タイ・ミャンマー国境地帯1
タイ北部のチェンライからさらに北へ1時間、ミャンマーとの国境の町・メサイはとても賑やかな町です。華人の商店が多く、中国語の地名では「夜柿」と表記されています。国境といえば免税店ですが、ここの町はなぜか日本のマイルドセブンが異常に安いのが不思議です。私が知る限り、当時はここと中国・マカオの国境の免税店が一番安かったですね。
これが国境の橋。向こう側がミャンマー領で、マルが並んだようなミャンマー文字の看板が出ています。当時、ミャンマーはまだ鎖国状態が続いていて、橋を行き来できたのはタイ人とミャンマー人だけで、外国人は陸路では入国禁止でした(現在では正式に開放されたらしい)。しかしメサイの町には「ミャンマー側を案内しましょう。国境付近だけならダイジョーブ」と話しかけて来る人がたくさんいました。で、ミャンマーへ渡って、橋の向こうの町をひと回りして帰ろうとすると、ミャンマーの国境警備兵に「不法入国」で捕まってしまい、罰金を請求されるのが「お約束」でした。
橋のたもとには少数民族の服を着た少女がいて、観光客に記念撮影を持ちかけます。でも、こんな民族衣装を来た少数民族は現実には存在せず、どうやら観光用に開発された「コスチューム」らしいです。
国民党の「落人村」=ドイ・メサロンはここから乗合トラックで半日くらいjの場所にありますが、少数民族の村々をトレッキングでまわりながら行くことにしました。いったんチェンマイまで戻った後、ミニバスで北のタートンへ行き、そこからトラックに乗って山へ向かいます。ラオター村というリス族の村で泊まることにしました。この村はだいぶ観光化しているため、いきなり訪れても民宿のような感じで泊めてくれる家がいくつかあります。リス族は中国・雲南省からタイ北部へ移動してきた民族で、チベット系の雰囲気がします。タイ北部に住む山岳民族には、中国から移住してきた民族が多いのですが、タイ人だってもともとは中国から南下して来たんですけどね。
晩ご飯の支度が始まりました。左はおこわ、右はスープ。ネコは暖かい所が好きですね。
明日からはこのアサパ君のガイドでいろいろな少数民族の村を周りながら、「落人村」へ向かうことになりました。ちなみにリス族は長男にアベパ、次男にアレパ、三男にアサパと名前をつける習慣があるそうですが、これってつまり日本人の一郎、次郎、三郎・・・みたいなものでしょう。この村には白黒テレビが1台だけあり、夜になると村人たちが集会所に集まってテレビを観ていました。
村の朝は3時頃からニワトリとブタとイヌの大合唱で賑やかに明けます。食事時になるとイヌは人間の周りに集まって骨や食べ残しをもらい、ブタはそのイヌの糞を食べて育ち、そのブタを人間が食べる・・・といった具合で非常にうまくできてます。
朝になると物売りのおばさんがやって来て、香草や肉などを売っていました。リス族の民族衣装はピンクを基調にして、とてもカラフルです。
アカ族の行商人もやって来ました。銀の装飾品をいっぱいつけた被り物が特徴的です。この一帯にはタイ人やリス族のほか、アカ族、ヤオ族、モン族(メオ族・ミャオ族・苗族とも言う)、ラフ族、カレン族、そして中国人など様々な民族がいて、村ごとに分かれて住んでいます。そのため村の人たちはたいていいくつかの言葉が話せます。
アサバ君のお父さんが楽器を演奏してくれました。この辺りの少数民族では日本で言うところの「歌垣」のような風習が残っていて、若者は音楽を演奏したり歌を歌ったりして女の子をナンパします。だから男はたいてい楽器ができます。このお父さんは若い頃雲南省から移住してきたとかで、アサパ君も北京語が堪能でした。中国語の方言は広東語、福建語、上海語などはかなり差異が大きいのですが、雲南省の方言は北京語系です。そのため中国語はできるけどタイ語がほとんどダメな私には大助かりでした。
男性は普通のシャツを着てますが、女性は大人も子供も老人もほとんど全員が民族衣装を着ています。これはリス族に限った話でなく、他の少数民族でも同じでした。なぜなんでしょうね?