タイ・ミャンマー国境地帯2
さていよいよアサパ君を道案内人に「落人村」を目指して一泊二日のトレッキングがスタートです。山岳地帯といっても平坦な道が多くてラクでした。山歩きなど苦手そうな私を見て、アサパ君はそういうコースを選んでくれたんでしょうけどね。
農作業には水牛を使っています。以前チェンマイ近くの村をバイクでまわっていた時、道路を横切っていた水牛の群れに突っ込みそうになり、慌ててハンドルをきって怪我をしたことがあります。だから水牛は苦手です(苦笑)
農作業の手伝いをしている子供にたくさん出会いました。「感心ですね」と書きたいところですが、学校へ行っている子供が少ないとも言えますね。右の女の子はカレン族だっけ、それともラフ族だっけ・・・・。女の子はほとんどが民族衣装を着ているので、ひと目見て何族かわかる仕組みですが、あいにくメモするのを忘れました(苦笑)
ヤオ族の村に着きました。ヤオ族は広東省などにも住んでいて中国語では「瑶族」と書きます。「中国の皇帝と犬の間に生まれた子供がヤオ族の始祖」という伝説があり、中国文化の影響を強く受けています。家もタイスタイルの高床式ではなく、リス族同様に中国スタイルの土間です。中国語を話せる人が多く、男性には漢字が書ける人もいます。おかげでいろいろ世間話も弾みました。バンコクのタイ人とは「値段を聞く」ぐらいしか意思疎通ができないのにね。
ヤオ族では「刺繍がうまい」のが良い娘だそうで、縫い物をしている女性が目に付きました。日本でも昔は「機織がうまい」のが良い娘だったと言いますが・・・。
これも一種の竹馬?
ヤオ族の村で昼食を食べて出発します。向こうからやって来た親子連れはアカ族です。
アカ族も雲南省から移住してきた民族ですが色が浅黒いモン・クメール系で、中国ではワ族と呼ばれています。村の入口には鳥居らしきものがあり、その上には実際に木で作った鳥が飾られたりしています。
アカ族の家は高床式です。かつての日本の農村もこんな風景だったんでしょうね。
村ではやはり刺繍に精を出す女性が目に付きました。家を覗くと挨拶がわりに「まぁ一杯」という感じで水を出してくれました。山では毎日の水汲みも重労働なので、水を出すことは「おもてなし」なのです。
アカ族の村にはそれまでにも何回か訪れたことがありましたが、80年代までは上半身裸の女性がいたりして、他の山岳民族と比べてかなり貧しい感じでした。
タイ北部の少数民族は主にタイ・ミャンマー系と中国・チベット系に分かれ、タイ・ミャンマー系は「楽しく愉快に暮らすこと」を理想とし、中国・チベット系は「勤勉なこと」に価値観を置きます。だからタイ系は中国系を「セコセコしてる」とバカにし、中国系はタイ系を「怠け者だ」とバカにしています。で、それぞれのグループの中にはタイ人と中国人を頂点とした階級序列があり、タイ・ミャンマー系ならタイ人>シャン族>カレン族>ラフ族>パタウン族(首長族)、中国・チベット系だと中国人(漢民族)>ヤオ族・モン族>リス族のような暗黙の感覚があります。そして双方の下にはモン・クメール系のラワ族やアカ族がおり、最底辺には狩猟採集民族のムラブリ族がいます。これらの序列は経済格差によっても裏付けられていて、リス族がアカ族を嫁や養子としてもらったり、農作業で雇ったりすることは一般的ですが、逆のケースはほとんどありません。
アカ族は基本的にアミニズム信仰ですが、最近ではキリスト教の布教が進んでいるようです。信者になった女性は民族衣装を着けず、とりわけ銀の被り物は「迷信・邪教の象徴」だと嫌っています。
この日の夜はリス族の村のアサパ君の親戚の家で一泊しました。その村にはまだ電気がなく、村人たちは夜になると三々五々広場に集まってきて、年寄りを囲み昔話や民話などを聞いて過ごしていました。日本の田舎でもテレビがなかった時代にはこんな光景があったのかも知れませんね。