遠くの町に、むかしは商売で栄えた家があって、諸事万端、やりくりに苦しんでいた近隣の家ではうらやましいと考えて、なにが繁盛のコツか知りたいと考えたりしていた。
それが代が変わってみると、外からは窺いしれない、見えない所でおかしくなっていたらしくて、なんだか道端で会って短い会話を交わすだけでも、奇妙なことを言うひとたちになってしまっている。
いまの日本の印象といえば、そんなところだろうか。
気のせいかもしれないし、自分の側が日本への関心が少しずつ薄れてきて、気持の上での距離が遠くなってきたからかもしれない。
自分が理解できていると考えている言語ごとに、その言語のいちばん柔らかい部分が露出していそうなサイトを散歩して遊ぶことが多いが、日本語ではツイッタで、日本語は大事にしてきた外国語のひとつなので、自然友達もおおくて、近所のパブで駄弁るかわりに日本語の友達と駄弁ったりする。
ところが急速に日本語が荒っぽい攻撃的なだけの空疎なものになっていて、いや攻撃的というよりも悲鳴に近いといえばいいのか、投げつけるような言葉と呻くような言葉が交錯して、友達は友達で、こちらに顔が向いているときには、見慣れたやさしい、少しはにかんだようなところがある表情をみせていても、知らない人に向かって話しかけているところを横でみていると、苛立った、拳をふりあげたような言葉を使っている。
悪い、というわけではない。
事態が絶望的であるというときに、当の燃えさかる社会のまんなかにいて、のんびり良い天気に晴れ渡った空の話をしていては、そちらのほうが異常だろう。
ただ、なんだかびっくりした気持になって、言語を通してみせる社会の形相が、どんどん凄まじい歪んだものになっていくので、ちょっと寂しい気持になっているだけです。
午後3時で、火曜日ならちょうど仕事を終えて帰る時間なので、医師の友達と新しく出来た菓子屋でコーヒーでも飲もうと考えて病院を訪問したら、ひと足ちがいで帰宅したあとだった。
仕事先からいっぺん帰宅してしまった人間を呼び出してまで会っても仕方がないので、海へでかけることにする。
「海へでかける」というと、少しあらたまったことをするように聞こえるかも知れないが、北島がくびれたようになっているところに位置するオークランドという町は、やたらたくさん浜辺があるので有名な町で、英語ならtucked inという、隠れたように引っ込んでいて、まるで知っている人だけの秘密のプライベートビーチのような浜辺から、タカプナビーチやミッションベイ、セントヘリオスのような長大な砂浜まで、いまインターネットで見てみたら、
「数が多すぎて、いくつあるかは誰も知らない」と書いてあって笑ってしまったが、文字通り無数にあって、外に出て、なにをするか考えつかないと、とりあえずは海へ出るのが習慣になっている。
おおきな枝振りの楡の木陰にクルマを駐めて、芝生をわたって、砂浜に沿って並んでいるベンチに腰掛けて、毎日、明るい青からエメラルドに近い色へ、くしゃくしゃにしたチョコレートの銀紙のようにまぶしく陽光を照らしているかとおもえば、不機嫌な鈍色に、その日の気分によって色を変える海と、その向こうに低くなだらかに稜線が広がるランギトト島を見ている。
日本や日本人のことを考えるのは、国や人間について考えるための最も適切な方法であると信じる理由がある。
日本語の先生は、繰り返し「日本人を特殊だと考えすぎてはならない」と述べていたが、初めはそうおもっていたはずでも、自分の感想では、ほんとうに、ぶっくらこいてしまうほど特殊で、というよりも他の種族と異なっていて、なにもかも逆さまだと言いたいくらい違うが、だからこそ人間に普遍的な問題を見やすい構造をもっている。
しかも日本語は他言語を母語とする人間の理解を拒絶していると表現したくなるほど難解な言語で、実際、なかに分け入ってみると、日本語によって現代的な宇宙像や人間の思考一般、感情の陰翳を表現できるのは奇蹟的な事情によっていて、例えばカタカナ外来語のように、誤解や曖昧な理解、あるときにはまったくの仮の命名であるような言語上のアタッチメントに取り外し可能な語彙や、まったく内容を理解していなくても、なんとなく判っているような顔をして論議をすすめられる言語の特徴が、皮肉なことに、日本語が疑似的な普遍語であることを助けてきた。
多分、おおくの論者が述べてきたように、日本語が外国語の脚注語として発達してきた歴史を持っているからで、初めは中国の文章を読むために乎古止点を発明し、返り点をつけ、送り仮名をつけて、漢字を読み下し、文章そのものを日本語音に変えることで誕生した日本語は、同じ要領で、西洋語、なかでも英語を、従来からの脚注語としての仕組みに日本人の耳に聞こえた音や学習者が綴りから推測した(現実には存在しない)音を母音の少ない日本語で書き表したことを示すカタカナ語や
-ticをつけることを示す「的」を多用して、気分上の理解を喚起する、フランス的、民主的、という言い方を考案して、なんとか消化してこなそうとした。
明治時代に頼山陽が書いた漢詩を読んで吹き出した中国人たちは、一方で、夏目漱石が書いた漢文を読んで、これを書いたのは中国人に違いないと述べたという。
漢文を外国語として学んだ日本人と日本語化された漢文を本来の漢文と信じて磨いていった日本人が、漢文吸収の当時から居たわけだが、不思議なことに西洋語については、西洋語を西洋語のまま習得する日本人は皆無とは言わないまでも稀な存在になってゆく。
それにはカタカナだけで考えてもメリケンがアメリカンに表記を変えてゆく日本の英語教育が介在して影響しているはずだが、ここでは云々するのをやめておきます。
翻訳や通訳は本質的に便宜だけのもので、落ち着いて考えればあたりまえだが、日本語や韓国語のようなグループの言語を英語やフランス語のグループに「翻訳」するのは不可能作業で、それが可能であると考えるのは人間の歴史文化に対する理解が浅薄なのにしかすぎない。
離れ離れに歴史をつみかさねていった欧州やアジアの地方地方の文化が、ようやく接点をもって、境界を共有して、少しづつお互いの領域を浸潤しはじめたのは、インターネット以後の世界の特徴で、長く見積もっても20年の歴史しかないが、
ここが始まりで、もう百年もすると、あるいは日本語をフランス語に「翻訳」できるようになるかもしれない。
まさか、そんな軽薄な理解をする人がいるとはおもわれないが、いままでも瀬川深とかいう、作家だと名乗る人が、とんでもない、高校生が受験英語のレベルで考えるにも失笑されるような浅薄な理解で見当違いな反論を書いてきたことがあったので、念のために述べておくと、ここでは技術的な誤訳というようなことを述べているのではなくて、最も言語が異なることの影響が小さいはずの名詞であってさえ、例えば、おなじ「左手」であっても、うっすらともともとはカトリシズム経由の邪悪な手のイメージがまとわりついている西洋語や、不浄な印象を刻印されているヒンドゥー語の文脈のなかに置かれていると、日本語の左手とは違う言葉だということを述べている。
きみは笑うかもしれないが、眼の前におかれているスプーンでさえ、英語で見ているスプーンと日本語で見ているスプーンでは違う物体なんです。
互換性がない言語は互換性がない社会を形成する。
翻訳文化は言語を一定のルールと定石にしたがって置換してゆけば他文化を自文化に血肉化できるという、根拠のない、一種の宗教的な信念だが、百年以上に渉って誤解をつみあげてきた結果が、いまの日本の「近代」社会で、それは西洋の側からみると、おおまじめに演じられてきた演劇であって、しかも、近代の初期に国家の発展には寄与しないと明治人たちが判断したintegrityというような単語の多くは初めから省かれている、畸形的な言語に基づいた社会だった。
人間は自分の姿を見ることはできない。
鏡という前後が逆になった自己の映像を観ることはできるが、その「観る」が平たい言葉をつかっていえば曲者で、若い男が鏡のなかに見いだす自分の顔は常に整った容貌で有名な俳優の誰かの影響をうけて現実よりハンサムであるのは、誰もが知っている。
鏡がならぶレストランのトイレで、すぐわきに見慣れない顔をした見知らぬ他人が立っていて、飛び退くような気持で、あらためて観ると、自分の横顔だったという経験をしなかった人はいないだろう。
この頃、到底好きになれない言葉だが「マウントをとる」という言葉が流行っている。
あるいは、昔から「猿山の大将」というでしょう?
猿では例えが悪すぎるが、人間は自分の姿を観ることはできなくても、自分ととても似ているが、異なるものからは自分の姿を読み取ることは出来て、西洋人にとっては、日本人と日本人の社会は自分のことについての省察に最も向いているし、日本人にとっては西洋人の社会は自分たちを省みるのに資すべきものであると思う。
日本社会が西洋の人間にとって最も観察に好適なのは日本の西洋化の努力が古くからのものであることによっている。
ちょっと酷い言い方になるが、もうひとつは、その努力が多くの局面では頓珍漢なものだったことにもよっていると思います。
日本の人自身も気が付いているのではないかとおもうが、日本の西洋化への努力に端を発した歴史のなかで最もうまくいったのは科学で、理由は言うまでもない、例えば物理学は翻訳もなにもしない、もちろん方言はあってお国訛りはあるが、共通語の数学をそのまま使ってやってきたので、母語で物理学をさっさと修得しうるという「翻訳」の良い面だけが発揮されたからでしょう。
翻訳文化に最も感謝すべきなのは科学を学ぶ学生であるのは、日本の人なら、あるいは直観的に誰でも知っていることなのかも知れません。
この十年、日本を見つめてきて、学習することがたくさんあった。
いろいろな偶然が重なって、自分にとっては日本は特別な国です。
就職にも何にも利用しないのに日本語をやってどうするんだ、と昔からときどき聞かれたが、スペインの社会について興味をもてばスペイン語を勉強することから始めるのは、あんまり検討さえしないでひとり決めにしまったぼくのルールで、言語の習得は劇的な要素こそ欠いているが毎日淡々とやっていれば、それ自体が楽しい遊びになってゆくもので、準母語に近付いてくると言語ごとに別の人格のようなものが生じて、複数の言語になじんだものにしか判らない醍醐味がある。
それはおおげさにいえば、認識の数だけ宇宙が存在する事実と呼応している。
今年も日本から招待される用事がいくつもあったが、全部断ってしまった。
旅費から何からみんなだしてくれて、行けば毎晩のように豪華な食事が並ぶ晩餐が饗されるのもわかっていて、行かないのはケチな人間としてはもったいなくもないが、別に日本が嫌いなわけではなくて、最も正直な気持ちを述べれば「めんどくさい」のだと思う。
いまさら言わなくても知ってるよ、と言われそうだが、ぼくはとてもとても怠け者なんです。
特に根拠もなく二十代までは隙さえあれば旅行すべきだと考えて、多い年は、自分でも言っていてもほんとうに聞こえないが40回以上海を越えて旅行に出かけている。
長じては、ひとつの町に数ヶ月住みながら転々としたりしていた。
今度は一箇所にsettle downすべきときなのでもあるでしょう。
しばらくはメルボルンとオークランドとクライストチャーチ、あと今年の冬からはクイーンズタウンも範囲に含めようとおもっているが、うろうろして、暖炉に火をくべながら小さい人や猫さんと、空想の世界や現実の世界の話をしたりして、モニさんとふたりで、楽しい時間をすごすだろう。
この頃は、ちょっと「怖いもの見たさ」みたいになっているけど、ちゃんと日本語にも遊びに来ます。
ステーキ&チーズパイやソーセージロールを頬張りながら、海辺のベンチに腰掛けて、日本のことを考えるんだよ。
あの国。
苛酷で、悪意の暗い海のような社会に、善意といっそ子供じみているような純粋さが、そここに点在して、か細い光の星のように瞬いている国。
理解を拒絶した縦書きの垂直な言語が屹立している、この世界でただひとつの国。
変わった国だけどね。
よい友達がたくさんいるんです。
やっぱり、楽しいもの。