観音堂の絵馬



戦後、描き直された絵馬。一応、網はかかっているが・・・
昔、津の観音さんのお堂には絵馬が何枚もかけてありました。 中でも目を引いたのが、狩野法眼元信という人のかいた絵馬です。 「まるで生きた馬のようや」。 見た人はだれでもそう思いました。 ある時、乙部や中河原の人たちがこんなうわさをするようになりました。 「あんたとこの畑、荒らされたそうやな。うちもニンジンをごっそり盗まれた」「いったいだれの仕業や」 ある雨の朝、お参りに来た茂作さんは、絵馬の背中がぬれているのを見ました。 「なんでやろ」 何日たって、茂作さんは、絵馬に目をやると、飛んで帰って隣の男を引っ張ってきました。「あっ、馬がニンジンをくわえとる」。 近所の人々も集まってきます。 「見ろ。馬がニンジンを食うとるぞ」。 茂作さんは、この前の朝のことを思い出しました。 (ひっとして、この馬が畑のニンジンを食うたんと違うか) 「なあ、この馬が抜け出して畑を荒らしておるのかもしれん。抜け出せんようにした方が良くないか」。 茂作さんの言葉に、皆は「まさかとは思うが」と言いながら、絵かきに頼み、馬の脚元に一本のくいをかき足し、前足を縛った形にかき変えてもらいました。 さらに絵馬の上にすっぽり網をかぶせました。 それからというもの、乙部や中河原で、畑を荒らされることはなくなったそうな。 「畑荒らしはやっぱりあの馬やったか」。 ようやく皆は納得して、この絵の出来栄えを褒めたとか。

抜け出し畑を荒らす


そして今 絵馬は津観音寺の観音堂にあったが、昭和20年、戦災で焼失した。 今ある絵馬は戦後、作り直した。 1.5×1.8mと大きく、ちゃんと網もかかっている。 「お堂を掃除していたら、馬の亡霊を見た」という証言もあり、ニンジンをお供えした人もいたとか。住職の岩鶴密雄さんは「畑を荒らされたのは恐らく本当。だれの仕業か分からず、皆に親しまれていた津の観音さんに結びつけて納得しようとしたのでは」と話している。

資料提供 日本児童文芸家協会三重支部編「安濃津 むかしのはなし」・中日新聞社(三重支局)