【首都スポ】男子バレーのエース、石川祐希の野望「東京五輪でメダル」2019年3月12日 紙面から
2020年7月24日開幕の東京五輪まで、12日で500日。バレーボール男子で、日本復活の鍵を握る代表のウイングスパイカー、石川祐希(23)=中大卒=は今季、プロとして世界最高峰リーグ、イタリア1部(セリエA)のシエナと契約した。来るべき五輪に向け、日本のエースはどんな課題を掲げ、成長を遂げようとしているのか。そして、思い描く未来予想図とは? (田中夕子) 学生時代から数えればイタリアで迎えるシーズンは4度目。日常会話はもちろん、チームメートとのコミュニケーションも円滑で、試合中も積極的に周囲へ声をかける。 シエナはセリエA2からセリエAに昇格したばかりで、24戦を終え2勝22敗。勝敗だけを見れば苦戦が続いているが、石川の表情はいたって明るい。
「監督に使ってもらえて、ずっと試合に出続けられていることも大きい。今は自分の状態もいいですし、試合に出て、それなりのパフォーマンスができているので、結果以上に満足しています」 リオデジャネイロ五輪は最終予選で敗れ、出場がかなわなかった。さらなるレベルアップを目指し、中大在学時からイタリアでプレーするも、日本代表、大学とあわせた過密スケジュールで体は悲鳴を上げた。体調面を考慮し、昨季はトレーニングや体づくりに時間をかけ、昨年9月の世界選手権(イタリア)に挑んだが、結果は1次リーグ敗退だった。 これまではまず、自身のレベルアップを重視してきた。だが、エースである以上、評価されるのは自らのパフォーマンスだけではない。 「海外で自分のレベルを高めることができているからこそ、自分の評価だけでなく、日本代表として、バレーボールの注目度を高めるためにも、結果を残したい。今まで以上に、そう思うようになりました」 高さもパワーも上回る海外勢に対し、日本がどう勝つか。サーブ、スパイクなど個々の技術力向上はもちろんだが、石川は「強い集団になるためにはもっとバトルがあっていい」と言う。
「海外のクラブでは、選手も監督もプロとしてお互いの意見を主張し合います。理不尽なことも多いですが、そうやってぶつけ合って、個性の強い集団がチームをつくる。でも日本だとそこまでやらずに、悪かった、とか、何でもOK、で終わってしまうこともあります。ぶつかり合う分ストレスはありますが、そういう環境だからこそメンタルも強くなる。オリンピックまで限られた時間の中で、どれだけ本気になれるか。それに尽きると思います」 バレーボールを始めた小学生のころから、自分でプレーをするのは好きだったが、テレビや会場で日本代表の試合を見た記憶はほとんどない。当然ながら五輪もさほど興味がないどころか、数ある国際大会と何が違うのか。その区別もついていなかった。 だが自身がエースとして日本の期待を背負い、経験を重ね、五輪に出られない悔しさも味わった。そして大学を卒業後、多くの同級生たちが日本の企業チームへ進む中、1人のプロ選手として海外へ渡り、広い世界を知ることで今まで以上に意識も変わった。 幼いころにはわからなかった「五輪」の重みも、今は理解しているつもりだ。 「オリンピックは特別で、限られた選手しか出られない。ましてやそれが東京で開催されるのだから、なおさらです。だからこそ、そこで簡単に『負けました』で終わってしまったら、かっこ悪い。やるからには勝ちたいですから」 東京五輪に向け、卓球やバドミントンなど個人競技のみならず、W杯出場を決めた男子バスケットボールなど、多くの競技がすでに国際舞台で結果を残し、注目を集める。残念ながらその中で、男子バレーの評価は高くないのが現実だ。 だが、だからこそ負けず嫌いのエースの闘志にも火が付く。 「『勝てないだろう』と思われているからこそ、東京オリンピックでメダルを取りたい。評価を覆したいです」 東京五輪まで500日。石川も、男子バレーも、ここからもっと、強くなる。 <石川祐希(いしかわ・ゆうき)> 1995(平成7)年12月11日、愛知県岡崎市生まれの23歳。192センチ、84キロ。愛知・星城高2~3年時に全国高校総体、国体、全日本高校選手権で2年連続3冠。2014年に日本代表に選出され、15年W杯、昨年9月の世界選手権に出場。昨春中大を卒業、プロバレーボール選手として渡欧し、現在はイタリア・セリエAのシエナでプレー。 ◇ 首都圏のアスリートを全力で応援する「首都スポ」。トーチュウ紙面で連日展開中。
|