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前回の「ゆがめられた二・二六事件①」からの続きです。・・
 
 山口富永と高橋正衛が歴史事実について対決する。
 
「昭和六十三年の八月十五日、私は(高橋との)会談を申し入れた手紙を投かんした。 終戦の日を意識しての日のことであった。二週間ほどして一通の返書が来て、澤地との関係、NHKとのそれが貴台の思っているほどのものではない、という意の弁明めいたことが記されていたが、会談については、何ら触れてなかった。おそらく、したくなかったのであろう。
 
このような頃、私は二・二六事件の生き証人である末松太平元大尉を知った。結果的にいえばこの末松太平の仲介の労によって、平成元年二月二十一日、テレビ放送から満一年過ぎたこの日に末松立会の下に末松宅において目的を達することができた」
 
この二人の会談に立ち会った末松は当時の二・二六事件の青年将校で、事件後に起訴され、陸軍の軍法会議で禁固四年に判決を受けて免官された方である。
 
会談の席上、まず山口は高橋に高橋の著書『二・二六事件』の中で、「二・二六事件は真崎甚三郎の野心と重なり合った青年将校の維新運動であるといっていいだろう」と「真崎は当然予想される戒厳令下の軍事政権の首班を狙っていた」と書いてある。この真崎組閣説について問い詰めた。
 
すると、高橋は真っ先に真崎組閣の件は推察で、事実ではない、謝ります」と言って頭を下げた。
 
呆れた山口は「いま一度角度を変えて、昭和史の中の真崎甚三郎というものを視て、それを書いたらどうだろう」と言うと「一度書いたものはたとえ間違っていても書き直すことはしないのが信条だ」という。
 
会談に立ち会った末松は「結論は簡単であった。あっけなく決まった。さて、(高橋の)真崎組閣説が嘘と決まったとすると、嘘を土台にして構成されたNHK放映はどういうことになるのだろうか。タイトル『消された真実』とは聞いて呆れる。鉦や太鼓で躍起に騒ぎ立てて、真実を消したのはNHK自身ではないか」と言った。(現代懇話会発行「史」198970号)
 
これには後日談がある。
山口は平成元年の月刊「ゼンボウ」十一月号に高橋へ公開質問状を書いた。そこには3つの質問があった。
 
1)あの事件当日の朝、陸相官邸前で、青年将校に向かって、真崎大将が言ったとされていた言葉、「とうとうやったか、お前達の心はヨオックわかっとる わかっとる」と二度まで言ったという、このことについてである。
 
当時の憲兵伍長で、真崎の護衛を命ぜられて、近くに常にいた金子桂氏が、
あの時、真崎大将はそんなことは言わなかった。『馬鹿者、何ということをしたのか。早く陸軍大臣に会わせろ』と言ったと書いている。
 
筆者はこのことについて、真崎軍事政権樹立の一つの根拠としている高橋氏の見解を聞かなければならないと思ったのである。ちなみに金子氏は今日、浦和市に現存している由である。
 
2)高橋氏が言う、真崎軍事政権樹立の野心的シンボルとして「これだ」と思い、「ピン」ときたということがらに「事件当日、真崎大将の胸間には勲一等旭日大綬章が佩用されていた」というのである。
 
高橋氏は、自ら資料屋と称するほどに、資料を求めることに熱心の人であるらしいが、この氏が何故、当時の軍には軍服の着用に関しての規則と、これに伴って、勲章の佩用規定というもののあることに気がつかなかったのであろうか。
 
参考までに言えば、軍服には正装、礼装、通常礼装、略装、軍装の五つがあり、宮中参内軍事参議官会議などの場合の服装は、通常礼装である。この場合に佩用する勲章は、勲一等の副章である勲二等旭日章一個を胸間に帯びることが規則とされているのであるときく。このことに対して、高橋氏の見解を聞きたいのである。
 
3)さらにもう一つの質問は、氏がかつて一度筆者宛てに寄せた手紙の中で、自ら筆にしてきている、真崎大将の長男である真崎秀樹氏が、昭和天皇の通訳として三十年の長い間にわたって近侍にあったことについてである。
 
「・・・このことは、大変重要な意味あることであると思います」と。対談の時、筆者は率直にこの『意味ある』という意味の、その意味について質した。
 
氏は「それは今になって、二・二六の真相が、天皇にわかったことだと思います」と答えた。この真崎秀樹氏の人事と、高橋氏の真崎大将主謀説の関係を聞かなければならない。
 
この質問状への高橋からの返答について山口はこう言っています。
「これについての反論はないままである。唯、そののち、氏が『二・二六事件研究の問題点』を寄稿している『歴史研究』十一月号を送付してきたが、その中の添え書きでお互い、歴史的事実はあっても、何が真実かは考古学からはじまり、あらゆる歴史では、完全一致の真実はないというのが定説ですから、書くことは自由に、のびのびと致したいと思っております』とあった」。
 
「のびのび」と自身の歪んだ「推察」で書かれた本を、歴史の真実に触れようと読んだ読者はどうなるのか。
 
 
一方の澤地久枝です。当時、二・ニ六事件に参加して服役した池田俊彦は澤地久枝の思想についてこう書いています。(文芸春秋635月号)
「澤地氏はかつて五味川純平の助手をしていた。五味川の思想に共鳴していたからであろう。五味川は、その『人間の条件』という小説の中で一兵士が軍隊という特殊な社会空間の中で痛めつけられ、ついには脱走して死に至る過程を描き軍隊そのものの非人間性をえぐり出している。
 
その根底には、戦争を憎むとともに戦闘集団である軍隊そのものの非人間性を憎悪する感情に貫かれているように思われる。澤地氏は少女時代敗戦の満州から病身の父母と幼い弟妹をかばって、苦闘の旅を重ねて内地に引き揚げた苦い体験をもっている。そして長じてからは共産党員と結婚した経験もある。
 
二月二十六日の法要の席上(毎年行われている二・ニ六事件関係者の賢崇寺の慰霊祭)、私は二百名を越える参会者を前に、NHKの放送について、その事件の正確に対する推理の間違いを、例証を引いて論じ、放送姿勢そのものに対した。一同熱心に聞いていた。澤地久枝氏は私のすぐ前で聞いておられたが話が終わると一言も言わずにそそくさと退場された」
 
 
また、この日の法要には、野中大尉未亡人、その他二、三の御遺族の方々が口を揃えて、澤地の著書『妻たちの二・ニ六事件』を書くために、その家庭を訪ねて取材に応じたことを「結局私達は澤地さんに利用されていただけでしたね」と話していたという。
 
二・ニ六事件の時に青年将校によって襲撃され死亡した渡辺錠太郎教育総監の息女(和子)と澤地とのつながりを山口はこう書いています。
「彼女(澤地)自身が書いている小冊子『雲の日のテロルの残映―かつてなかったもう一つの二・ニ六事件』とある。これをみると渡辺大将が襲撃され、息を引き取っていく現場に、当時九歳の三女で大将が最も可愛がっていた末娘の和子がいた。
 
和子はこの父の最後を、悲惨なる最後を目の前にして生涯忘れぬ心の痛みを受け、キリスト教に入信して今日、ある教会の責任者として過ごしてきた生涯であるらしく、澤地は、この和子と深い友情で結ばれていることが書かれている。この間のことを知る人は、澤地は和子には『おねえさま』と日常呼んでいるというほどの仲であるという」
 
当時、陸軍には「三長官」という陸軍大臣、参謀総長、教育総監があった。この時、陸軍大臣は林銑十郎、参謀総長は閑院宮殿下、教育総監は真崎甚三郎である。しかし、軍の統制を乱すとして林陸相は真崎教育総監を更迭した。
 
実際は乱したのではなく、アカい統制を阻止し、満州事変の拡大を阻止した真崎という邪魔な存在があるために左翼社会主義革命が出来ずに、このような追い出し工作をしたのである。
 
渡辺はこの真崎の後を受けて教育総監に就任した。憎悪の念を真崎に向ける澤地の立場を山口はこのパンフレットによって「わかった」と書いた。
 
NHKの放映の一日前、すでに書き終えた澤地久枝の『雪はよごれていた』の二百十四頁には『予審にかけられていた真崎は七月十日、死刑が確定している磯部浅一と法廷で対決した。真崎が可愛いのは、わが身ひとつである。軍紀が乱れ、軍隊の命脈の壊死することも問題ではない。死刑執行が何十時間後になされる青年達の運命など関係ないことである』と書かれている。
これが澤地の、公人真崎甚三郎大将についての人物評である。
 
澤地はこの後、親しい人にこう言った。
私はこれで二・ニ六事件から足を洗うつもりでいる。渡辺さんにも義理が果たせたから
 
これを聞いた山口氏は「私はこれを聞いて言い知れぬ怒りとともに、このような物書きによって歴史のスタイルを装いながら、一つの読み物として世の人々の目に触れるものが書きのこされることを黙ってみていることはできない」と言った。
 
義理を果たしたという澤地のライフワークは「二・ニ六事件」から現在は「九条の会」「反原発」へ転向している。 まさに左翼活動家である。
 
山口は先ほどの高橋との対談の中で番組のあの匂坂資料について「いかなるかたちで、誰の手を経て、NHKにわたったか」と聞くと「あの資料は匂坂春平の子息の哲郎氏によって、澤地久枝の立ち会いの下にNHKに渡った。この際、NHKは一千万円を支払った」という。
 
しかし本来どうだろう。当時、軍法会議の主任検察官の職にあった匂坂春平のこの資料は、当時の職権で集め得た公共性の資料で、どうみても国が保存すべきものである。

 

しかも青年将校を裁判したこの匂坂資料にはコミンテルンの資金のことが書かれているという(京都大学大学院 中西輝政教授)。

 
NHKはこういう貴重な資料を国民の受信料で買占め、その国民にはNHKに都合のよいところだけ掻い摘んで利用するのはやめてもらいたい。
 
日本の歴史をゆがめるために貴重な資料を利用するNHKのこの姿勢は、今年放映されたNHKスペシャル「なぜ日本は戦争へと向かったのか」でも「新たな資料が見つかった」と言っては自分達の反日史観に合うように都合よく放送していた。
 
国民が知らないことをいいことに、NHKは歴史をゆがめているのだ。

 

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