豊響 隆太;栃ノ心 剛;臥牙丸 勝
003 若前田 英一郎;高鉄山 豊也;栃東 知頼;金剛 正裕;多賀竜 昇司;栃乃和歌 清隆;琴ノ若 晴將;小城錦 康年;隆乃若 勇紀;栃乃花 仁;阿覧 欧虎;高安 晃;逸ノ城 駿
先場所の更新力士 ()内はこれまでの総合ポイント
5ポイント、該当なし
4ポイント、白鵬(174)
3ポイント、逸ノ城(003)
2ポイント、該当なし
1ポイント、鶴竜(019)、栃煌山(011)
とりあえず、明治後期以降の大関陣の成績を見てみよう。当初は一場所9日制(最終日は役力士はとらなかった)。次第に一場所10日制、11日、13日、15日制へと移行していった。勝率×15(日)に換算する意味はここでは皆無だが、とりあえず、示してみよう。分け、預かり、無勝負はここでは0.5勝として扱うことにする。
大砲 万右衛門 48勝 7敗 38分預無 73休 10.81勝
梅ヶ谷 藤太郎 138勝 19敗 42分預無 100休 11.98勝
常陸山 谷右衛門 120勝 14敗 20分預無 106休 12.66勝
國見山 悦吉 53勝 12敗 18分預無 57休 11.20勝
荒岩 亀之助 30勝 5敗 4分預無 40休 11.54勝
駒ヶ嶽 國力 70勝 30敗 18分預無 26休 10.04勝
太刀山 峰右衛門 115勝 5敗 8分預無 52休 13.95勝
西ノ海 嘉治郎 75勝 27敗 26分預無 52休 10.31勝
鳳 谷五郎 71勝 28敗 5分預無 56休 10.60勝
伊勢ノ濱 慶太郎 36勝 33敗 7分預無 35休 07.80勝
朝潮 太郎 27勝 13敗 3分預無 56休 09.94勝
大錦 夘一郎 102勝 14敗 3分預無 21休 13.05勝
栃木山 守也 134勝 8敗 10分預無 11休 13.72勝
九州山 十郎 6勝 5敗 1分預無 8休 08.13勝
千葉ヶ崎 俊次 38勝 35敗 7分預無 10休 07.78勝
對馬洋 弥吉 10勝 10敗 0分預無 0休 07.50勝
常ノ花 寛市 182勝 44敗 10分預無 52休 11.89勝
西ノ海 嘉治郎 64勝 23敗 2分預無 105休 10.96勝
太刀光 電右衛門 36勝 13敗 3分預無 45休 10.82勝
大ノ里 萬助 145勝 99敗 0分預無 20休 08.91勝
能代潟 錦作 122勝 104敗 2分預無 10休 08.09勝
常陸岩 英太郎 87勝 53敗 1分預無 35休 09.31勝
豊國 福馬 82勝 43敗 0分預無 18休 09.84勝
玉錦 三右衛門 190勝 38敗 1分預無 15休 12.48勝
武藏山 武 101勝 43敗 2分預無 80休 10.48勝
清水川 元吉 87勝 47敗 0分預無 0休 09.74勝
男女ノ川 登三 118勝 68敗 0分預無 22休 09.52勝
双葉山 定次 204勝 24敗 0分預無 22休 13.42勝
鏡岩 善四郎 36勝 42敗 0分預無 0休 06.92勝
前田山 英五郎 179勝 94敗 0分預無 39休 09.84勝
羽黒山 政司 276勝 73敗 0分預無 117休 11.86勝
安藝ノ海 節雄 85勝 32敗 0分預無 38休 10.90勝
五ッ嶋 名良男 12勝 13敗 0分預無 5休 07.20勝
照國 万藏 212勝 75敗 0分預無 74休 11.08勝
名寄岩 静男 26勝 31敗 0分預無 22休 06.84勝
佐賀ノ花 勝巳 101勝 77敗 1分預無 7休 08.51勝
東冨士 謹一 223勝 89敗 2分預無 50休 10.70勝
汐ノ海 運右エ門 41勝 61敗 0分預無 16休 06.03勝
増位山 大志郎 27勝 20敗 0分預無 11休 08.62勝
千代ノ山 雅信 306勝 126敗 1分預無 137休 10.62勝
吉葉山 潤之輔 218勝 101敗 1分預無 85休 10.24勝
鏡里 喜代治 269勝 108敗 0分預 28休 10.70勝
栃錦 清隆 384勝 112敗 0分預無 32休 11.61勝
三根山 隆司 63勝 52敗 0分預無 5休 08.22勝
過去の強豪力士たち(本計算方式による、ポイント総数の多い力士)
歴代強豪力士の強さを比較する試みである。比較するべきものが成績しかないのであるから、数字を並べて順序だてるしか手立てがない。強さの指標としてよく使われているものとして、勝率が挙げられる。しかし、勝率は分け、預り、無勝負を除いた勝負から計算されることが多いようだ。実際に勝負を行なった全ての取り組みを勝率に組み入れるのが本来適切と考える。
土俵生活のある時期に強く、後に力が衰えることもあろう。この場合は勝率が低く出てしまう。一方、強いうちに引退してしまう場合、勝率は高く計算される。ある時期だけ切り取って比較してみれば、同じような成績を残していても、生涯勝率の計算では差が開いてしまう。
ほかにもたとえば、1場所3勝し、残りの日程を休んだ場合と、1場所5勝3敗2休で終えた場合と、勝率では前者が高くなるが、場所での勝利数という点では後者が高くなるはずだ。
では強さの指標として何を比較すればよいのか…難題である。
ここでは、場所毎に多くの勝利を挙げたものを優先して「強さ」の指標とする試みを行いたい。勝数を場所毎にポイント化し、その通算ポイントをその力士の強さの指標としてみたい。これならば、ある時期だけを見たときに同じ成績を残していれば同じような強さとして現れるであろうし(勝率のように引退のタイミングによって数値が左右されない)。また、土俵を長く勤めればポイントが稼げるとは思うが、それは長く土俵を勤めた貢献度として加味したい。ある程度の成績以下はポイントを与えないことにより、いたずらに長く土俵を続けるだけでポイントを稼げるようなことになはらないようにした。
なお、年2場所制かつ1場所最大10日間の日程での興行であった大正13年初場所以前に活躍した力士たちのポイントは以下のように計算した。
特に明治期が終わる頃までは10日間を取りきることは稀であったようなので、9日間で6勝すれば、現在でいうところの二桁勝ち星に相当するという前提をおく。分け、預り、無勝負はそれぞれ0.5勝換算とする。
ここで、各場所ごとの成績を以下のように計算する。
0.0ポイント、6.0勝相当成績以下
0.5ポイント、6.5勝相当成績(6勝1分預無3敗休; 5勝3分預無2敗休; 4勝5分預無1敗休)
1.0ポイント、7.0勝相当成績(7勝3敗休; 6勝2分預無2敗休; 5勝4分預無1敗休)
1.5ポイント、7.5勝相当成績(7勝1分預無2敗休; 6勝3分預無1敗休; 5勝5分預無)
2.0ポイント、8.0勝相当成績(8勝2敗休; 7勝2分預無1敗休; 6勝4分預無)
2.5ポイント、8.5勝相当成績(8勝1分預無1敗休; 7勝3分預無)
3.0ポイント、9.0勝相当成績(9勝1敗休; 8勝2分預無)
3.5ポイント、9.5勝相当成績(9勝1分預無)
4.0ポイント、10勝相当成績(10勝)
1場所の日数が10日間に満たない場合も、純粋に「ポイント=(勝利数)+(分預無数/2)-6.0」<解が負の数のときは0ポイント換算>の式を適用する(例:8勝1分→8.5ポイント; 6戦全勝→0.0ポイント; 3戦全勝→0.0ポイント)。
力士の幕内通算ポイントをそれぞれの得点とする。
横綱・大関、そして活躍の目立った関脇力士のうち、7勝相当以上の成績を3回以上残している力士を選んだつもりである。寛政期以降の全ての力士を把握しきれていないかもしれないが、ご容赦願いたい。
強豪力士 | 入幕時期 | 0.5 | 1.0 | 1.5 | 2.0 | 2.5 | 3.0 | 3.5 | 4.0 | 総合 |
谷風 梶之助(伊達ヶ関→達ヶ関→谷風) | 明和06年(1769) | 2 | 4 | 3 | 4 | 1 | 5 | 1 | 1 | 42.5 |
鷲ケ濱 音右衛門(鳴沢→鷲ヶ濱→玉垣) | 安永07年(1778) | 2 | 3 | 2 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | 12.5 |
小野川 才助 | 天明02年(1782) | 1 | 6 | 2 | 1 | 4 | 2 | 0 | 1 | 31.5 |
錦木 塚右衛門(錦木→二所ノ関) | 寛政02年(1790) | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 06.0 |
雷電 為右衛門 | 寛政02年(1790) | 3 | 2 | 2 | 4 | 6 | 8 | 2 | 2 | 68.5 |
玉垣 額之助(千田川→玉垣) | 寛政06年(1794) | 8 | 4 | 5 | 2 | 4 | 1 | 0 | 0 | 32.5 |
鳴滝 文太夫 | 寛政06年(1794) | 1 | 2 | 2 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 10.0 |
柏戸 宋五郎 | 寛政07年(1795) | 7 | 3 | 1 | 4 | 1 | 1 | 0 | 0 | 21.5 |
平石 七太夫 | 寛政07年(1795) | 0 | 1 | 3 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 07.5 |
鬼面山 与一右衛門 | 寛政07年(1795) | 5 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 06.5 |
緋縅 力弥 | 享和02年(1802) | 6 | 4 | 1 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 13.0 |
玉垣 額之助(越ノ海→玉垣) | 文化07年(1810) | 4 | 1 | 3 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 09.5 |
柏戸 利助(頂→柏戸) | 文化08年(1811) | 4 | 5 | 3 | 4 | 0 | 0 | 1 | 0 | 23.0 |
阿武松 緑之助(小柳→阿武松) | 文政06年(1823) | 1 | 3 | 4 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 16.0 |
稲妻 雷五郎 | 文政07年(1824) | 3 | 0 | 1 | 4 | 2 | 1 | 0 | 0 | 19.0 |
緋縅 力彌 | 文政08年(1825) | 1 | 3 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 07.5 |
手柄山 繁右衛門(小柳→手柄山→湖東山→武隈) | 文政12年(1829) | 3 | 2 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 07.5 |
劔山 谷右衛門(鰐石→劔山) | 天保05年(1834) | 2 | 1 | 4 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 10.0 |
秀ノ山 雷五郎(天津風→立神→岩見潟→秀ノ山→秀の山) | 天保08年(1837) | 3 | 2 | 2 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 11.0 |
不知火 諾右衛門(濃錦里→不知火) | 天保08年(1837) | 1 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 03.5 |
鏡岩 濱之助(和田ノ浦→鏡岩) | 天保08年(1837) | 3 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 05.5 |
小柳 常吉 | 天保11年(1840) | 3 | 1 | 2 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 08.0 |
階ヶ嶽 龍右衛門(階ケ嶽→岩見潟→階ヶ嶽→龍ヶ谷) | 弘化05年(1848) | 1 | 1 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 04.5 |
境川 浪右衛門(増位山→六ツヶ峰→鬼面山→境川) | 嘉永03年(1850) | 2 | 3 | 2 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 09.5 |
雲龍 久吉 | 嘉永05年(1851) | 2 | 3 | 2 | 2 | 0 | 1 | 0 | 0 | 14.0 |
不知火 光右衛門(殿り→不知火) | 安政03年(1856) | 2 | 3 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 08.5 |
鬼面山 谷五郎 | 安政04年(1857) | 1 | 3 | 0 | 5 | 1 | 1 | 0 | 0 | 19.0 |
陣幕 久五郎 | 安政05年(1858) | 3 | 2 | 1 | 1 | 1 | 1 | 0 | 0 | 12.5 |
境川 浪右衛門(増位山→境川) | 慶応03年(1867) | 2 | 5 | 0 | 1 | 2 | 0 | 0 | 0 | 13.0 |
綾瀬川 山左衛門(相生→綾瀬川) | 慶応04年(1868) | 2 | 2 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 05.5 |
雷電 震右衛門(兜山→雷電→阿武松) | 明治03年(1870) | 3 | 3 | 2 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 13.5 |
楯山 久三郎(若島→楯山) | 明治07年(1874) | 1 | 4 | 3 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 11.0 |
梅ヶ谷 藤太郎 | 明治07年(1874) | 0 | 1 | 3 | 3 | 1 | 2 | 0 | 0 | 20.0 |
西ノ海 嘉治郎 | 明治15年(1882) | 3 | 5 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 09.5 |
大達 羽左衛門 | 明治15年(1882) | 1 | 2 | 2 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 10.0 |
一ノ矢 藤太郎 | 明治16年(1883) | 0 | 1 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 05.0 |
剣山 谷右衛門 | 明治16年(1883) | 1 | 2 | 3 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 09.0 |
小錦 八十吉 | 明治21年(1888) | 2 | 3 | 0 | 5 | 3 | 0 | 0 | 0 | 21.5 |
朝汐 太郎 | 明治23年(1890) | 4 | 4 | 3 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 12.5 |
大戸平 廣吉 | 明治24年(1891) | 1 | 2 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 05.0 |
大砲 万右衛門(大炮→大砲) | 明治25年(1892) | 2 | 2 | 4 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 11.5 |
大碇 紋太郎 | 明治26年(1893) | 0 | 2 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 04.0 |
鳳凰 馬五郎 | 明治26年(1893) | 2 | 2 | 0 | 3 | 1 | 0 | 0 | 0 | 11.5 |
荒岩 亀之助 | 明治30年(1897) | 2 | 2 | 2 | 2 | 1 | 2 | 0 | 0 | 18.5 |
梅ヶ谷 藤太郎(梅ノ谷→梅ヶ谷) | 明治31年(1898) | 6 | 2 | 8 | 4 | 2 | 0 | 0 | 0 | 30.0 |
常陸山 谷右衛門 | 明治32年(1899) | 3 | 4 | 3 | 3 | 3 | 2 | 0 | 0 | 29.5 |
國見山 悦吉 | 明治33年(1900) | 3 | 4 | 0 | 2 | 0 | 1 | 0 | 0 | 12.5 |
太刀山 峰右衛門 | 明治36年(1903) | 2 | 2 | 3 | 3 | 2 | 3 | 1 | 5 | 51.0 |
駒ヶ嶽 國力 | 明治36年(1903) | |||||||||
西ノ海 嘉治郎(錦灘→西ノ海) | 明治39年(1906) | |||||||||
高見山 酉之助 | 明治40年(1907) | |||||||||
鳳 谷五郎 | 明治42年(1909) | |||||||||
両国 勇治郎 | 大正05年(1914) | |||||||||
大錦 卯一郎 | 大正04年(1915) | |||||||||
栃木山 守也 | 大正04年(1915) | |||||||||
西ノ海 嘉治郎(源氏山→西ノ海) | 大正05年(1916) | |||||||||
常ノ花 寛市 | 大正06年(1917) | |||||||||
鶴ヶ濱 増太郎 | 大正10年(1921) | |||||||||
大蛇山 酉之助 | 大正12年(1923) | |||||||||
玉錦 三右衛門 | 大正15年(1926) | |||||||||
宮城山 福松 | 昭和02年(1927) | |||||||||
男女ノ川 登三 | 昭和03年(1928) | |||||||||
武蔵山 武 | 昭和04年(1929) | |||||||||
双葉山 定次 | 昭和07年(1932) | |||||||||
前田山 英五郎 | 昭和12年(1937) | |||||||||
羽黒山 政司 | 昭和12年(1937) | |||||||||
安芸ノ海 節男 | 昭和13年(1938) | |||||||||
照国 万蔵 | 昭和14年(1939) | |||||||||
東富士 欽壱 | 昭和18年(1943) |
68.5 雷電 為右衛門
51.0 太刀山 峰右衛門
42.5 谷風 梶之助(伊達ヶ関→達ヶ関→谷風)
32.5 玉垣 額之助(千田川→玉垣)
31.5 小野川 才助
30.0 梅ヶ谷 藤太郎(梅ノ谷→梅ヶ谷:二代)
29.5 常陸山 谷右衛門
23.0 柏戸 利助(頂→柏戸)
21.5 柏戸 宋五郎
21.5 小錦 八十吉(横綱)
20.0 梅ヶ谷 藤太郎(初代)
19.0 稲妻 雷五郎
19.0 鬼面山 谷五郎
18.5 荒岩 亀之助
16.0 阿武松 緑之助(小柳→阿武松)
14.0 雲龍 久吉
13.5 雷電 震右衛門(兜山→雷電→阿武松)
13.0 緋縅 力弥
13.0 境川 浪右衛門(増位山→境川:横綱)
12.5 鷲ケ濱 音右衛門(鳴沢→鷲ヶ濱→玉垣)
12.5 陣幕 久五郎
12.5 朝汐 太郎(初代・大関)
12.5 國見山 悦吉
11.5 大砲 万右衛門(大炮→大砲)
11.5 鳳凰 馬五郎
11.0 秀ノ山 雷五郎(天津風→立神→岩見潟→秀ノ山→秀の山)
11.0 楯山 久三郎(若島→楯山)
10.0 鳴滝 文太夫
10.0 劔山 谷右衛門(鰐石→劔山:天保)
10.0 大達 羽左衛門
09.5 玉垣 額之助(越ノ海→玉垣)
09.5 境川 浪右衛門(増位山→六ツヶ峰→鬼面山→境川:大関)
09.5 西ノ海 嘉治郎(初代)
09.0 剣山 谷右衛門(明治)
08.5 不知火 光右衛門(殿り→不知火)
08.0 小柳 常吉
07.5 平石 七太夫
07.5 緋縅 力彌
07.5 手柄山 繁右衛門(小柳→手柄山→湖東山→武隈)
06.5 鬼面山 与一右衛門
06.0 錦木 塚右衛門(錦木→二所ノ関)
05.5 鏡岩 濱之助(和田ノ浦→鏡岩)
05.5 綾瀬川 山左衛門(相生→綾瀬川)
05.0 一ノ矢 藤太郎
05.0 大戸平 廣吉
04.5 階ヶ嶽 龍右衛門(階ケ嶽→岩見潟→階ヶ嶽→龍ヶ谷)
04.0 大碇 紋太郎
03.5 不知火 諾右衛門(濃錦里→不知火)
過去の強豪力士の比較の際によく名前が出てくるのは幕内勝率9割を越す以下の面々である:谷風、小野川、雷電(為)、稲妻、陣幕、梅ヶ谷(初)、常陸山…、そしてそれに続く8割台後半の梅ヶ谷(二)、太刀山、大錦、栃木山、双葉山。また、優勝回数や優勝相当成績の多い力士として、柏戸(利)、剣山(天保)、秀ノ山、雲竜、鬼面山、境川(横綱)、雷電(震)、小錦(横綱)、荒岩、常ノ花、羽黒山、玉錦などが挙げられる。実際にポイント比較をしてみた結果は上記の通りである。
全体として、江戸の寛政~文化、そして明治30年代~大正の力士の高得点が目立つ。1場所の中での休みが比較的少ないことが最大の要因と思われる。また、最高位が大関どまり(場合によっては小結どまり)であることが、横綱力士よりも下回る成績であることはけっしてない。さらに優勝相当成績回数も、
ダントツトップの68.5ポイント獲得者は、やはり史上最強の誉れも高い、雷電(為)である。年二場所かつ、1場所10日間もない場所がいくつもある中でのこの成績は見事というほかない。
江戸の大横綱・谷風を超える51.0ポイントを残したのは太刀山である。実働年数が谷風よりも短い中でも、これを超えたことは見事。10日間すべて取りきっての全勝が5つあったことが功を奏したと思われる。
谷風は初期の頃の1場所8日間制が長く続いたことが災いしたか42.5ポイントにとどまる。21回優勝相当成績にも関わらず雷電に次ぐポイント獲得はならなかった。しかし、下位を圧倒的に引き離していることは見事というほかない。
30ポイント超級は意外な顔が並んだ。まずは連勝中の谷風を破って一躍スターに躍り出た小野川、その時代で考えると、谷風・雷電の両強豪に埋もれた形だが、成績そのものは並の大横綱を圧倒する成績である。そして玉垣(千田川)、雷電(為)と同時期の強豪だが、優勝相当成績の回数は少ないものの、地道に好成績を続けた結果であろう。ここまでいくとは予想外である。そしてこれも意外であった梅ヶ谷(二)も入った。常陸山、太刀山、荒岩に優勝相当成績回数で大きく開けられているものの、コンスタントに長く好成績をおさめ続けた結果である。
25ポイント超は、常陸山。角聖と言われたのも納得せざるを得ない。同時期の太刀山にポイントが劣るのは仕方ないが、僅差で梅ヶ谷を下回ったのは意外であった。
20ポイント超は柏戸(宋)。雷電(為)と同時期に対戦を続けた中で見事というほかない。そして弟子の柏戸(利)、優勝相当成績16回は伊達ではない。梅ヶ谷(初)は、58連勝した男にしては、予想を下回った。実働期間が短かったことが原因かもしれない。一方で、小錦(横綱)は梅ヶ谷(初)を上回った。後半で失速はしたものの、入幕からの奪取がそのまま効いた形だ。
17ポイント以上は稲妻、9割超級の成績かつ優勝相当成績9回ではあるが、休み、分預無が影響したか、想像したよりは伸びなかった。次に鬼面山、幕末の強豪のであるが、こちらは予想を上回ったといえる。梅・常陸・太刀山の時代の超強豪大関の荒岩が好成績を残した。
14ポイント超は稲妻に対抗した阿武松、もっと勝ちに行っていれば、より好成績を残せたかもしれない。そしてスタートダッシュですばらしい成績を残した雲龍、後半の失速が悔やまれる。
13ポイント台には、雷電・戸垣の時代の狭間で地道に成績を残した緋縅。素晴らしいことである。横綱境川は、1場所にあまり多く勝たなかったため、優勝相当成績回数の割りには低かったかもしれない。同様に、雷電(震)は43連勝を残したにも関わらず、好成績が長続きしたわけではなかったようだ。
12ポイント台、雷電の時代の鷲ヶ浜、この時代の大関力士たちはみな頑張って勝利を挙げている。勝率9割男の陣幕、スパっと引退したためか、通算成績ではまったく伸びなかった。梅・常陸時代の初代大関朝汐、素晴らしいの一言。そして、同じく國見山である。かなり高い成績である。
11ポイント台には、秀ノ山。意外なほどに低いポイントである。逆に、意外なほど高かったのは、初代梅ヶ谷の時代の楯山、そして梅・常陸時代の大砲、鳳凰である。優勝相当成績の回数の少なさの割りに、かなり好成績といえる。
10ポイント台、まずは大関雷電・関脇玉垣とともに雲州松江藩の黄金期を支えたが、両強豪のために小結にとどまった28連勝の最強小結、鳴滝である。柏戸などを相手に回しての成績は見事。天保の三傑といわれた鰐石改め剣山、予想を大きく下回った。休みが多かったことが原因と考えられる。梅ヶ谷(初)の後期のライバルとなった大達、活躍は短かったが、10ポイントを超えた。
多くの場所が10日間であったことを考えてみても、文政から明治10年代頃の強豪力士のポイントがあまり伸びなかったのは不思議である。場所皆勤への意識が低かった時代なのかもしれない。ただ、時代のトップとはけっして言えなかったにも関わらず、小野川や二代目梅ヶ谷などが強豪たるゆえんがここに示されたと思う。
とにかく、この計算方式であらわされることは、得点上位者は「負けない」ことよりも、とにかく毎場所たくさんの「勝利」をあげ続け、長い期間活躍していた、ということが言えるであろう。