あとがき
「国連がいるから安全だろう」との思い込みで、のんきにヒガチモまで出かけてしまいましたが、その国連のおかげで、現地ではトンだ目に遭いました。なにしろそれまで観光客などほとんど来なかったのに、いきなり400人もの国連関係者が「独立投票」まで長期滞在することになったのですから、ディリの数少ないホテルは全て「無期限満室」の状態でした。
独立運動も一段落して治安がよくなったかといえば、必ずしもそうではなく、むしろ危機感を抱いたインドネシア残留派の武装グループが暴れ出し、テロ活動が活発になっていたようです。報道陣が泊まっていたホテルに民兵が押しかけ、「ジャーナリストは敵だから、東ティモールから出ていかないと殺す」と脅す事件や、残留派がディリ市に一斉攻撃をかけ、独立派の市民を皆殺しにすると予告した事件もありました。どちらも脅しや予告だけで済んだのですが、地方では実際にテロが起きていて、私がヒガチモに滞在していた時にも、東部のバウカウで爆弾事件があり、子供が2人犠牲になりました。宿がないからといって野宿でもしたら、どんな目に遭うかわかりません。日中は平和そうに見えるディリ市ですが、夜8時を過ぎると街から人影が消えてしまいます。
てなわけで、一時はどうなるかと思いましたが、結局どうにか民家に泊めてもらうことができました(もちろん有料ですが)。仮にCさん一家としておきましょう。Cさんは小さな会社を経営しているようで、奥さんと中学生の男の子2人の4人家族でした。
海外では、東ティモールの独立問題を「インドネシア=イスラム教徒が中心、東ティモール=カトリック教徒が中心」と、宗教による違いでとらえる見方もありますが、ちょっと違うようです。Cさんは東チモールでは少数派のイスラム教徒ですが、あくまで「東ティモールは独立すべき」と力説しています。さらに奥さんはもとからインドネシ領である西ティモールの出身なのですが、やはり断固独立すべきだと言います。
その理由は、
「インドネシアのやり方は、何でもすぐに暴力、暴力、暴力だ。これじゃ到底、一緒にはやれない」
しかし、人種的には東ティモールの住民の、周囲のインドネシアの島々と同じくマレー系かパプア系で、言葉もインドネシア語と全く別のものではなく、同じマレー語系で方言の違いといったレベルです。特に同じ島の西ティモールとは、「ポルトガルに統治されたか、オランダに統治されたか」の違いだけで、文化的にもさして変わりはありません。
だからCさんも、将来的には東ティモールはインドネシアと統合するのも1つの道だと言います。
「ただしあくまで一旦独立して、『親しい友人』としての信頼関係を築けたらのこと。遠い将来の話だろうけどね」
Cさんの2人の子供は、東ティモールで相次いだテロに脅えて登校拒否児となり、親元を離れてスラバヤ(ジャワ島)の全寮制中学へ入ったそうです。
この辺の背景は、中国と台湾の関係にも少し似ているかも知れません。植民地統治から解放された時に、「本国」から乗り込んで来た「同胞」たちがあまりにヒドすぎた。軍は野蛮で暴力的だし、官吏は私腹を肥やすことばかり考えて、それらとくっついて、ひと山あげようという悪徳商人も乗り込んできた。そうして民衆の怒りが爆発するたびに、容赦ない苛酷な弾圧が行われ、住民の心にますます埋めがたいミゾを作ってしまった…。
そういえば、インドネシア側は独立派の指導者たちを「ポルトガル植民地主義者の残滓」と罵っていましたが、中国側も台湾の李登輝総統のことを「日本の皇民化教育に洗脳された手先」と罵っているのと似てますね。
しかし実際のところ、東ティモールの人たちは、インドネシアへの反発もあって、「ポルトガル的なもの」に自分たちのアイデンティティを見いだそうとする傾向が強まっていったようです。
東ティモールでは、ディリ市ですらほとんど英語は通じません。市場の食堂でメシを食っていた時、話しかけてきた大学生も英語はさっぱりダメで、強く訴えたいことがあったらしいのに、ひどくガッカリして帰って行きました。
その一方で、タクシーに乗っても買い物をしても、こちらが外国人だと見ると「ファラーン、ポルトゲス?(ポルトガル語は話せますか?)」。植民地時代のヒガチモでは、文盲率が95~99%だったことを考えると、ポルトガル語を学ぶ人はインドネシア併合後に、むしろだいぶ増えているようです。
私がCさんたちに「世界あちこちの国に行ったことがある」と話した時のこと。奥さんがまず聞いてきたのは、
「へ~っ、じゃあモザンビークには行った?」
「ないです」
「じゃあ、アンゴラは?」
「ないです…」
いきなりはるか彼方のアフリカ南部の国名を出されて面食らいましたが、東ティモールの人たちにとっては、同じ旧ポルトガル植民地=ポルトガル語圏ということで、格別の親近感があるようです。マカオになら行ったことがあるというと、「お~、マカオ。ポルトゲス!」と言って、喜んでいました。
あと、イスラム教徒であるCさん一家の場合では、テレビのニュースでイラクやサウジアラビアが登場すると、「アラブ」「イスラミック」と親しみを露にします。
日本では「アジアの隣人たちに目を向けよう」だなんて言われて久しくなり、私もそういう類の仕事に携わってきたつもりですが、果たしてアジアの隣人たちは、どれほど日本に親近感を抱いているのだろうかと、ちょっと考えさせられた出来事でした。