タイ・ミャンマー国境地帯4
ドイ・メサロンからチェンマイに向かう道は開通したばかりで舗装工事も進んでいました。沿道には小さな落人村が散在していて、これはその1つのサンティスク村。タイの農村とも中国の農村とも違い、なんか日本の農村みたいな雰囲気でした。
サンティスク村に定住した落人さん達。後ろには中国式の「対聯」とタイ王女の写真のカレンダー。恐る恐る「昔はやはりアヘンを栽培されてたのですか?」と尋ねたところ、「ワシらがアヘンなんかいちいち植えるか。そこらの少数民族の連中を鉄砲で脅してアヘンを植えさせていたんじゃよ!」と笑われてしまいました。あ、そりゃそうですよねぇ、愚問をしちゃいましてすみません・・・・。ここは国境に近く、ミャンマー側へ移ったクンサーの拠点はわずか数キロの地点にあるそうです。
その後、96年になってクンサーはミャンマー政府に投降しました。アメリカ政府は再三クンサーの引き渡しを要求していましたが、ミャンマー政府に拒まれ、今ではヤンゴンに住んでいて麻薬ビジネスで稼いだ資金をもとにA/Wという財閥を率いています。
チェンマイ近郊のフォン県のシャン族の村。シャン族はタイとミャンマーに住んでいますが、タイ人と非常に近い関係にあり、タイのシャン族は「タイ」と自称しています。村人を見てもほとんどタイ人と見分けがつきませんが、お寺の様子はだいぶ異なっています。入口の狛犬と木造の仏塔が特徴的ですね。
シャン族の村から1キロほどのところにも、国民党の落人村がありました。
村の入口には「1949年、中国大陸は赤色地獄に陥り、奴役にされるのを潔しとしない人々は難民となり、数十万人がタイ、ビルマ、ラオスなどへ向かった・・・」の書き出しで始まる碑文がありました。碑を作ったのは台湾政府で、「村民一同タイ国王陛下の御恩情に感謝」と締めくくられていました。
村の家々も台湾政府の援助で建てられたものが多いようです。一昔前の台湾の田舎の住宅地のような雰囲気が漂っています。
国民党兵士の落人たちは当然のことながら男性が中心で、周辺の少数民族の女性と結婚したケースも多かったようです。この子供達が大きくなる頃には、落人村も「タイ化」してしまうのかな?
村には大きな「清真寺」つまりイスラム教のモスクがありました。この村の中国人は主に回教徒だったのです。
中国には1800万人の回教徒が住んでいて、人口でいえば世界有数の「イスラム大国」でもあります。回教徒はウイグル族などの少数民族のほか、中国語を母語として漢民族と変わらない暮らしをしている人達が約860万人おり、寧夏回族自治区を中心に主に西北部に住み、雲南省にも住んでいます。彼らの遠い祖先は唐の時代に中国に定住したアラブやペルシャの商人とか、元の時代に中央アジアからやって来た「色目人」だと言われています。中国の共産党政権は現在これらの人達を「回族」という少数民族に規定し、一人っ子政策から除外するなどの優遇措置を与えていますが、国民党政権だった頃の中国では「仏教徒を仏族、キリスト教徒をキリスト族とは言わないのと同じ」ということで、「漢民族のイスラム教徒」とされていました。つまり国民党兵士だったこの村の人たちは、今も「漢民族」と自称しているのですが、中国大陸へ行けば「回族」という少数民族の扱いを受けることになります。民族形成の1つの事例として、なかなか興味深い話ですね。
モスクにやって来た少年が美しい声でコーランを暗誦し始めました。もちろんアラビア語です。
タイは仏教国ですが、政府発表で人口の約4%がイスラム教徒です。その多くが南部に住むマレー系住民で、タイからの独立を主張して爆弾テロを行うイスラム過激派勢力もあります。その他に、バンコク市内にはチャンパ王国の末裔であるイスラム教徒のチャム族が住み、北部の山岳地帯にはここの村人達のような中国系イスラム教徒がいます。タイ政府にとってイスラム対策は長年頭の痛い問題になっています。
「一日中ただ親を思って涙する」
落人たちは中国大陸の故郷へ帰る望みがないまま異郷の地で年老いていきました。しかし80年代に入ってタイ政府に投降した彼らがタイ国籍を取得し、またタイと中国が国交を樹立したことで、ようやく里帰り実現の可能性が出てきた・・・・とまぁ、私が訪れた当時はそんな状況でした。
その後現在ではチェンマイ-昆明間に航空便が就航し、国境を超えて中国へ至る道路も開通しています。国民党から民進党へと政権が変わった台湾政府との繋がりが薄れたのとは対称的に、活発化した人や商品の行き来を通じて共産党政権下の中国大陸との結びつきは格段に強くなりました。かつて人民解放軍と戦って破れた落人たちはほとんど死に絶え、タイ生まれの2世、3世たちの時代となったことで、タイ・ミャンマー国境地帯の「落人村」も今日ではだいぶ姿を変えているはずです。
聞いたところによると、近年の落人村では若い人たちが続々とバンコクへ移り住み、過疎化が進んでいるようです。90年代に入ってタイと中国との貿易が盛んになり、また台湾や香港の企業が相次いでタイに進出しましたが、バンコクの若い華人たちはタイ人への同化が進んでいるため、中国語を話せない人がほとんどで、中国語に堪能な落人村の住民達は高給で職にありつけるようです。バンコクで発行されている華字紙の若い記者たちにも落人村の出身者が少なくありません。一方で、バンコクでは中国大陸からの偽装難民ならぬ「偽装落人」も増えています。タイの山岳地帯では近年まで政府が掌握していなかった少数民族の村が数多くあり、町の役場に出頭して「これからはタイの国王と政府に忠誠を尽くします」と宣誓すれば、とりあえず「山岳民族証明書」がもらえ、やがてタイ国籍を取ることができます。そこで海外に移住したい中国人が、とりあえず観光ビザでタイへ行き、「数十年前にタイ北部へ逃げて来た国民党軍兵士の子孫」になりすましてタイ国籍を取得するケースが増えています。香港には「偽装落人」を斡旋するエージェンシーもあって、堂々と新聞広告を出していました。
東西冷戦や国共対立が激しかった頃には考えられなかった現象ですね。ま、それだけアジアは平和になったということでしょう。
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