BC14000頃 この時代の石器がチモール島から出土。
BC3000頃 土器製作、家畜、初歩的な農業が始まる。
1350 中国の文献「島夷誌略」がチモール島について記載。「白壇の産地で12の港がある」と紹介。
1497 ※ポルトガルのバスコ・ダ・ガマが喜望峰を回りインドへの航路を開拓(?99年)。
1500 ※ポルトガル人がブラジルに到着。
1505 ※ポルトガルがインド西岸に植民地建設(1530年に拠点をゴアに設置)。
1511 ※ポルトガルがマラッカを征服。
1514 ポルトガル国王宛ての文章の中でチモール島について記載。
1522 スペイン人アントニオ・ペガフェッタ率いるビクトリア号がチモール島に上陸。
※ポルトガルがテルナテ島(マルク諸島)に要塞を建設。
1543 ※ポルトガル人が種子島に上陸。
1553 ※ポルトガルがマカオを占拠。
1556 ドミニコ会の神父がソロール島に定住。1560年代までに監督神父のもとで砦、修道院を建設し、一帯の島々で約5000人の改宗者を集める。
1580 ※長崎がイエズス会の所領地となる(?1587年)
※ポルトガルがスペインの支配下に。
1589 ドミニコ会の宣教師がアタププ(西チモール)で布教を開始。
1595 ポルトガルのゴア政庁がソロール島へ軍政長官を派遣。
1602 ※オランダがマカオを攻撃(?1607年)
1605 ※オランダがテルナテ島、アンポン島をポルトガルから奪取。
1613 オランダ東インド会社が初めてチモール島に上陸。またソロール島の砦を占領し、以後20年間にわたってポルトガル・オランダのソロール島攻防戦が続く。
1619 ※オランダがジャカルタを占拠し、「バタビア」の町を建設。
1622 ※オランダが再びマカオを攻撃するが敗退(?1627年)
1624 ※オランダが台湾南部を占領し、北部のポルトガル勢力を圧倒。
1633 ※オランダがポルトガルからブラジル北東部を奪取。
1636 ポルトガルがソロール島の拠点をララントゥカ(フローレス島)へ移す。
1639 ※徳川幕府がポルトガル人を国外追放。長崎の出島はオランダ人の拠点に。
1640 ※ポルトガルがスペインから完全独立。
1641 ドミンコ会の監督神父がアタププのWehale王国を征服。
※オランダがポルトガルからマラッカを奪取。
1645 ドミンコ会がクパン(西チモール)に砦を建設。
1652 オランダがクパンの砦を占領。
1656 ポルトガルがソロール島の砦を奪取。
1661 ポルトガルとオランダが平和条約を締結。相互の勢力圏を承認し、クパンはオランダの、東チモールやソロール島、フローレス島東部はポルトガルの勢力下に。
1697 ポルトガルがリファウ(東チモール)に主都を建設。
1701 ポルトガルが初代総督としてアントニオ Coelho Guerreiroをリファウに派遣。
1738 ドミンコ会がオエクシに神学校を設立。
1769 チモール人とトパッス(現地に定住したポルトガル系混血)の反乱のため、主都をリファウからディリへ移転。
1779 ディリで大火。
1785 ディリに税関開設。
1790 マウベラ、マナトトなどでチモール人の反乱。総督は反乱の首謀者をゴアへ追放。
1796 イギリスがクパンを占領(1799年にオランダが奪還)。
1811 イギリスが再びクパンを占領(1816年にオランダへ返還)。
1816 アルコフォラード総督が東チモールにコーヒー栽培をもたらす。
1818 オランダがアタププ、バトゥガデの砦を占拠。地元の首長らはポルトガルによる主権を確認。
1834 ポルトガル国王の勅令により宣教師追放(1854年まで)。
1841 ※アヘン戦争でイギリスが香港を占領。自由港として発展し、貿易拠点としてのマカオは没落へ。
1844 「マカオ・チモール・ソロール州」として、行政面でゴアから離れマカオの管轄下に。
1850 ポルトガルとオランダがチモール島周辺の領土分割に関して協議を開始。
チモール・ソロールの行政権がマカオから分離。
1851 チモール・ソロールの行政権が再びマカオの管轄下に。
1859 ポルトガルとオランダがリスボン条約に調印。ポルトガルはフローレス島の東部、ソロール島、アドナラ島を20万フロリンでオランダへ売却。パンター島、オロール島の主権も放棄。ポルトガルの統治範囲は東チモールといくつかの飛び地だけに限定される。
1860 東チモール東部で大反乱(?1863年)。
1863 東チモールの行政権がマカオから独立。
1864 ラハーネ(ディリ郊外)に初の公立病院開設。
1866 ディリで大火。
「マカオ・チモール州」として、再びマカオ政庁の行政下に置かれる。
1869 ポルトガル国会が東チモールに1議席を割り当て。71年に初の選挙を実施。
コレラ大流行。
1879 この年、ディリの人口は4114人。うち2498人がカトリック教徒。
1884 ポルトガルがアタウロ島へ出兵。
1887 ディリでチモール人が反乱。マイア総督が暗殺される。
1889 ポルトガル軍が東チモール東部へ討伐隊を派遣。
1891 ※アフリカ南部の植民地分割について葡英両国が条約を締結し、国境確定。
1892 イギリス人W.A.Duffが、Laclubar地区で地表に湧出していた石油を発見。
1893 コレラ大流行。死者1000人以上に。
1894 「チモール王」シルヴァ総督が着任し、全土で10年がかりの討伐作戦。各地に屯所を設置し警備隊を常駐させ、ポルトガルによる実効支配を確立。
マカオの通貨「パタカ」を法定通貨に採用。しかしオランダ通貨やメキシコ銀なども流通。
1897 チモール政庁が財政庁を設立。
チモール開発の国策会社として祖国勤労農事会社( SAPT )を設立。
1898 ポルトガルが東チモールの領有を放棄した場合に関して、イギリスとドイツが秘密協定。
1899 東チモールが正式にマカオから独立した行政区に。
1900 ディリ?マウベラ間に電話線敷設。1908までに主要都市との電話網が完成。
1901.1。。※オーストラリア連邦発足。
1902 豪州人ワレンが石油採掘権を取得。
1903 ※オランダがアチェ王国を征服。蘭領東インド(インドネシア)の領域がほぼ確定。
1904.10 ポルトガルとオランダがチモール島東西の国境線調整に関して協定を締結。
1905.4 ポルトガルが再度アタウロ島を征服。朝貢を行なわせ統治下に置く。
1908 コーヒーの強制栽培制度を施行。
1910.10 ※ポルトガルで革命が勃発。王制が倒れ共和制へ。
12 土地譲渡に関して総督に絶対的な権限を付与する条例を施行。
1911 マヌファイの反乱(~1912)
1912 東チモール初の銀行として、ポルトガル大西洋銀行(BNU)がディリに支店開設。チモール専用のパタカ札を発行。
1914.6 ポルトガルとオランダがチモール島の国境線を調整。オエクシを除く飛び地はオランダ領に編入。現在の東西チモールの国境線が確立される。
7 ※第一次世界大戦勃発。
1918.5 マカオ・パタカを東チモール唯一の通貨と規定。
1926 乱伐のため白檀伐採禁止令を公布。
豪州資本のチモール石油社が石油採掘権を取得。しかし資金不足で採掘は頓挫。
5 ※ポルトガルでクーデターが発生し、軍事独裁政権が成立。共和派が弾圧され東チモールなど植民地へ流罪に。
1927 奥地開拓のため「先住民村」の建設計画がスタート。
1931 ※ウェストミンスター法により、オーストラリアが英本国と対等の地位を獲得。
1932.7 ※サラザールがポルトガル首相に就任。36年間にわたる長期独裁政権がスタート。
1933.4 ※ポルトガルで国家社会主義的な新憲法を制定。「新国家」体制が確立。
11 ※ポルトガルが植民地統治の近代化のために、植民帝国組織憲章と海外植民地行政改革法を公布。
1935.5 チモール政庁が植民地令を公布。
1936 この年、東チモールの人口46万0588人、うち白人510人、中国人2500人。
各都市の名称をポルトガル風に改称。
1 ベルギー資本のAMCが東チモールでの石油採掘権を獲得。
8 日本の国策会社である南洋興発が、ディリ?パラオ(当時、日本委任統治領)に年10回の不定期航路を開設。
1937 ライセンス税を導入。家屋改築、家畜、闘鶏、パーティー、外国旗掲揚などに課税。
9 SAPTが南洋興発との合弁会社に改組。南洋興発は47.6%を出資するとしたため、英豪蘭などの反発を招き政治問題化。
10 ポルトガルが植民地での外国人の土地所得を制限。SAPTの改組を棚上げ。
1938.1 総督が民間による沿岸航路を禁止。南洋興発の芳栄丸を購入して就航させる。
1939.9 ※第二次世界大戦が勃発。ポルトガルは中立を宣言。
10 日葡両国の交渉で、南洋興発のSAPTに対する出資比率を40%に制限。
東チモールの大部分の石油採掘権を豪葡合弁のCUPに認可。AMCは抗議するが認められず。
1940.9 カトリックのディリ司教区がマカオから分離。
1941.1 豪カンタス航空がダーウィン?ディリ?シンガポール間に就航。
10 ディリに日本総領事館を開設(45.9に日本の敗戦で閉鎖)。
オランダ系のチモール植民地航空がディリ?クパン間に就航。
11 大日本航空が横浜?サイパン?パラオ?ディリ間に就航。ただし戦争のため1回運航しただけで中断。
12 ※真珠湾攻撃で太平洋戦争勃発。豪蘭軍1500人が東チモールに進駐。
1942.2 日本軍が東チモールを占領。豪蘭軍は山岳部などでゲリラ戦。
3 ※蘭印(インドネシア)を日本軍が占領し、軍政を開始。
8 各地で反ポルトガル暴動が発生。
10 チモール人群集がポルトガル海軍兵舎を襲撃。
カルバルホ総督が日本軍に全ポルトガル人の保護を要請。600人が2カ所の収容所へ移される。
11 連合軍がディリを空襲。
1943.1 豪蘭軍が潜水艦でオーストラリアへ撤退。
3 連合軍による空襲が激化。
8 ポルトガルが「戦後の東チモールの統治回復」を条件に米英と秘密協定。連合軍にアソーレス基地(大西洋)の使用を認める。
1945.5 日葡両国が東チモールからの日本軍撤退について交渉。葡軍が到着するまで日本軍は撤退しないことで合意。
8 ※大平洋戦争終結。スカルノらがインドネシア独立を宣言。オランダとの間で独立戦争始まる。
9 ディリで戦争終結式。ポルトガルによる統治再開。
1949.10 ※オランダがインドネシアの完全独立を承認。
1950 この年、東チモールの人口44万2378人。うち白人568人、混血2022人、中国人3128人。
1951.7 ポルトガルが東チモールを含めた植民地を「海外州」に再編。「固有の領土の一部」だと主張。
1953 チモール人にポルトガル市民権を付与。
1954.6 ※ポルトガル領インドのダトラ地区を、インドが封鎖し事実上併合。
1955 植民地令にかわりチモール州法を公布。
1957ディリ在住のイスラム教徒らが、インドネシア領事館へ国民登録を要求。
1958.4 葡豪両国が海底油田の共同開発に調印。しかし両国の境界線をめぐり難航。
1959 国家国防警察(PIDE)がディリにオフイス開設。政治犯の摘発を強化。
6 ビケケで反ポルトガル暴動。武力鎮圧で死者約1000人。
1961.1 通貨をマカオ・パタカからチモール・エスクードに変更。BNUが紙幣発行。
2 ※アンゴラ人民解放運動(MPLA)が独立への武装闘争を開始。
12 ※ポルトガル領インドのゴア、ダマン、ディウをインドが武力併合。葡軍はほとんど抵抗できずに降伏。
※オランダが西パプア(ニューギニア西部)の独立を了承。インドネシアは反発し西イリアン解放闘争宣言を発表。
1962.10 ※西パプアを国連が暫定統治。
1963 バウカウ国際空港が開港。
「チモール共和国解放局」がバドゥガデで政府を樹立したと宣言。
1 ※ポルトガル領ギニア・ビザウで独立闘争始まる。
5 ※西パプアの行政権がインドネシアへ移管。
1964.8 ※モザンビーク解放戦線(FRELIMO)が独立闘争を開始。
1965.9 ※インドネシアでクーデター。これを鎮圧したスハルトが権力を掌握し、徹底的な共産党弾圧に乗り出す。
1966.12 ポルトガル軍とインドネシア軍が国境で衝突。
12 ※マカオで中国系住民が暴動。マカオ政庁は鎮圧に失敗し住民らに謝罪。
1968.9 ※ポルトガルのサラザール首相が引退。
1969 ※インドネシアが正式に西パプアを併合。イリアンジャヤと改称。
1970.1 ディリで東チモールの独立を目指す地下組織が登場。
1971 アメリカ企業が東西チモール沖合で海底油田の探査開始。
1972.4 インドネシアのマリク外相が東チモール独立への支援を言明。
10 ※国連がモザンビークとギニア・ビザウの独立ゲリラを承認。ポルトガルに植民地の独立を促す。
※オーストラリアとインドネシアが西チモール沖の海底油田の開発について合意。チモール海溝の70%は豪州側に帰属。ポルトガルは同様の原則適用を拒否。
1973 この年、東チモールの人口推計671,600人。
2 ラモス・ホルタらが評論を書いていたカトリック系の新聞「Seara」に対し、PIDEが閉鎖処分。
8 オーストラリアのメディアが、ラモス・ホルタに率いられた反ポルトガルの地下組織「チモール解放戦線」について報道。
1974.4 ※ポルトガルでクーデター。救国評議会が政権を掌握。
5 チモール民主同盟(UDT)、チモール社会民主協会(ASDT)、チモール人民民主協会(Apodeti)などの政党が相次いで結成。
6 インドネシアのナロ国会副議長が「東チモールが最終的にインドネシアの統治下に戻るよう政策を立案すべき」と演説。
7 ※救国評議会がポルトガル憲法を修正。植民地独立を明確化。
9 ASDTが東チモール独立革命戦線(フレテリン)と改称し、初のテトン語新聞「Timor Leste」を創刊。
※ギニア・ビザウが独立。翌年までに東チモールとマカオを除く全てのポルトガル植民地が独立。
11 ビレス大佐が最後の総督として就任。
1975.1 フレテリンとUDTが連合を結成。
フレテリンが農村部でテトン語の識字運動をスタート。
3 ※カンボジアでポルポト政権樹立、ベトナムでサイゴン陥落など、インドシナ戦争で共産勢力が勝利。
5 UDTがフレテリンとの連合を解消。インドネシア軍がオエクシに侵入。
6 ポルトガル政府と各政党がマカオで会談。インドネシア政府がオブザーバー参加したためFRETILINは参加を拒否。
8 UDTがクーデター。フレテリンと銃撃戦となり、総督はじめチモール政庁はアタウロ島へ疎開。
フレテリンがファリンテル(東チモール民族解放軍)を結成。
9 フレテリンが全土を掌握。インドネシアに東西チモール国境の共同警備を提案。
10 インドネシア軍が西チモールとの国境地帯に侵入。バドゥガデ、バリボなどを占領。豪州のテレビ取材班5人が殺害される。
11 フレテリンが「東チモール民主共和国」の独立を宣言。チモール政庁の暫定復帰と国連の介入を要請。
UDT、Apodetiなど4政党がインドネシアへの併合を求めるバリボ宣言に署名。
12 インドネシア軍が本格侵攻し、7日にディリ、10日にバウカウへ上陸。フレテリンは山間部でゲリラ戦。
UDT、Apodetiなど4政党がディリで東チモール暫定政府を樹立。
アタウロ島のチモール政庁がポルトガルへ引き揚げる。
国連総会と安保理が東チモール人の自決権尊重とインドネシア軍の即時撤退を決議。
1976.5 暫定政府の住民会議がインドネシアとの合併請願を決議。
7 インドネシア国会が東チモールの併合を採択。東チモール州成立。
11 国連総会で東チモールの併合を認めない決議を採択(以後82年まで毎年同様の決議を採択)
1977.9 インドネシア軍による包囲殲滅作戦がスタート
1978.8 フレテリンの初代党首シャビエル・アマラルがインドネシア軍に投降
11 山間部の最後のフレテリン拠点が陥落
12 フレテリンのニコラウ・ロバト党首が戦死
1979.12 豪州がインドネシアの東チモール併合を正式に承認
1980.6 フレテリンがディリのテレビ塔を爆破
1981.3 フレテリンが民族抵抗革命評議会(CRRN)を結成。議長にファリンテル最高司令官のシャナナ・グスマンが就任
1982.5 ローマ法王がインドネシアによる併合を認めないと表明
1983.3 インドネシア軍とファリンテルが停戦協定を締結
5 ディリの教皇行政官にベロ司教が就任。
8 インドネシア軍が停戦破棄。再びゲリラ一掃作戦を展開
1986.3 フレテリンとUDT独立派がポルトガルで統一戦線を結成
1988 独立共闘組織としてマウベレ民族抵抗評議会(CNRM)が結成。ファリンテルはフレテリンの軍事組織からCNRMの国民軍へ改組
1989.1 インドネシア政府が東チモールへの外国人立ち入りを一部解禁
2 ベロ司教が国連総長に住民投票を求める書簡を送付
10 ローマ法王が東チモール訪問。ミサ会場周辺でインドネシアへの抗議デモ発生
12 豪州とインドネシアが海底油田共同開発契約に調印
1990.1 米国大使の東チモール訪問中、デモ隊と治安部隊が衝突
1991.11 「サンタクルス虐殺事件」
1992.11 インドネシア軍がシャナナ・グスマンを逮捕
1993.12 ロンドンでインドネシア政府とフレテリン元幹部が和解会談。CNRMやUDTはこれを非難
1994.11 ジャカルタでAPEC(アジア太平洋経済協力会議)を開催中に東チモール人学生29人が米大使館へ突入
ディリ郊外のベコラ市場で東チモール人とインドネシアからの移民が衝突
1995.1 バウカウで東チモール人と移民の対立から暴動が発生
11 ジャカルタの日本大使館に東チモール人21人が突入。以後1年間にわたり各国大使館へ突入しポルトガルへの亡命を求める事件が相次ぐ
1996.12 ベロ司教とラモス・ホルタがノーベル平和賞を受賞。インドネシア軍は軍事活動を強化
1997.7 ※アジア通貨危機でインドネシア経済に大打撃
1998.4 ポルトガルでフレテリンやUDTが参加したチモール民族抵抗評議会(CNRT)結成。議長にシャナナ・グスマン、副議長にラモス・ホルタ
※ジャカルタで大規模なスハルト大統領退陣要求集会
5 ※インドネシア各地で暴動が発生し、スハルト大統領退陣。後任にハビビ。
6 ハビビ大統領が東チモールを「特別州」にする用意があると発表
1999.1 インドネシア政府が東チモール独立の可能性を示唆
5 国連とインドネシア、ポルトガル外相が住民投票の実施に調印
6 国連東チモール支援団(UNAMET)が活動開始
8 インドネシアの特別自治州の賛否を問う住民投票実施。反対票78.5%で独立が決定
9 併合派民兵による大規模な破壊行為で、住民の多くが西チモールなどへ避難
国連安保理が武力行使を容認。東チモール国際軍が上陸
10 インドネシア国会が東チモール独立を承認。国連東チモール暫定統治機構(UNTEAT)設立
12 東チモール国民諮問委を設立
※ポルトガルが最後の植民地・マカオを中国へ返還
2000.2 東チモール国際軍が国連平和維持軍(PKF)へ移行
3 日本政府がディリに連絡事務所をオープン
2001.8 東チモール制憲会議の選挙。フレテリンが88議席中55議席を獲得
2002.4 初代大統領選挙で元ファリンテル司令官のシャナナ・グスマンが圧勝
5 東チモール民主共和国が独立