日本軍のヒミツ基地を探検する


第2次世界大戦ではインドネシアと同様に、東ティモールも日本軍が占領していました。あれ、ポルトガルって中立国じゃなかったの?と思いますが、戦争が始まると東ティモールはオーストラリアに近いので「たぶん日本軍が占領して豪州上陸作戦の基地にするだろう」とまず連合軍が上陸し、それに対抗して日本軍も上陸したのです。連合軍の一部は山に立て篭もって終戦までゲリラ戦をしていたのですが、やがて連合軍による空襲も激しくなって、日本軍も山に秘密基地を作ったとか。で、そのヒミツ基地の跡がバウカウの南の山奥にあるというので、さっそく探検してみようと思います。

バウカウからミニバスで現地へ向かいます。ドアや窓を開け放って走ってますがそれでも車内は厚いし、かといって屋根に乗っても日差しが暑いし・・・ま、熱帯だからしょうがないですね、

  

どこかの村に着きました。村の名前は忘れました(苦笑)。まぁ、ヒミツ基地の話なんでヒミツということで・・・。炎天下で村のマーケットが開かれていて、かなり賑わっていました。

  

竹筒に牛肉を入れて蒸し焼きにするのがこの地方の名物料理なのかな?試しに食べてみたかったけど、竹筒1本分の肉は多すぎるのでやめときました。

PKF部隊は県ごとに担当が決まっていて、国連スタッフの間では「ラウテン県は韓国軍が担当しているから治安がいい」とか「ビケケ県はフィリピン軍担当だから行かないほうがいい」などと言われてました。バウカウ県はタイ軍が担当していて、タイ兵がマーケットで肉を買っていました。売っているのは元独立ゲリラの人。どっちも迷彩服を着てるのでちょっと離れて見るとよくわからないですね。ま、迷彩服ってそのためのものですが・・・・。

国連の旗が翻る村役場。国連が暫定統治していたので、そうなります。

  

ポルトガル時代に建てられた学校。正面に「1933」と書いてありました。内部は廃墟のようになっていましたが、99年の暴乱前まで使われていたようです。

  

さて、ミニバスを乗り換えてヒミツ基地がある奥地へと進みます。沿道の民家は二昔前の日本の農村の家みたい(左)ですが、よく見たら全然違いますね(右)。

秘密基地だったんだから入り口を探すのが大変かな・・・と心配していましたが、街道沿いにあったのでミニバスから見えてすぐわかりました。ここは連合軍の空襲に備えて武器弾薬や食糧を隠していた場所らしいので、道路沿いにあって当然なのかな?でも中に毒蛇がいたらどうしよう・・・と入るのをためらっていたら、近くのガキの皆さんが「野次馬の野次馬」に集まってきたので、彼らに案内してもらいました。あれ、でもよく考えてみたら毒蛇って後を歩いている人のほうが噛まれやすいんだったっけ?

   

秘密基地は岩をくりぬいて作られていました。大人が少し背をかがめて通れるくらい。入り口があちこちにあるので、内部は思ったより明るかったです。

戦前、ポルトガルの植民地支配の下で、東ティモールには各地に先祖代々のリウライと呼ばれる土候(ひらたく言えば酋長)がいたのですが、戦争でリウライたちも連合軍と協力して日本軍に抵抗するか、日本軍と協力して連合軍と戦うかの選択を迫られました。マヌファイのリウライは連合軍に味方してゲリラ戦で戦死し、一方でこの一帯を治めていたリウライは日本軍と協力したため戦後逮捕され、アタウロ島の刑務所で獄死したそうです。

当時の日本軍とリウライや住民との様子については、前田透『チモール記』という本に詳しいです。筆者はこの秘密基地に近いオッスという町に、宣撫班として派遣されていた元将校の方なので、描写が生き生きとしています。
 

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