ハワイでフラを学ぶ・・・とても幸せで恵まれたことだと心から感謝しています。ただ、ちょっぴり甘えたことを言ってしまうと、フラに限ったことではなく何においてもそうであるように、もちろん楽しい時間だけではありません。そこから生まれる感情や考え方は、本当に人によって違うものなので、今回のコラム、ここから先はあくまで私の個人的な意見として読んでいただけたらと思います。
フラを続けていくうちにでてくる様々な悩み。時にはフラシスターなどとシェアすることもあります。そんな中、心のうちを話せるフラ仲間とだけシェアしたことのあるトピックが「フェイバリティズム」について。この言葉を日本語で敢えて簡単に言うとするならば、「えこひいき」でしょうか?クムも人間です。好き嫌いがあるのも当然でしょう。でも、私はハワイの文化の一つではないかと感じるフェイバリティズムもあると思うのです。
例えばステージに立てる人、立てない人。華やかなポジションに位置づけられる人、ステージから見切れるような位置の人。人前で踊るチャンスがでてくると、細かいカテゴライズも見えてきます。初めは踊ることができるだけでも幸せな気持ちが溢れていたのに、欲がでてきてしまうのも自然な流れだと思うのです。それは向上心の表れでもあるはずだから。
そんな時、必ずしも実力と比例していない状況を目の当たりにする場面もでてくるかもしれません。「あれ?この人は余り練習に来ていなかったような・・・」、「別の子の方が実力があるように見えたのに・・・」など、周りの状況を把握できる余裕が出てくると尚更そう感じるのでしょう。そして周りの様子だけでなく、ご自身の状況としてとらえても、違和感を覚えることがでてくるかもしれません。
実力を越えた部分でのクムの判断は、ファミリーを大切にするハワイらしく、家族単位で考えることが多いのではないかと思うのです。ご両親や兄弟、姉妹、親戚などが同じハラウに所属しているため、すでに家族としてハラウやクムと繋がりがある場合、何らかのチャンスに優遇されるという事実は、正直、時折目にします。違うハラウでも同じような状況が多くあると聞きます。 このフェイバリティズムは、好き嫌いの好みというより、クムとの歴史だったり、ハラウへの貢献度だったりするのではないでしょうか。具体的な例えを挙げるならば、若くまだ経験値がそれほど高くない一人のダンサーがいたとします。誰もが認めるほどの将来性を発揮している訳でもありません。しかし、そのダンサーのご両親など家族がハラウとの繋がりが深かったり貢献度が高かったりする場合、チャンスを与えられやすい。それがフェイバリティズムとして映るのではないでしょうか。
だとすると、私たち日本人にとっては、はっきりいって中々難しい状況です。ハワイで生まれ育った場合以外は、基本的に家族がハワイにいません。個人でハラウと関わる場合がほとんどです。でもだからといって、変えられない事実を嘆いていても何も進展しないのです。寧ろそれはハワイの文化として受け入れてしまった方が随分楽になると思うのです。私たちはハワイの文化を学ばせてもらっている、つまり「受け入れるとは何か」もここから学べるはずなのです。そして、少しずつでも自分で歴史を重ねていくしかないのです。自分で築いたことから得られるものは、喜びもより一層大きくなるような気がしませんか?
まるで子どものように嫉妬を露にする人も時折見かけますが、そんな感情を大人になって抱く、そしてその解決法を考えられる機会を与えられていること自体も有り難いことなのかもしれません。全ては考え方次第。心からの笑顔で踊るダンサーになるには、ひとつひとつが「学び」なのかもしれませんね。私たちはハワイの文化を学んでいます。フェイバリティズムも文化として受け入れてみませんか?
ただ、単に個人的感情を押しつけられ、それを尊敬できると思えないのであれば、ハラウをかえることを考えてもいいのではないかと私個人的には思います。いろいろなことをパワーに変えて、お互い頑張りましょうね!
プロフィール
荒川 れん子
現在ハワイ在住フリーアナウンサー。本格的にハワイに拠点を移し14年目。その大半をモロカイ島という小さな島で過ごせたことに感謝の日々。現在はオアフにも拠点を持ち、できる限りモロカイと行ったり来たりしている。
ソニー・ミュージックアーティスツ所属
オフィシャル・ブログ『ALOHA♡Life』