赤軍歩兵隊のための規定集で、大戦前半の1942年という段階で採用された。中でもタンク・デサントに関係を持つのは、第11章「短機関銃中隊」の一部である。
本章の冒頭部分(第410項)では、短機関銃中隊の基本的な運用が簡潔にまとめられている。
・様々な局面において、敵の側方もしくは後方に対し意表を衝いた打撃を加える。
・偵察。
・有利な地点の奪取、保持。
・友軍各部隊の間隙部及び側面の防御。
・タンク・デサント。
短機関銃で武装した部隊は、戦況に応じ様々な使われ方をしていたことが分かる。小銃を操る通常の歩兵隊とは異なり、短機関銃中隊は敵と正面切って戦うのではなく、よりイレギュラーな任務を想定されていたもののようだ。ただし、戦争後半になると短機関銃の充足率が飛躍的に上昇し、多くの歩兵がPPShで戦うようになったから、両者の境界も曖昧になっていった可能性はあるだろう。
いずれにせよ、1942年の歩兵規則においては、短機関銃手こそがタンク・デサントの基本的な構成員とされていた。実際、赤軍兵士たち自身が戦車跨乗兵を「デサント」と呼称するケースは稀で、「短機関銃手(автоматчики)」と呼ぶことの方が圧倒的に多い。少なくとも、これまで筆者が触れてきた元兵士たちのインタビュー類ではそうなっている。同時代人にとっては、戦車と行動を共にするのは短機関銃手というイメージが相当強かったのではないだろうか。
肝心の部分、短機関銃中隊をタンク・デサントとして運用する場合の規則は、第414項に示されている。しかしその内容を見てみると、拍子抜けするほど当たり前のことしか書かれていない。すなわち中隊長は各小隊長に任務をよく説明し、戦闘時のシグナルと敵後方での集合地点を定めておくこと、短機関銃手は戦車に乗って進む際に敵の戦車駆逐隊を排除すること、降車の後は広範な正面で行動すべきこと等々。元々、本章は短機関銃中隊の使用法について定めたものであり、タンク・デサントもそのあり得べき使われ方の1つにすぎない。従って、具体的な戦い方は他の項目に準拠すればそれでよく、タンク・デサントだから特別なことをやらせるというわけではないようだ。
そして先述の通り、短機関銃中隊が奇襲や偵察などの機動的な任務を中心としている以上、彼らが主体のタンク・デサントも同様の役割を期待されたはずである。すなわち戦車の機動力を活かして敵の不意を衝き、接近戦に強い短機関銃手を組ませることで任務に幅を持たせるとの構想である。「タンクデサント兵になってみよう!」で戯画化されていた、あからさまにこちらを待ち受ける敵陣へ真正面から突撃するという姿とはかけ離れている。
勿論、構想は構想として、実際にいつも首尾よく奇襲をかけられるものではなく、多くのタンク・デサントがドイツ軍に察知され、結果として強襲を強いられたことは容易に想像できる。前線指揮官の個性次第では、損害覚悟で突っ込ませるケースもあったかもしれない。しかしながら、最初から銃火を冒しての正面攻撃を行わせようとしていたのか、それとも想定外でやる羽目になってしまったのか、この区別はきちんとつけておくべきだと思う。そして1942年の歩兵規則を読む限り、実態は明らかに後者で、大量のタンク・デサントを敵の堅陣にぶつけるという無謀な戦法が前提とされていたわけではないようである。
もう1つ興味深いのは、短機関銃手が戦車に乗って移動する際、敵の「戦車駆逐隊(истребители танков)」を排除する、という防御的な任務が与えられている点である。この言葉は歩兵による肉攻班から対戦車自走砲までを含む幅広い意味を持つものだが、短機関銃手で対応可能とされているのだから、念頭に置いているのは対戦車資材を携帯した歩兵もしくは至近距離から撃ってくる対戦車砲であろう。戦車は死角が多く視界も狭いという固有の弱点を持ち、とりわけソヴィエト戦車の視察装置はお粗末だったから、至近距離からの肉薄攻撃を防止するためには味方歩兵の援護が欠かせない。車上の短機関銃手がこの役割を果たしてくれれば、戦車の側にも安心感があったことだろう。タンク・デサントは攻撃ばかりでなく、戦車自体を守る防御的な役割も期待されていたのだ。ドイツ歩兵が大々的にパンツァーファウストを使用した大戦後半に至ると、この役割はさらに重要性を増すこととなった。
ただし本文をよく読むと、タンク・デサントによる戦車駆逐隊の阻止は移動の際の任務とされている。戦闘中ではなく、わざわざ移動中と指定しているのだ。これはおそらく、タンク・デサントが戦車に乗っているのは基本的に移動中だけで、戦いが始まると降りてしまうことが前提だったからではないかと思う。行軍中は装甲板の上から油断なく周囲に目を配って肉攻班の接近や待ち伏せに備え、戦闘に際しては速やかに降車、任務達成の後はあらかじめ定められた集合点で合流する。1942年度版歩兵戦闘規則から浮かび上がってくるタンク・デサント運用の構想(あくまでも構想にすぎないのだが)は、以上のようなものである。
もっとも、同規則の記述はあまりにもシンプルであり、これだけでタンク・デサントの構想について云々するのは気が引けるし、実戦での運用例も知っておきたいところだ。そのための恰好の材料が、次にご紹介する『戦車兵の戦闘技術』である。
(14.06.23)
ソ連軍資料室へ戻る ロシア史へ戻る 洞窟修道院へ戻る