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 中学入試で方程式は使っちゃダメ……? 中学受験をする小学生たちの周辺で、そんな説がまことしやかに語られています。「理解が困難」「小学校で習わないから」と理由も様々ですが、果たして実際はどうなのか。謎を追うと、一部の教室でおこなわれる窮屈な指導法の問題と、学びの自由とでもいうべき深いテーマに行き着きました。

「算数に弊害」塾、消極的

 「お子さんに方程式は教えないでください」。昨秋、東京であった進学塾の説明会。小3の男児を持つ会社役員の男性(43)は首をかしげました。自身も中学受験経験者ですが、中学で方程式を学んだ時、その便利さに感激。「小学校の時、塾でやらされた無駄にややこしい解き方は何だったんだ?」と思い、「自分の子が受験するなら教えよう」と思っていたからです。「教えてはダメという塾の説明は分かりづらく、内容も忘れてしまいました」

 文部科学省学校教育の内容を定める学習指導要領では、方程式は中1の数学で初めて学びます。一方、進学塾が中学入試の問題を解くために教えるのは「鶴亀算」などの「特殊算」と呼ばれる手法。算数で習う足し算や掛け算を駆使しますが、それをどう組み合わせて使うかは学校で習わない、いわば受験算数です。

 「方程式は教えません。親御さんにも教えないよう頼みます。算数の学習に弊害が出るからです」。全国150教室をグループで運営する日能研の高木幹夫代表は、そう語ります。高木さんは方程式を学ぶ数学について「数を抽象化して考える科目。人数や金額、身長など、具体的でいわば『目に見える数』を扱う算数とは違う」と説明。その上で「経験上、小学生、特に4、5年生には抽象的なアプローチは難しい」と、方程式を学ばせない理由を語ります。

 実際、親に教えられた方程式を使って問題を解こうとし、「どこをどう間違えたかも分からない」ほど混乱する児童も多いそうです。そんな児童に「講師が説明を尽くしても、学びの深化に結びつきづらい」とも語りました。

 一方、同じ大手でも、関東中心に47教室を運営するサピックス小学部では、方程式を教える場合もあるそうです。「あくまで参考として、成績上位クラスだけにですが」と算数科教科責任者の立見貴光さんは説明します。立見さんによると、方程式によって解きやすくなる入試問題はごくわずか。他方、等式の概念や負の数など、方程式を使うのに理解が必要なものは意外に多いといいます。

 「そういうものを中学の授業で勉強して、そこに出てくるのが方程式。児童も時間をかければ使いこなせるでしょうが、中学受験に関しては、そこにあまり意味がありません」

 受験と関係なく方程式を勉強する児童もいます。児童生徒が学習プリントを使い自主的に学習を進める公文式教室。昨年9月時点で、算数で学ぶ内容を終えていた小6は全国で計約3万8千人。うち1万8千人は基本的な方程式を学ぶ中1数学も終えていたそうです。公文教育研究会の広報担当者は「意欲的な児童は方程式が解けるようになるケースも珍しくない。参考書などで数学の学習を更に深める児童もいます」と語りました。

中学「ダメな理由ない」

 「方程式で入試問題を解いても、減点する中学はないのでは」。サピックスも日能研もこの点は一致します。が、方程式をタブーだと思う人々もいます。

 中学入試で「方程式は使用禁止」と記したコラムが3年前、ニューズウィーク日本版のウェブ版に載りました。筆者は米在住の作家、冷泉彰彦さん。「小学校の教育課程に入っていないから」と述べ、つまり小学校で習わないことを理由としています。冷泉さんに根拠を尋ねると、中学生や私立中学教師との対話などで知ったとのことでした。

 探すと、ある大手ネットメディアにも、東京の女子中学の受験事情を解説した記事に似た記述がありました。筆者のフリージャーナリストは、自身が中学受験の際に聞いたことなどを根拠に挙げました。

 では、当事者の私立中学側はどう考えているのでしょう。

 神戸市の私立・灘中学校の大西衡教頭は「方程式も正しければマル。正しいものをバツにする理由がない。児童が勉強を先に進めてはダメな理由もありません」と話します。

 東京の私立・巣鴨中は、受験生や保護者向けの説明会で「方程式を使ってもよい」と説明するそうです。入試担当の大山聡教諭は「しないとご質問が出ますので。使ってはダメ、と思っている一定数の親御さんはおられるのでは」と語ります。

 「説明会で方程式について尋ねる親御さんの話は割に聞きますが、『ダメ』と言われた話は聞きません」と話すのは、朝日小学生新聞で受験算数の連載をしていた算数専門の家庭教師、安浪京子さん(42)。「塾などで学んだ算数の解き方を学校で試して、怒られる児童は時折います。小学校では、勉強の『抜け駆け』を嫌う先生も少なくない。それで親御さんも、習っていない方程式はダメかも、と思うのかも」と想像します。

 実際、算数以外でも、児童が学校で習っていない知識の使用を禁じられるケースはあります。

 大阪市の会社員、須永直志さん(50)は3年ほど前、低学年だった次女の習字を見た際、本当は漢字で書ける名前が仮名交じりになっているのを見て、不思議に思いました。聞くと、「習っていない漢字は自分の名前でも使ってはダメ」と先生に指導されたといいます。「名前は個人のもの。学校で習った、習ってないで書き方を変えさせられるのは変に思います。文句を言おうとまでは思いませんが」と違和感を訴えます。

正解でも「教科書と違うと×」

 「習っていない漢字の禁止」は、ネット上でもよく批判される教育指導のひとつ。ツイッターには、こうしたいわば「教室のオキテ」に反発する親の声も多く見られます。

 米国で働く会社員、岡沢宏美さん(38)は2年前から、ツイッターで教科指導の問題提起をしています。小3の長女は地元の小学校に通いながら、文科省から校長が派遣されている日本人向けの補習校にも行っています。「最初、娘の学校だけかと思った問題も、ネットに寄せられる声を通じ、日本各地にあると知りました」

 例えば「かけ算の順序問題」と呼ばれ、ネットでも批判が多く、古くは1972年に朝日新聞も報道している課題があります。補習校で岡沢さんの長女も何度か経験しており、今冬は、ジュース47ダースの本数を求める問題で式を「47×12」と書き、不正解とされたそうです。先生の言う正解は「12×47」で、バツの理由は「順序が逆」でした。

 文科省がつくる学習指導要領解説は、小2でかけ算を教える際、「一つあたりの数」(例えば1ダースの12本)×「いくつあるか」(47ダース分)の順で式を立てるよう教えると説明し、教科書もそうなっています。が、もちろん、かけ算は式の順序が逆でも結果は同じで、それは小2で教える内容です。

 長女は米国の小学校ではかけ算の順序を日本式と逆に教えられたそうです。片方の学校で習った方法なのに、不正解にされるという矛盾もあります。岡沢さんは「正解にできないか」と校長に相談しましたが、「教科書と同じでないとダメ」の一点張りだったそうです。「他にも教科書以外の方法を認めてくれない例はありました。間違っていないのにバツになると、娘も落ち込みます。本当は勉強で、理屈が通れば正解は何通りもある、という面白さも知って欲しいのですが」

 そもそも、教科書でかけ算の順序を定めるのは、「教育用に考えられた教室の共通言語のようなルール。本来の数学的な正否とは別物」と、中村光一・東京学芸大教授(数学教育)は解説します。順番があれば、式を書いた子が「何」を「何倍」しようとしたのかが一目瞭然で、教室の共通理解が進みやすい。後に小数のかけ算を学ぶときも、後ろの数字が「何倍」かを表す感覚でいれば、そこに小数を入れることで「小数倍する」という新概念に気付きやすいなど、後々の発展学習の指導にも役立つ。こうした理解促進のために「順序」が考えられたと、中村さんは指摘します。

 「順序は教育上有効な仕掛けですが、算数や数学は本来、どんな発想でも論理が正しければ正解という自由な教科。式の順序が逆の式を『教科書と違う』だけで不正解にするべきではありません。多忙な現場では困難でしょうが、児童と語り、理解度を確かめながら行う教育が望ましいです」

「主体的に学ぶ楽しさ知って」

 教科書と違う計算はバツ、漢字などの先取り学習はダメ――。児童が学ぶ内容やその進度を学習指導要領や教科書の範囲に縛るような指導について、油布佐和子・早稲田大教授(教育社会学)は「柔軟性と批判性に欠けるマニュアル的な指導ですね」と指摘します。

 児童の状況に合わせて指導する柔軟性や自らの指導を常に省みる批判性は、教師に必要な資質です。「指導教科の一つでも学問として深めた経験があれば、批判性は身につきます。でも、ほぼ全教科を1人で担う小学校教師は大変で、学びは広く浅くになりがち。かつてのように、教師が教えながら、得意教科の研究ができる時間を、行政は確保すべきです」

 「学問」は児童にも大切です。石井英真(てるまさ)・京都大准教授(学習指導論)は「主体的に学び、深める楽しさ、いわば『学問の香り』を知ることは重要。昔、学校に数人はいたそんな香りのする先生が、活躍しづらい時代になりました」と語ります。

 OECD経済協力開発機構)の学習到達度調査(PISA)では2015年、日本の数学力は参加72カ国・地域中5位。石井さんによれば、こうした国際調査でも上位の学力を支える日本の教育の基礎は、戦後30年ほどで築かれました。

 まずは1958年、学習指導要領が教育内容の「基準」となり、バラバラだった学校教育を一律化。50~60年代は教師らによる教育研究も活発化し、かけ算の教え方も含め、様々な指導法が確立されました。

 基準化で教育は底上げされる一方、一部の単元には「歯止め規定」という教育内容の上限も設定。いわゆる落ちこぼれの児童を減らすためでしたが、児童が自主的に教科書を超えた学習をするのもダメとの誤解を生んだ可能性もあると、石井さんはみます。新たな指導法も教科書に入りましたが、教師の理解度が低いと、論理性のない形式的な内容の押しつけが起きかねないと考えます。

 「90年代以降、多忙化や保護者らからのクレームの増加で、やりがいを失った教師は形式的な指導に陥りやすい。子どもたちが生き生きと学べるために、保護者や地域は教師を孤立させず、よりよい教育を目指す仲間として向き合うべきでしょう」

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 「数学は自由」。取材中、東京学芸大の中村教授の口からその言葉が出た瞬間、何か懐かしい、スカッとした感覚が込み上げました。大学受験の頃、最も好きな教科は数学でした。理屈さえ通ればどう解いてもOK。模範解答にない解法を思いつき、正解までたどり着いた時の快感。「自由」の味わいだったのかな、と改めて思いました。

 たとえ答えが合っていても、式の順番が違うからダメ――。そんな指導をする先生方の事情もさまざまでしょう。忙しすぎたり、皆と違うことをよしとしなかったり。どこか不自由さを感じます。

 強いられて勉(つと)める「勉強」が楽しくないのは当然です。自由にワクワクすることが本来の「学び」では。子供たちに学びの喜びを。そして先生も自由に。そんな道を、多くの方と一緒に考えたいです。(長野剛

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