なぜ池田さんは危険を冒してまで撮り続けたのでしょう。
そして、決して戻らないことだと石川さんは言います。
そして現場からの中継は国山ハセンアナウンサーが担当します。
東日本大震災は東北の問題ではなく、日本の問題であるということ。
生き抜くために、命を守るために何をするべきなのか、
とりわけ目を引くのが、津波で流されてきたと思われます
今ハセンさんが立っている場所から、海はどちらの方向になるんです
この学校からおよそ400m離れた場所に海があります。
今、白波が立っているのが、この場所からわかります。
ですから高さにしておよそ12mまで達したということです。
今日は中継を交えて、後ほど詳しくこの現場からお伝えしていきます。
難しさもテレビの前の皆さん、一緒に考えていただければと思います。
なぜ津波の被害はそれほどすさまじいものになるのか、
今回、番組では引き波と言われる現象に注目しました。
まるで滝つぼに落ちたように浮き上がれなくなるのです。
妻と4人の子ども、家族全員の安否がわからなかったのです。
本当にこんなはずじゃなかったと、皆そういう思いだったんだろうな
都司嘉宣さんに加わっていただきます、よろしくお願いします。
しかも瓦礫をいっぱい運びながら1つに落ちてきますね。
考え方が変わってくる難しい点であると思うんですが?
物の考え方をある程度変えなきゃいけないと思いますね。
そうした日常生活を営むということはもうやめるべきなんで
そういうふうに物を切り替えて考えなきゃいけないでしょうね。
そしてこの場所もその引き波の被害があったと思われます。
瓦礫、トラック、そして車が2台、折り重なっているのがわかります。
これらのものは津波、引き波によって流されてきたのでは
津波が迫ってきたのは、屋上に避難した直後だったと振り返ります。
家屋や瓦礫がすさまじい力で海に引きずり込まれていきます。
少しでも角度が違えば、今にも落下してしまいそうな家。
このボートを使い、女性2人と先生たちは次々と脱出。
高校に残っていたおよそ50人は全員助かったのです。
天井ははがれ落ち、鉄製の瓦礫などが散乱しています。
改めてこの場所をオープンする経緯を教えてください。
物が散乱していますね。ここは保健室と言われていました。
そのまま、こちらに張りついているような形になっています。
こちらは学校の先生方が使っていた会議室と聞いています。
当時の状況を伝えるために、あえてなくしているということなんです
悩んだ部分もあるのではないでしょうか、いかがですか?
多くの方々からここを残すべきだという話がありましたので
視覚に訴えるものを残すべきだという声が多かったんでしょうね。
あとは福島のJヴィレッジなどにもカメラを出しています。
今年も大勢の方が私たちの取材に応じてくださいました。
一方で、いまだ1万4000人の皆さんが仮設住宅での
政府として、今後も被災したお一人お一人が置かれた状況に
産業、生業の再生支援などを着実に進めてまいります。
国土強靱化を進めていくことを改めてここに固くお誓いいたします。
関係するすべての方々の大変なご努力に支えられながら
ですが、いつどこで地震が起きてもおかしくないという状況は
このシェルター、崖をL字型にくり抜いたトンネルになっています。
今回、いざというとき実際にシェルターを使う皆さんに
あちらのシェルターに皆さん避難されるということです。
シェルターから80mの自宅に住む吉川ハルエさんです。
わずか16分で津波が到達するという高知県都呂地区の
シェルターの外にちょっとした渋滞が起きてしまいました。
でも、まだ避難できていない人はどうするのでしょう。
もちろんそうなんですけど、かなり大変は大変ですよね。
この課題は同じ多くの自治体が抱えているということで
今日お越しの都司さんは古文書にも精通されているということです
76歳より上の人は自分自身で覚えているはずなんですが、
誤った情報になってしまうおそれもあるのかもしれません。
津波で大きな被害が発生しています、確認できますでしょうか、
でも、この日、現場にたどり着けないヘリもあったのです。
仙台空港に津波が押し寄せています、滑走路に水が押し寄せています
仙台空港が津波にのまれ、着陸できなくなったのです。
急きょ予定を変更し、午後5時過ぎに福島空港に入りました。
一刻も早く救助に向かいたかった隊員たちですが、日没で断念。
震災2日目にして、ようやく現場にたどり着いた山梨の防災ヘリ。
このとき、真っ先に屋根の上に降りていった武井さん。
5人のうちの1人が寒さの中で既に亡くなっていたのです。
こうした隊員たちの思いが今、生かされようとしています。
救える命もあった、そんな後悔を少しでもなくすために。
目にとまったのが、地震から2週間あまり後のこんなツイート。
エコノミークラス症候群などの予防にもつながります。
4日目の早朝には、400の段ボールベッドが厚真町に到着。
利便性が高いそうなんですね。心の負担もそうですし、
その1つといえば、スマートフォンの普及だと思います。
スマートフォンを持っている世帯、保有率で見ていきます。
テレビの前の皆さんも日々、お世話になっているという方、
震災に遭ったとき、我々の行動がどう変わるんでしょうか。
2018年9月6日未明、北海道胆振東部地震が発生。
リアルタイムでネットでも視聴できるようにしたのです。
これならスマートフォンで、どこでも見ることができます。
なんと、海上保安庁の巡視船を使って充電サービスが行われたのです。
ここに避難したおよそ40人が孤立状態になったのです。
家々からかき集めた食べ物を温めて、分け合いました。
高齢者やケガ人を送り出し、あとは翌日に持ち越されました。
震災が起きたのは結婚式の計画を立てていたさなかだったのです。
はい、実は8年前にマグニチュード9.0が起きたんですが、
マグニチュード7、これはまだまだ起きる可能性があります。
起きる可能性がまだ普段よりは高いということがいえると思います。
そのことを肝に銘じて行動していくということですね。