東西ティモールの国境最前線をゆく

 
東ティモールへはインドネシアのバリ島から飛行機が出ていますが、独立が決まったので飛行機も国内線から国際線に変わり、前の年に乗ったときと比べて運賃は倍以上に跳ね上がっていました。そこで行きは飛行機で入りましたが、帰りは陸路でインドネシア領の西ティモールへ入って、国内線の飛行機で安くバリ島へ戻ろうと思います。陸路は前年にも通ったのですが、東西ティモールの国境線が新しくできて(というか復活して)どう変わったのかも見たかったし、できれば西ティモールにある東ティモールの飛び地・オエクシにも寄ってみたいな・・・などと呑気なことを考えてました。

1999年に行った時には東西ティモールの間をバスやミニバスが頻繁に走ってましたが、2000年には直通の交通手段はなくなっていました。首都のディリから国境の町・バトゥガデまで行くバスも見つかりません。とりあえず途中のリキサという町までミニバスで行き、そこからヒッチハイクするはめに。運良く国境地帯へ向かうという日本のテレビ局のトラックが通りかかったので荷台に乗せてもらえました。トラックに乗っていたのは下請けのティモール人スタッフだけで、「日本の女と結婚したいけど、どうせ無理だろう・・・」とかブツブツ言ってます。「あんたが金持ちならできるんじゃないの?」と言ったら、「そうだよな~、万国共通だ」と元気になってました。

国境の町ってたいていマーケットがあって賑わってるものですが、売られている物は大したものじゃなかったりしますね。むかし乗った関釜フェリーにはバナナを背負った担ぎ屋のオバサンがたくさん乗っていたし、マカオ~中国本土の国境ではサンダルの担ぎ屋、沙頭角(香港~中国本土)ではシャンプーの担ぎ屋がいました。

この日の朝は西ティモールへ逃れた東ティモール難民と、東ティモールへ戻ってきた人たちとの面会があったようで、帰ってくる人たちで大変な人出でした。でも、国境へ向かうのは私だけ。国境地帯は車両通行止めならバスが走っているわけないですね。何気にドクロマークが・・・。

  

当時東ティモールを暫定統治していた国連のPKF部隊が警備をしていましたが、装甲車などを繰り出してかなり厳重な警戒をしていました。数日前にPKFのニュージーランド兵が、西ティモールから侵入したと見られるインドネシアとの併合派民兵に襲われて殺害されるという事件が起きたばかりだったので、厳戒体制を取っていたようです。後で知ったのですが、この日もオーストラリア軍と民兵が国境付近で撃ち合うなんて事件が起きていました。

装甲車にキョンシー?オーストラリア軍かな?

いたるところに鉄条網と土嚢があり、道路脇の沼地では白人兵が泥まみれで匍匐前進してたりして、思わずここはベトナム戦争か!?と思っちゃいました。昔読んだ筒井康隆『ベトナム観光公社』のノリですね。塹壕もあってカモフラージュしてありましたが、併合派民兵は飛行機持ってるわけじゃないのに、上空からわからないようにしても意味ないのでは?と思います。

  

面会帰りのティモール人たちはいなくなり、私1人国境へ向かってトボトボ歩いていきます。重い荷物を引きずりながら暑くてヘロヘロ歩く姿がウケたのか、沿道の兵隊さんもこっちを見て笑ってます。オーストラリア、ニュージーランド、アメリカ、ブラジル、ポルトガル、バングラディッシュ、ナイジェリア・・・いろいろいたなぁ。

3kmくらい歩いてやっと東ティモール側のボーダーに着きました。前年通った時は単なる田舎のチェックポイントだったのに、1年経ったらすっかり様変わりして殺伐とした光景になっていました。ここで世にも珍しい(?)国連の出国スタンプをパスポートに押してもらい、中間の非武装地帯に入ります。

東西ティモールの国境線は小さな川で、その両側1kmくらいが非武装地帯になっているようです。沿道には家もあって人が住んでいますが、国境が復活して面食らってるんでしょうね。99年の住民投票では、国境地帯ではインドネシア併合支持の住民がかなり多かったようです。歴史的にみれば 国境の両側には同じ部族が住んでいたわけですからね。

西ティモール、つまりインドネシア側のボーダーが見えてきました。こちらの風景は1年前とほとんど変わってません。

  

東ティモール側と違って、こちらはピリピリした様子はまったくありません。インドネシアの国境警備兵(というか、POLISIとあるから警官ですね)はのんびりした感じです。民兵に狙われているのは国連の部隊だけですからね。詰所にいた人たちが全員出てきて、私のパスポートをぺらぺらめくりながら「日本人か、珍しいねぇ~」などと言い合ってました。ここから国境に近い町・アタンブアまでミニバスが出ています。

前の年に東西ティモールを横断した時、ここは国境線ではありませんでしたがかなりビクビクしながら通ったので 写真は撮りませんでした。今回は国境となって、特に東ティモール側は戦場みたいな光景になっていましたが、私自身は身の危険を感じなかったので写真を撮りながら安心して通ることができました・・・・と思ったら、後でトンでもないことになり、翌日インドネシアから強制送還させられてしまいました!

一体ナゼ? つづく・・・
 
 

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