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「忘れる、忘れない」ではない。夫・鎧塚俊彦が語る亡き妻・川島なお美への思い

  • パティシエである夫の夢の背中を押して支えてきたなお美さん
  • なお美さん死後に見つかったノートには苦しみも決意も希望も記されていた
  • なお美さんの死から3年半、夫が語る妻への思いとホワイトデーの贈り物

亡くなる8日前まで舞台に立ち続け、最後まで女優魂を貫いた女優・川島なお美さん。

3月14日放送の「直撃!シンソウ坂上」(フジテレビ系列)は、今年で結婚10年の節目を迎えた夫でパティシエの鎧塚俊彦さんを番組MCの坂上忍が直撃。妻・なお美さんの闘病生活と妻への思いを明かした。

夫へのラブレターに綴られたなお美さんの思い

18歳の時、青山学院大学入学後に芸能界デビューを果たしたなお美さんは、現役女子大生アイドルとして活躍。1993年に発売されたヘアヌード写真集が、タレント業を中心に活躍するなお美さんのイメージを大きく変え、世間に妖艶な大人の女性というイメージを植え付けた。

さらに、ドラマ『失楽園』で見せた体当たりの演技で一流女優の仲間入りを果たし、「私の血はワイン」と言い切るほどのワイン好き、愛犬家としても注目を集めた。

そんななお美さんはテレビ朝日の『龍虎飯店』という番組で鎧塚さんと出会い、順調な交際を続けて、出会いから4年後の2009年に結婚した。

現在は東京・京橋の「トシ・ヨロイヅカ・トウキョウ」や、六本木、恵比寿など都内4店舗を展開している鎧塚さん。スイスやフランスなどで8年間修行を積み、今では日本を代表するパティシエとして活躍している。

京橋にあるお店を訪れた坂上に、鎧塚さんはなお美さんが生まれた年、1960年のワインを出し、亡くなってから3年半ほど経つ今の思いを語り始めた。

まず、結婚してからなお美さんが鎧塚さんに宛てたラブレターを見せてくれた。

そこには「妻から夫へ 50の誉め言葉“旦那はんの好きなところ”」として、頭がいい、足が長い、寝顔がかわいい、川島なお美を妻にしてくれたなど、便箋2枚にわたって夫への誉め言葉が並べられていた。

ラブレターを見た坂上はその思いに「すごい!」と感動し、「女房がいつも言っていたんですが、本気で愛したものは一生愛し続ける。ワインもワンコも」と話す鎧塚さんに、坂上が「旦那さんも」と付け加えた。

なお美さんに背中を押され実現できた鎧塚さんの夢

だが、結婚から約1年後、鎧塚さんの左目に異変が起きた。

網膜の血管が詰まって出血する病「網膜中心静脈閉塞症」という病魔に侵され、最悪の場合、失明することもあった。

「最初は失明に至るまでいかないだろうと、自分でも高をくくっていました。当時は、職場も離れられないような状況だったので、治療が後手後手に回ったんですね。その時も女房は本当に献身的に尽くしてくれました」と鎧塚さんは振り返った。

数度にわたる手術を受けるも、鎧塚さんの左目は光を失う。

細かい作業をするパティシエにとって、大きなハンディとなったが、その時になお美さんは自身のブログで「結婚する前すでに『これからはなんでも二人で乗り越えていこうね』と彼に話しました。今がそのときです。私が彼の左目になります」と失明した夫を支える決意を綴っていた。

そんな時、鎧塚さんのもとに料理対決番組の「アイアンシェフ」から出演依頼が来る。依頼を受けるかどうか迷う鎧塚さんに、なお美さんは「あなたがあの番組で戦う姿をぜったい見たい。やらないで後悔するのはあなたらしくないよ」と檄を飛ばしたという。

こうして夫婦で協力しながら失明の苦難を乗り越えた2人は、ある夢に向かって歩き出す。

その一つが、2011年にオープンした小田原の「一夜城ヨロイヅカファーム」。鎧塚さんの「素材から美味しいお菓子を作りたい」という思いから、柑橘類やブルーベリーなど20種類以上の作物が育てられ、相模湾を望む4000坪の敷地に店舗と農園が併設されている人気店。

「最初は不安でした。昔は何もなかった荒地だったので」と、鎧塚さんは不安を抱えていたというが、この時になお美さんから「絶対にやった方がいいわよ。絶対うまくいくから」と背中を押された。「ここでやろう!」と決意した鎧塚さんは、この夢もなお美さんの存在があったから実現できたという。

そして今、ここには多く人の笑顔があふれる、鎧塚さんにとって大切な場所となっている。

夢に向かって歩き出した矢先のがんの診断

さらに、2人にはもう一つの大きな夢があった。

「ご縁がありまして『エクアドル・ヨロイヅカファーム』というのを開設して、カカオを育てています」と鎧塚さんは明かし、坂上になお美さんが植えた木からできたカカオを差し出した。

「自分たちが作ったカカオから美味しいチョコレートを作りたい」という思いから、エクアドルのカカオ農園を作るという、日本のパティシエ初となる壮大な試みを、なお美さんは一番近くから支えてきた。

2010年9月に夫婦でエクアドルを訪問。なお美さんのがんが判明する3年前。エクアドルを訪れた時の様子を、互いにハンディカムで撮り合っていたといい、鎧塚さんは映像として見るのは今回が初めてだと明かした。

なお美さんが街中に歩いているイグアナに心奪われている様子や、もぎたてのカカオを試食する様子など互いを撮り合い、仲睦まじい姿が残されている。

9000坪もあるカカオ農園を訪れた二人は、その広さと設備に感動しながらも鎧塚さんは「絶対にいいものができるよ!」と夢を膨らませ、なお美さんも「また来なきゃね。3~4年経ったらまた来ようね」と語り合っていた。

だが、この映像が撮られた3年後の2013年の時に、なお美さんは人間ドックでがんが判明する。肝臓で作られる消化液を十二指腸まで運ぶ管である胆管周辺にできるがん、「肝内胆管がん」と診断された。

なお美さんは人間ドックにも行っていたというが、みなと芝クリニック・川本徹院長によると初期症状はほとんどなく、初期の段階で見つけるのは難しいがんだといい、基本的に現在の胆管がん治療の原則は外科切除だという。

当時のことを鎧塚さんは「悪性か良性か分からないけれど、医師は『取りましょう』という対応でしたが、妻は『ちょっと待ってください、女優の体は楽器なんです。そう簡単に傷をつけられるものじゃないんです』という話になって」と話し、なお美さんは体に傷をつけない治療法を求めて4か月間、8か所もの病院を回り、最終的には「腹腔鏡手術」という治療法を選択した。

お腹に小さな穴を数か所あけ、内視鏡カメラを挿入しながら行う最小限の傷しかつかない手術を、がん判明から6か月後の2014年1月28日に大学病院で行い、12時間にも及んだ。

手術は完全にうまくいったというが、肝内胆管がんの手術後5年生存率は50%以下という厳しいデータがあった。

「5年間生存率の勝ち組に残る」死後見つかったノートに“決意”

なお美さんはがんが見つかってから、胸の内をノートに綴っていた。

なお美さんの死後に見つかった闘病ノートには、「あらゆるセカンドオピニオンも受け5カ月間、自分なりに闘ってきた。でも腫瘍はじわじわ大きくなるばかり…もう限界!」といった叫びや、「5年間再発なし、5年間生存率の勝ち組に残る」といった決意、「2020年東京オリンピックをトシとシナモンとココで観戦する!」といった希望も記されていた。

しかし、2014年7月、なお美さんにがんの再発が告げられる。

「再発しても『本当に再発したの?』と。元気でしたし、何かの間違いじゃないの?と。でも、再発ということは僕も女房も重く受け止めていました。転移していました」と鎧塚さんは当時を振り返った。

この時、鎧塚さんはなお美さんの知らないところで医師に、なお美さんの残された時間について尋ねると「あと1年はもたないです」と余命宣告を受けた。

坂上が「なお美さんには言っていないんですか?」と聞くと、「もちろん言わないです。『抗がん剤治療すれば助かりますか?』と聞いたら『助からないと思います』」と医師から告げられたという。

がんは再発した肝臓だけでなく、体の他の場所にも転移していた。しかし、なお美さんはがんの再発を周囲に隠し、舞台に立ち続けた。


当時のなお美さんをよく見てみると、お腹が膨れ上がっていた。これはがんの患部の炎症が原因で血管から体液が染み出す「がん性腹水」というもので、この時は4リットル以上溜まっていた。健康な人と比べると、いかに腹部が膨らんでいるかがわかる。

一方で、この頃からなお美さんは急激に痩せていった。

そして2015年9月、驚くほど痩せ細った姿で公の場に現れた10日後の2015年9月17日に、上演中の舞台の途中降板が決定。緊急入院となった。

鎧塚さんは「舞台を途中降板したその日だけは泣いて、すごく悲嘆に暮れていたところを僕に見せましたけど、それ一回です。亡くなる前の日まで、直前まで未来を見ていました。だから、泣き言を言ったようなことは本当に一度もないですね。(緊急入院が)ちょうど亡くなる一週間前、それからの一週間も楽しく、楽しく2人で精いっぱい頑張って生きました」と語った。

「僕のすごく大切な時期を支えてくれた」

最期は一緒にいられたという鎧塚さん。

すでに意識はなく危険な状態だったなお美さん。「医師から『脳は麻痺していますから、目を開けてとかはなく、すっと逝かれます』と聞いていたのに、ガバッと起きて僕の手をグッと握りしめて、ものすごい強い目で僕のことを見て、ふっと息を吐いてそのまま眠るように逝ったんです」と最期の様子を明かした。

2015年9月24日、54歳という若さで亡くなったなお美さん。最期まで女優でいることを貫き通したなお美さんの出棺は、割れんばかりの拍手で送られた異例の出棺だった。

あれから3年半、結婚から10年を迎える今年、鎧塚さんはSNSのプロフィール写真をなお美さんとの2ショットから一人の写真に変えた。

なお美さんの死についてどう受け止めているのか。

「『忘れちゃいけない』とも思わないですし、『忘れないといけない』とも思わないですし。部屋に女房の写真がそのままいっぱい飾ってあって、友達が来たりすると『もう片付けろよ』とか言ってくださるんです。その時はそうですね、なんて言って。例えば、万が一お母さまが亡くなったとして、ずっと覚えていなきゃいけないとか、忘れた方がいいとか、そんなのないじゃないですか。だから、僕にとって女房はそういう存在で、もし、いつかまた恋をすることがあるかもしれない。でも、それは女房を忘れてその上に新たに塗り替えたり、そういうことではなく、女房は女房として、川島なお美として、僕のすごく大切な時期を支えてくれた。愛してくれた、だから、それはそれでいいんじゃないかと」

なお美さんの死後、鎧塚さんは動物愛護基金を仲間たちと設立し、動物好きだったなお美さんの遺志を引き継いで活動している。

そんな鎧塚さんはホワイトデーに、なお美さんに向けて、夫婦の夢だった自家製カカオを使ったスフレを贈った。名付けて「スフレ・ショコラ・エクアドル」。なお美さんが植えたカカオを味わうことなくこの世を去った妻へ贈るホワイトデー。

これからもずっと鎧塚さんの中に、なお美さんは生き続けていく。

「直撃!シンソウ坂上」毎週木曜 夜9:00~9:54

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