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約束の1曲が終わり、はぁ楽しかったと周囲を見渡せば、こちらを見ている人物とバチッと目が合った。
その瞬間、私は石になった。
衝撃に足がもつれて倒れそうになるのを、お兄様が咄嗟に支えてくれたけど、そんな事よりも、
なんで鏑木雅哉がここにいるーーーー!!
夏休みの間は地中海で過ごし、日本にはいないはずの鏑木雅哉と円城秀介がそこにいた──。
いつからいた、どこから見てた。
あんた達は地中海にいるんじゃなかったのか。
日本にはいないと思っていたから、パーティーには不参加だって安心してから、年上の方々に交じって小さな子供が踊るなんていう、悪目立ちする行為も平気で出来たのに!
来てるって知ってたら、絶対こんな目立つことしなかった!
「麗華?」
平常心、平常心。
いるはずのない人間がいた事の理由は一先ず置いて、今はこの状況からいかに自然に離脱するかだ。
まずはあの魔眼から目を逸らし、石化の呪いを解くんだ。
自然に、自然に…。
ぎゃっ! 目だけを逸らすはずが、首が勝手にグリンッて回ったー!
これじゃまるで高飛車に、ふんって顔を背けたみたいじゃないか。喧嘩売ったと思われる?!
しょうがない。やってしまった事はしょうがない。このまま自然にこの場を去るんだ。
ぎゃっ! 膝が曲がらない! 私、軍隊みたいになってるー!
魔眼に脳が攻撃されたのか、不随意運動が止まらない。
あぁ、もう本当にどうしよう。
「麗華、ちょっと聞いてる?麗華―」
とにかく人に紛れて雲隠れしないと。一番人が多い、ドリンクコーナーへ直行だ。
別ニワタクシ、貴女方ノ事ナンテ気ニシテマセンノヨ。踊ッテノドガ渇イタカラ、飲ミ物ガ欲シクナッタダケデスノ。
エエ、ソレダケデスノ。
ソコノ貴方、甘イジュースヲ頂ケル?
「麗華!」
パンッと背中を叩かれて、混乱の呪いが解けた。
あぁ完全に今、私おかしくなってた。
お兄様、正気に戻してくれてありがとう。
石化と混乱の呪いの両方を一度にかけてくるとは、さすがラスボス。
「どうした。なんか変だよ」
うん、それは誰よりも自覚しています。
「お兄様、私ちょっとお手洗いに行って参ります」
一度ひとりになってリセットしたい。
トイレに籠って落ち着きたい。
いろいろ反省するのはそれからだ。
「大丈夫か?具合悪くなった?誰かに一緒に行ってもらおうか」
「ううん、平気です」
「でもなぁ…」
相当私は挙動不審だったのか、お兄様が心配そうにしている。
ごめんよ、心配かけて。
「よっ、貴輝」
「伊万里」
ちょうどお兄様のお友達らしき人が声をかけてきたので、今のうちに行っちゃおう。
「初めまして、妹の麗華です。お兄様、ひとりで大丈夫ですから、ちょっと行ってきますね」
お友達さんにペコリと挨拶して、そのまま早歩きで会場の外へGO!
「妹ちゃん、どうしたんだ。ずいぶん急いで」
「あぁ、トイレ」
言うな!
ドレッシングルームに駆け込み、個室に入るとぐったりと座り込んだ。
はぁーーっ。
一気にドッと疲れた。
さっきまでのハイテンションが嘘みたいだ。
…びっくりした。
なんでいるの、あの人たち。
夏休みはずっと地中海に行ってるという話はガセだったのか?
プティピヴォワーヌの噂でも、ふたりはサマーパーティーには不参加って聞いていたのに。
しかし、あの顔。
怖かったなー。
浮かれてワルツを踊っていた私を、なんだこいつっていう目で見ていた。
勘違い女って絶対思ってた!
来てるって知ってたら、調子に乗ってワルツなんて踊らなかったのに!
「ねぇ雅哉様がいらしてたわね。確か今回は不参加だったはずじゃない?」
そうしてどよ~んと深く落ち込んでいたら、ドアの向こうから、私よりはだいぶ年上っぽい声の人達のおしゃべりが聞こえてきた。
中等科か、高等科のメンバーだろうか。
「そうなのよ。本当は休み中はずっと海外で過ごすはずだったみたいなんだけど、
「あら、そうだったの。私の妹が雅哉様がいらしてるって大騒ぎしてたわ。でも優理絵さんが相手じゃ勝ち目はないかしら」
「ふふっ。まだわからないじゃない?ご自分の妹なんだから、応援してあげないと。ライバルは多いみたいだけど?」
「そうねぇ。まぁっ、マイカ様、ごきげんよう」
「ごきげんよう」
別のお知り合いが入ってきたようで話は中断してしまったが、これで謎が解けた。
優理絵様の誕生日だったか!
私達より4つ年上の
『君は僕のdolce』の中の優理絵様は、凛とした輝くばかりの美人で、学院生憧れの女性だった。
吉祥院麗華も憧れていた。
麗華も、あの曲がった事が嫌いな優理絵様に憧れていたなら、少しはそこから学べば良かったのにと思うけど、悪役キャラなんだからしょうがないか。麗華、不憫…。
その優理絵様の事は、皇帝は高等科に上がる頃まで好きだったのだが、優理絵様は昔から年下の彼を弟のようにしか見ていない。
結局その恋は玉砕し、主人公に八つ当たりするシーンなどもあるんだけど、そのうち主人公への興味が恋に変わり、初恋を完全に吹っ切る事が出来るのだ。
しかしそれでも幼馴染で姉のような優理絵様は特別な存在で、自立心あふれる優理絵様が、大学卒業後に親の反対を押し切って、勝手に外資系企業に就職し渡米する事にした時、涼野家の両親を説得するのに力を貸すのだ。
優理絵様が渡米する時には、「何かあったらすぐに連絡しろ。どこにいたって俺が絶対優理絵を助けに行くから」なんて言って、いつまでも特別な人だっていう事を印象づけている。
それを見て主人公が、「本当はまだ優理絵さんが好きなんじゃないか」って不安になったりもするんだけど。
そんな優理絵様の誕生日があったら、そりゃあ何があっても戻ってくるよね。納得。
プティピヴォワーヌのサロンでも、優理絵様と話してる時は顔がほころんでるもんね。
優理絵、優理絵って関心引こうと頑張ってるもんなぁ。
初恋かぁ、甘酸っぱいなぁ。でもその恋は実らないんだよねー、あぁ切ない。
ふたりのそんなやりとりを、ばれないようにこっそりと観察して、人様の恋路をニヤニヤきゅんきゅんして楽しんでいる私って、相当性格悪いと思う。
しかしまぁ、いるはずのない鏑木円城コンビがパーティーにいた理由はこれでわかった。
覆水は盆に返らない。
ワルツを踊ってた姿を見られた過去は戻らない。
……忘れよう。
この事は、黒歴史として心の沼に沈めよう。そうしよう。
「どっこいしょ」
さて、お兄様も心配しているだろうから戻ろう。
トイレに長居しすぎたな。乙女にとって不名誉な濡れ衣を着せられてたらどうしよう。
お腹の調子は万全だというアピールをしたほうがいいだろうか?