2019年3月
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| テーマ:暮らしを楽しむ(230363) カテゴリ:ミニマルに暮らす わたしは、今も昔も 1人が好きですが。 あらゆる人間関係を跳ね除け、修行僧のように頑なに1人を貫いていたようなことはありません。心の通い合った大切な友達は、ちゃんといます。 共同体感覚全てを否定しているわけではありません。周りから支えられたこともたくさんある。 ちゃんと人並みに「人付き合い」をしました。 人並み以上に頑張ったことも ありました。 それをやめただけ。 人付き合いを、「無理に頑張りすぎること」を・・・ 今はもう、手放した、というだけ。 春といえば いちご。もう行かないけれど、この時期のいちご狩りは すずひ家の楽しみでした。 今日もまた、いきなりですが。 連絡先教えて! という言葉って、「暴力」だと。 昔からわたしは思っています。 春。 新生活。 新しい出会い。 簡単に知れることが当たり前かのように、携帯開いて突撃してくる人が 本当に苦手でした。 (主にそういうことがあったのは、開いたり閉じたりするガラケー時代でした) わたしのね。 わたしの価値観・わたしの常識では。 連絡先って、「自分から差し出すもの」なのです。 差し出すだけ、のものです。 その結果、わたしに連絡をするかどうかの主導権は 差し出された相手側、にある。 わたしが一方的に仲良くなりたい! また会ってお話ししたい! もっと親しくなりたい! って思ったとしても・・・ お相手もそう思ってくださっているかどうかは わかりません。 お相手には わたしに連絡するか、しないかを ゆっくりと考え、選ぶ権利があるのです。 そのとき楽しそうに過ごしてくれていたように見えたとしたって・・・ それこそ「無理」をして合わせてくれていた可能性だってありますから。 だから、「連絡先教えて!」って、それらの配慮を完全に無視した「一方的な暴力」だ。 連絡する権利・主権を簡単に手に入れようとする人は 距離感の概念が少々おかしいことが、 経験上、とても多い。 おかしい、というか・・・わたしとは合わないことが多いです。 別れてすぐ、さっそくテンション高めのメールが来た日には、恐怖さえ感じます。 大変なタイプの人と関わってしまったかもしれない、という・・・ 嫌な予感。 「こちらの望まない連絡」が これからも ずっと来るかもしれない恐怖。 ひとたび知られてしまった連絡先を取り返すこと、なかったことにするのは困難ですものね。 アドレス変える以外、不可能ですから、ね。 (変えても聞かれるでしょうしね) 人付き合いの「輪」の中に、どうしても身を投じなければならない時期、というのが、 人生にはありますね。 特に「ママ」であれば。 子育て時期の優先順位は 「 子 > 自分 」 と なりがちです。 子のためになら、と 頑張った時期。苦手な人間関係の中で奮闘した時期、というがきっと多くの方の記憶の中にあることでしょう。 今、まさに 真っ只中です・泣 という方も おいでのことでしょう。 振り返れば、尊い時期です。けれど渦中、真っ只中とあれば・・・みんな、それこそ必死だ。 何らかの「グループ」に所属することになった時。 1)この人たち失ったら絶対に困る!居場所を失わないようにしなければ! ってしがみつく。 2)何かが起こってしまった場合には、また一人に。 孤高の人に戻ることも厭わない覚悟をちゃんと抱き、その上でみんなと仲良くする。 大切なのって、この違いな気がする。 この心構えの違い。 依存するかしないか。 その集団の未来とか、大人度、とか 関係の良さとか、存続性に 大きな差が生まれます。 「依存のない関係」「密着しすぎない関係」を築くことって、 自分のためだけなのでなく お互いの・・・ひいてはそのグループ全体のため なのです。 一人になることを異常に恐れている人って、顔に、雰囲気に 必ず滲み出てしまいますね。 搾取集団は・・・その弱さを すぐに嗅ぎつけます。付け込まれます。餌食にされやすいです。 向こうも生粋の「プロ」だから。 搾取のプロ(笑) 1人でいることを 恥ずかしいとか 社会的な死、とか つい感じてしまって、 無理をしてしまう、しなければならない気がする時期って・・・ どうしても あると思う。 自分の快適さばかりを優先順位の上位に持ってこられない時って・・・ 生きていれば、どなたさまの人生におかれましても 必ず ありますものね。 子が幼稚園時代に誕生した たくさんのママグループを いくつもいくつも知っているけれど。 園児数の多いマンモス幼稚園でしたから、20や30どころではなかったと思うけれど。 今も友情の続いているグループというのが・・・ 果たしてどのくらい あるのだろう。 だから、仮にその時は苦しくても 時は 流れる。 あの時期は、永遠ではない。 期間限定で、死に物狂いに頑張るのも 良し。 ちょっと冷めた目でやり過ごすのも また良し。 10年経てば みんな みんな「思い出」に 変わります。 そういえば。 「え!なんでなの!?」って よく驚かれるのですが。 わたしは「LINE」というのを やっていません。 これからも、多分、やりません。 なぜか。 とても「便利」で とても「気軽」な連絡手段らしいから、です。 メールはもう面倒臭い。 LINEの方が気軽で 楽で 手っ取り早いって みんな言う。 その「気軽さ」とやらを むしろ怖れるのが、危険なものと感じるのが わたしです。 気軽に連絡って、なにそれ 怖い。 気軽に連絡なんて、お願いだからしてこないで(笑)! 思い立って連絡する側としては 確かにとても便利なのでしょう。 返信も簡単らしい。 「他者との繋がり」が あまりにも気軽になりすぎることに、怖さを感じずにいられません。 しかも「グループ」ってのがあるなどと聞くと・・・ 「うっ」って なる。 1対1なら まだいいが。 「グループ」となりますと、それこそ 諸刃の剣。 違うよ、なに言ってんの!グループこそ便利なんだよ! ってお話なのかもしれませんが、 人間関係の「輪」や「グループ」は・・・もう 現実だけで十分です。 そんなあちこち すずひ、くまなく注意払える自信ないですー。 みなさん、よくミスなく器用に、トラブルなく上手にやっていらっしゃる (;_;)尊敬 たとえば。 このグループしんどいー。もう無理、抜けたいーっ!てなったときは、どうすればいいの? グループの中の1人を、みんなは平気でも 自分だけがどうしてもどうしても苦手なときは? 初めは良くても、だんだん不穏になったときにはどうすればいいの? サクッと抜けたら大丈夫なの? 面倒なことにならないの? なんか、なんか、とにかくそこ渡り歩いてる人たち、みんな、みんな、スゴー (;_;)! ↓ 「はしっこ」とは思えない美味しさに、 すずひ家 大いに盛り上がりました! かつて。(すごい昔の話をしますよ) わたしの若い頃、友人と急ぎの連絡を取るのには「その人の家の固定電話」しかなくて。 いま連絡しても大丈夫かな? 迷惑じゃないかな? 御飯時じゃないだろうか? とか。 夜なら この時間遅すぎないかな? お風呂はいってるかな? 親御さんが電話出たら ちゃんとご挨拶しなければ!とか。 など・・・ 連絡する側、と言うのは、受話器とってダイアル回し、プルル、プルル、という呼び出し音を 聴きながら、たいそう様々なことを考えたり、心の準備が必要だったものです。 連絡を取ろうとするとき。いつも、ちゃんとそこには「緊張」があった。 良い意味での緊張。 非常識な人であってはならない。 という、思い。 その後、喋らなくても済む「FAX」というすごいものが登場して。 やがて「メール」が登場して。 メールで充分なのです。わたしにとっては。 もうこれ以上「便利で気軽」になんてならないで!って願ってしまう。 LINE慣れした人の話を伺っておりましたら、とにかくLINEは 思い立ってから連絡するまでの 手数が メールよりもずっと少なく済んで、楽なのだ、と。 LINEに慣れちゃうと、メールは「アドレス入れなきゃならないところが面倒」なのだそうです。 アドレスが面倒!? そ、そうなんだ・・・。 手紙出すのに 宛名書くのが面倒くさい、って言ってるみたいに聞こえて、 なんか、うすら恐ろしい気がしてしまう。 アドレス入れて。 本文入力して。 送信前には 読み返して。 場合によっては修正して。 それがあるから・・・ そのひと手間にこそ意味があって、その面倒さがあるからこそ、 そこに「連絡ツール」として最低限のマナーが残されるのかな、って、おばちゃんなわたしは つい思ってしまうのだけれど。 そこ 端折ってしまったら・・・ ほんと、ちょっと、何か取り返しのつかないような大失敗しそうで 恐ろしいです。 メールだって、誤送信で肝を冷やしたことのある人も、きっといらっしゃるでしょう? アドレスから宛名ひっぱってくることすら面倒だと感じる程度の内容の連絡なんて・・・ そんな連絡、 わたしなら 正直 いらないわ。 あまりにも気軽に いま何してる? いまどこにいる? とか しょっちゅう聞かれたら わたし 気が狂ってしまう。 どうだっていい用事とか、質問とか、雑談とかで 振り回さないでほしい。 そんなことくらい 他者を巻き込まず ちゃんと自分の頭で考えて自分でやって(叫)!と。 わたし、変人でしょうか(笑) 「コミュニケーション」「人間関係」って、たいていの場合。 気軽になり過ぎたり、緊張感を失ったところから、トラブルが発生しやすい。 ちゃんと慎重であるうちは・・・ トラブルって まず 起こりにくい。 誰かと常に繋がっていたい人にとっては それが喜びなのだろうことは ちゃんとわかります。 けれど、そうでない人にとっては・・・ どこにいても1人になれない気がするツール。 LINEしてなくて困った!よりも「良かった」ことの方が、実はこれまで 断然 多いのです。 謎の招集や、不要な情報や写真の共有や、気の進みそうもない飲み会からも、無事、逃れてくることができた。 巻き込まれる格好になったかもしれない数々の望まないコミュニケーションを、たくさん回避 することができました。 今の時代において、「簡単に連絡がつかないこと」って、何よりの「武器」だな!!! そもそもわたしは、世の中が95%以上携帯所有してる状況の中にあっても、 ギリギリまで拒否していたタイプです。 すぐに持ちたい!って思った人たちとは・・・もともとの脳の構造が違うのでしょう(笑) 今もね。 わたしが1日の中でスマホ触る時間って・・・ 平均2分以下です。 PC派なこともありますが・・・そもそも、スマホというツールに関心がないんですね。 できることなら 今日にも手放したいほどに(笑) あああ、なんだか 大きく脱線してしまいました。 戻ります。 そう。 前回、今回、と。 ここまでお話しさせていただいた わたしの人付き合い混沌期って。 「泥沼期」って。 全て 暮らしを「片付ける前」の お話し、なんです。 ものだらけ。 服だらけ。 欲だらけ。 不平不満だらけ。 無駄な情報だらけ。 そう。 「要らないもの」にまみれなから暮らしていた頃の わたしの話。 片付けて。 ミニマルな暮らしを知って。 わたしを取り巻く人間関係は、大きく変わった。 いや、本当は もしかすると 周りなんて 特になにも変わってなんていなくって、 変わったのは わたしの考え方だけ、なのかもしれない。 部屋が片付き、心が、頭の中が すっきりと片付いた。 すると・・・ 大切なものと、そうでないものが、圧倒的にはっきりした。 すべきことと、必要のないことの境界が はっきりした。 境界線が、ぼやぼやに ずっとぼやけていたのです。 ぐちゃぐちゃに混在していたのです。 自分の課題も 他者の課題も。 大切なものの、どうでもいいものも。 それらを ひとつ ひとつ 整理して。 自分の人生を構成する要素の「優先順位」を きちんと見極められるようになったら・・・ 人付き合いが・・・ 信じられないくらい 楽になった。 ミニマリストさんが つい人間関係の手放しについて 語りたくなってしまうのって、 物を片付けた後の、または並行して、の そういう自分の変化にある日気づくからだと思います。 あれ・・・? わたしの周り、いつの間にか いい人ばっかりになってる。って。 人間関係、すごく 少なく(少なくっていうのは人数のことというよりも、どちらかというと 「心理的負担」が少なく、ってこと) こんなに少なくなったのに。 なったおかげで? 人付き合いが、以前よりもうんと豊かに、そして 楽しくなってる。 常に安心できている。 なんていうのかな。 他者から脅かされない感じ? 自分の世界を侵害されない感じ? ある日気づいて、驚いて、嬉しくなって・・・それで 伝えたくなっちゃうのだと思います。 なんでも捨てた挙句に ついに人付き合いも捨てたった!! ドヤぁ!! とか、 たくさんの人付き合いを大切にしている人に対し「まだそんなことして消耗してるの?www」って、そんな不躾なことを言いたいのでは決してなくって、 物を片付けただけなのに 心も片付いた、ということに・・・ かつて苦しかった人付き合いが とってもスムーズになったことに (苦しんだ人ほど)そんな自分で自分に驚いて、感動してしまっているのだ、と思います。 わたしは、そうです。 まだ つづく 昨日届いた佐川急便の荷物の受け取り、「スマホにサイン」だった。 ああ、印鑑業界よ・・・ にほんブログ村 「新生活シーズンを前に、深く思うこと」シリーズは、もう1回 続きます。 繋がり過ぎなくたって大丈夫なんだよ、って。今 無理しているあなたに、伝わったらいいな。 続きを楽しみに待ってくださって、ありがとう。 今日も読んでくださって ありがとう。 最終更新日 2019.03.14 08:37:56 [ミニマルに暮らす] カテゴリの最新記事
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