プノンペンにはたいした観光地はありませんでした。王宮と「上野の山」みたいなプノンの丘と、中央市場くらいでしょう。しかし、ポル・ポト政権時代にキョーミがある人には、こんな「名所」がお勧めです。
市内のド真ん中にある元高校の校舎。ポルポト時代には政治犯の収容所となっていました。
入口の門はかつて絞首刑に使われたそうです。
教室は独房に使われました。この収容所にはのべ数千人が収容されたのですが、そのほとんどは処刑され、生き残っていた人も、ポルポト政権の崩壊時にまとめて殺され、生きて救出された人は7人だけだったそうです。床には当時の血痕がそのまま残っていました。
お次ぎはプノンペン郊外の「キリング・フィールド」です。畑の中に処刑された数万人の死体が埋められ、掘り出されたドクロが展示されています。
鉄砲の弾がもったいないということで、処刑方法は撲殺が主だったようです。ドクロを見れば一目瞭然。なおこの一帯にはまだ骨が埋まっていて、私も歩いていたら歯を見つけました。
さて、こちらはその昔、カンボジアが平和だった頃、日本の援助で作られた「ニホン橋」です。行き交う人も多く一見何の変哲もない橋に見えますが…。
橋は途中でプツリと途切れています。この橋は70年代前半のロン・ノル政権の時代に、ポル・ポト派+シアヌーク派の連合ゲリラ軍によって破壊されてしまいました。
で、その後、橋の廃墟は「観光名所」となり市民が見物に詰めかけて、屋台も集まって大賑わいでした。
現在では再び日本の援助で橋は再建されています。
さて、こうして市内を野次馬的に観光していたのですが、翌日から突然カンボジアの「国賓」となってしまい、専用車で改めて市内観光に連れて行かれました。