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平成3年、自衛隊最初の海外派遣は湾岸戦争後のペルシャ湾でイラク軍が海にばらまいた機雷を取り除く掃海部隊派遣であった。

 

機雷があると原油を積んだタンカーや商船が安全に航行出来なくなる。もちろん日本が輸入する原油のほとんどがペルシャ湾からタンカーで運ばれてきており、日本の豊かな暮らしのためにも機雷除去は必要であった。

 

しかし国内で、この自衛隊派遣に反対する意見が出ていた。

 

理由は自衛隊の海外派遣は「近隣諸国への脅威となる」といったものである。同じようなことを言っていたのがシナであった。

 

日本の防衛に対して日本の左翼とシナが言うことは常に一致するのは偶然であるのだろうか。

 

しかし、実際はペルシャ湾に向かう日本の掃海部隊は各寄港地で各国から大歓迎を受けた。

 

この時の派遣部隊の最高司令官であった落合畯氏は「とにかくアジア各国は我々掃海部隊を大歓迎で迎えてくれましたよ。最初の寄港地フィリピンでもそうでしたし、またシンガポールでは軍の最高司令官から『東洋アジアを代表してどうか頑張ってきてください。よろしくお願いします。そのための支援なら何でもしますので遠慮なく言って下さい』とまで言われたのです。またマレーシアのペナンでも、スリランカでも、そしてパキスタンでも同様の大歓迎を受けました」

 

何より掃海部隊を歓迎して出迎えてくれたのはアラブ諸国であり、この地域で働く日本人であった。

 

バーレーンでは在留日本人会が歓迎パーティーを開いてくれて、日本人会の代表から「アラブの国で働く日本人にとって皆さんは大きな誇りである」という感謝の言葉が贈られた。

そして海上自衛隊がやって来るまで肩身の狭い思いをさせられた日本人の子供達も、海上自衛隊が来てくれたお陰で他国の子供達からいじめられることはなくなった。

 

日本ではわからないが、世界ではいかに「軍隊」が尊敬されているかが伺われる。

 

その後、日本政府は平成48月に「国際平和協力法」(PKO協力法)を制定し、自衛隊による国連平和維持活動(PKO)を開始した。

 

そのさきがけは平成49月から平成59月の陸上自衛隊の施設大隊(600名)のカンボジア派遣であった。

 

派遣部隊は国道や橋を修理するなどしてカンボジアの人々のために汗を流した。もちろん地元の人々は自衛隊を大歓迎した。

 

またこの派遣の最中の平成55月には、自衛隊はアフリカの国連モザンビーク活動にも参加し、その後、中東のイスラエル・シリア国境のゴラン高原に「ゴラン高原派遣輸送隊」が派遣され、以来6ヶ月ごとに部隊交代が行われた。

 

そして自衛隊のPKOで最大規模となったのが東ティモールへの派遣だった。

 

ここでも自衛隊員は道路や橋の修理などを行って地元の人々からたいへん感謝された。

 

このとき活動した隊員によれば、自衛隊は現地民に大歓迎を受け、自衛隊の車両が通ると住民が歓迎のために道路に飛び出してくるので、ブレーキに足をかけていないと危険なほどだったそうです。

 

こうした国連平和維持活動とは別に、自衛隊の海外任務には「国際救援活動」というものがある。これは戦争などで難民となった人々を助けることなどを目的としている。

 

難民救済のためアフリカのザイール(現コンゴ)に派遣されたルワンダ救難隊や「911テロ」後にテントなどの万民救援物資を積んでパキスタンへ派遣された航空自衛隊のC130輸送機部隊などがそれである。

 

その他にも平成10年に巨大なハリケーンによって大被害を受けた中南米のホンジュラス、トルコ北西部地震、インド地震、イラン南東部地震、インドネシア・スマトラ島沖大規模地震およびインド洋津波、パキスタン大地震などに派遣され、多くの人命を救うとともに救援物資を輸送するなどして被災民に対する支援を行ってきた。

 

地元の人々は自衛隊の誠意ある活動に感謝し、何と自衛官に自分の娘を嫁にもらってほしい と願い出る人まで現れたという。

 

また平成17年のパキスタン大地震でも、当地に派遣された自衛隊は被災地に衣料品や発電機、毛布などの救援物資の空輸を行った。

 

すると現地の視察に訪れたパキスタンのムシャラフ大統領が、救援活動に汗を流す自衛隊員を見つけるや歩み寄って次のような感謝の言葉を述べた。

 

「日本の支援ありがとう。君達は素晴らしい活動をしていると聞いている。日本人、特に軍人が来てくれたことを大変感謝している。私をはじめパキスタン人は日本に特別の思い入れがあるとともに、偉大な国であり、尊敬しています」

 

これが本当のアジアの声である。世界の人々は災害時などに救援に駆けつけてくれる日本の軍隊を歓迎している。

 

ところが日本のマスコミはこうした事実を隠し、これとは正反対のことを報道して国民を騙してきた。

 

自衛隊によるイラク人道復興支援も同じである。派遣された自衛隊員が誠意を尽くして道路や学校・病院などを修理し、真心を持ってイラクの人々に接した。

 

ついにはイラク人による自衛隊への感謝を表す行進や、自衛隊に「日本へ帰らないで欲しい」と願うデモまで発生した。

 

本隊がやって来る前に一足先にイラク・サマワ入りしていた先遣隊長の佐藤正久一佐(現参議院議員)は、地元の人々から大変慕われ、ある部族長などは「日本軍を攻撃したら一族郎党を滅ぼす」と断言した。

 

地元住民は「サマワ市民と自衛隊で安全な街を再建しよう」というデモを行い、佐藤隊長に花束を渡した。

 

また若い隊員たちもイラクの人々からわが子のようにかわいがられ、いざ帰国するときにはお互いに涙を流して別れを惜しんだ。

 

日本の被災地でも自衛隊が撤退する時には涙のお別れがあった。そして、かつての日本軍も現地の人々からこうして慕われていたのだろうと思うと、日本人として感慨深いものがある。

 

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