インドネシアから強制送還!?の巻
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東西ティモールの国境からミニバスで1時間ほどで、ティモール島中部の町・アタンブアに着きました。東南アジアのどこにでもあるような活気のある町です。インドネシア領内に入ってまず実感したことは、やっとまともな世界に帰って来た!ということ。何しろヒガチモでは建物といえば廃墟ばかりで、物がない、宿がない、まともな食事がない、物やメシが豊富な店は国連の外国人スタッフ御用達で値段も高く、まるで国連の植民地といった感じでした。それだけインドネシア併合派の民兵による破壊行為が凄まじかったわけですね。西ティモールはもとからインドネシア領なので破壊は受けていません。
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おなじみのマークが・・・。東南アジアでは「味の素」はブランドですね。そしてどこでも日本語の商標をそのまま押し通している のですが、インドネシアは華人抑圧政策で禁止じゃなかったっけ?「味の素」は日本語だからいいのか、スハルト政権が倒れてから付け足したのか・・・?前の年の味の素の看板 を見ると漢字がないので、スハルト政権が倒れてから付け足したようです。でも、インドネシアではこの後まもなく、「味の素の原料にイスラム教でタブーとされる豚が使われていた」と大騒ぎになりましたね。
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アタンブアには大規模な東ティモール人の難民キャンプがあります。99年の併合派民兵による暴乱で人口89万の東ティモール人の多くが難民となり、西ティモールへ逃げて来ました。その後、国連による暫定統治で難民は東ティモールへ戻っていったのですが、この当時まだ12万人が西ティモールに残っていました。難民の帰還が停滞していたのは、インドネシアの統治下で公務員をしていた人やインドネシアに協力的だった人が独立派による復讐を恐れていたことや、併合派民兵が難民キャンプを支配していて東ティモールへ戻ることを許さなかったりしたためです。
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この頃、併合派民兵は国境地帯でしばしば国連のPKF部隊を襲撃していましたが、「東ティモールがインドネシアから奪われたのは外国のせいだ!」と難民支援にアタンブアへ来ている国連やNPOのスタッフを襲う事件も起きていました。さすがに怖かったので、人がいないのを見計らって難民キャンプの入り口だけ撮影してきました。
さて、その夜。宿で自分のパスポートを改めて見ていたら、あっ、インドネシアの入国スタンプが押されていないじゃないか!国境のインドネシア側のボーダーでは係官たちが私のパスポートをペラペラめくったりしてたので、その時はスタンプを押したんだろうと思い込んでいましたが、どうやらマヌケな係官が押し忘れたようです。そのまま西ティモールをまわってバリ島へ行き、香港へ帰るとなると(当時私は香港に住んでました)、バリ島の空港で面倒なことになりそうな予感がしたので、とりあえずアタンブアの警察署へ行って事情を話し、入国スタンプを押してくれるように頼みました。でも、宿直の警官は「事情がよくわからないから、明日の朝また来て」ということで、宿に帰って寝ました。
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で、翌日改めて警察署へ行くと、不法入国の現行犯ということでそのまま拘留されてしまいました。あっ、ちなみにこの写真はあくまで「ヤラセ」ですからね(笑)。
もちろん私は「東ティモールからちゃんと正規のボーダーを通ってインドネシアへ入国したし、国境の係官もパスポートをチェックした上で通してくれたのに、なんで不法入国になっちゃうの?スタンプ押し忘れた係官が悪いんでしょ!」と抗議しましたが、警察署の署長さんが出てきて説明するには、(1)あなたが入国したルートは正規のボーダーである、(2)しかしそのボーダーに設置されているのは税関だけで入管はない、(3)ボーダーの係官は税関としてあなたのパスポートと荷物を調べたが、入管ではないので入国スタンプは置いてないし押しようがない、(4)入管についてはインドネシア政府が東ティモール側と協議中なのでまだ設置していない、(5)ちなみに地元民はパスポートなしで通行できることになっているし、国連関係者はインドネシア政府の許可を得て通行しているので問題ない、(6)よって、あなたは税関の審査だけ受けて入管の審査を受けずに入国したので不法入国である・・・とのこと。
で、「不法入国の現行犯」にされちゃった私はどうなるの?と言えば、「ん~、あんたは悪いことしたわけじゃないし、自ら名乗り出て来てくれた。税関の係官だって税関の仕事はちゃんとした。よって、何もなかったことにするのが一番だ!」。つまり私をこのまま東ティモールへ送り返してしまい、インドネシアに入国しなかったことにするらしい。それって「国外退去処分」のこと?と思うのですが、署長サン曰く「不法入国による国外退去処分はあんたの名前がブラックリストに乗るが、入国しなかったことにして送り返すせばブラックリストに乗らないよ」と、大岡裁きでもしたつもりになって得意顔です。
う~ん・・・かなり納得いかないところがありますが、署長サンは「『入国しなかったこと』に同意しなければ、不法入国で退去処分になるから、結局東ティモールへ送り返されちゃうんだよ。どっちがいい?」とか言ってるし、ま、予定が決まってるわけでもないから、野次馬的な価値判断では、東ティモールへ送り返されてみるのも一興かと思って、「じゃあ、入国しなかったことにします・・・」と申し出ました。すると、署長さんは機嫌良く昼飯をおごってくれました。
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一緒にご飯を食べながら、署長さんや他のインドネシアの警官たちは「こんなフレンドリーな日本人は見たことが無い!」としきりと誉めてくれます。確かに私はへろへろした人間ではありますが、むしろ人当たりが悪いくらいです。どうしてかなーと考えましたが、たぶん「まず最初にみんなにタバコを勧めた」からでしょう。周囲の男にとりあえずタバコを勧めるという行為は、十数年前に中国を旅行してから身に付けたのですが、今でもアジア各地の田舎では立派に「挨拶」として通用します。「外国人に対して笑わない」と評判だった(?)独立ゲリラがニッコリ記念撮影してくれたのも、タバコのおかげでしょう。
東ティモールの国境までは、署長さん自らが運転してパトカーで「護送」してもらいました。道すがら、署長さんは「俺はバリ島出身なんだ。ウチの署には地元のティモール人もいれば、ジャワ島、スマトラ、カリマンタン、セラウェシといろんな島の出身の奴がいる(上の写真右端のおまわりさんはセラウェシ島出身でおじいさんが日本人(元軍人)だそうです)・・・。それでもみんなインドネシア人として仲良くやってるのに、なんで東ティモールの連中だけは独立、独立と騒ぐんだ?独立と言いながら、オーストラリアや国連の外国人に支配されちゃってるじゃないか!」と怒っています。警察署長だから体制寄りの代表者ですが、これがインドネシアの多くの人の偽りのない気持ちかも知れません。私は「やっぱり、 サンタクルス事件 のせいじゃないですか?」と言うと、署長さんは「う~ん、あれは本当に悪かったな。ああいう風に暴力で押さえつけつけたら、東ティモールの連中は怒るよなぁ」と独り言のように納得していました。
ちなみにこの1ヶ月後、アタンブアでは併合派民兵が暴動を起こし、難民対策に当たっていた国連スタッフ3人を殺害。さらにその後、民兵の武器回収をしていたアタンブア警察署を襲撃して武器を奪う事件が起きました。あの署長さんは果たして無事だったでしょうか?
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インドネシア側国境で出迎えにきていた国連のバングラデシュ兵に引き渡され、東ティモールの国境の町・バドゥカデへ着いたのは夕方。こんな時間にディリへ向かう車が拾えるかどうかわからないし、宿屋なんてないし、どうしようと途方に暮れましたが、売店にたむろしていた生意気そうな女の子たちによれば「6時頃にディリへ行くバスが通るはずだよ」とか。
「あんたケでしょ?シッファン!シッソイ!きゃはは!」だなんてからかってきます。私はケ(=客、客家系中国人のこと)じゃありませんが、「シッファン、シッソイ」はたぶん食飯(メシを食う)、食水(水を飲む)の意味だろうなぁ・・・ということくらいは、香港に住んでいたおかげでなんとなくわかります。日本でよく知られている中国語といえば、北京語の「ニーハオ、シェーシェ」ですが、東ティモールでよく知られている中国語は客家語の「シッファン、シッソイ」みたいですね。ディリでもロスパロスでも中国人に間違えられると、いつも「シッファン!シッソイ!」と声をかけられました。
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6時頃にディリへ行くバスが通りかかり、乗り込んだのはいいものの、な~んにもない山の中でさっそくエンコ。修理に2時間くらいかかってディリに着いたのは夜中でした。
翌々日、おとなしく国際線の航空券を買って、バリ島経由で無事帰りました。ちなみに、バドゥカデの国境を越えてインドネシアへ入り、パスポートに入国スタンプが押されていないままインドネシアを出国しようとした日本人は他にも何人かいたそうですが、みんな空港で目玉の飛び出るような罰金を取られたそうです。私のように素直に「自首」して強制送還された方が安くつきましたね(笑)。あ~あ、いろいろあって、面白い旅でした。