(cache)フラガール、福島の元気を届ける 東日本大震災から8年 : スポーツ報知

フラガール、福島の元気を届ける 東日本大震災から8年

2019年3月7日10時0分  スポーツ報知
  • ショーを終え観客に一礼するウイラニさん(中央)と高倉さん(最後列右端)らハワイアンズのダンスチーム(カメラ・遠藤 洋之)
  • ソロでダンスを披露するウイラニさん
  • 花をイメージした衣装で踊る高倉さん

 福島・いわき市のスパリゾートハワイアンズは、年間150万人近い観光客が訪れる国内有数のリゾート施設だ。東日本大震災と翌月11日の余震(福島県浜通り地震)で甚大な被害を受け、休館を余儀なくされた中、専属のダンシングチームは「きずなキャラバン」と題した125か所247回の無料公演で福島の元気を届けた。震災から8年。キャラバンを経験したソロダンサー、ウイラニ綾華さんは観客からの声援の変化に、復興を感じ取っている。

 陽気な音楽に乗って、20人を超えるダンサーが華麗な踊りを披露する。専属チームによるフラガールショーは、プールや温泉と並ぶハワイアンズの目玉のひとつ。2009年に加入し、17年からソロダンサーを務めるウイラニさんは「震災があって何年かは『頑張って』という声が多かった。今は『楽しかった』や『幸せ』という声が聞こえる。それがうれしい」という。

 2011年3月11日。東日本大震災でハワイアンズも休館を余儀なくされた。いわき市の内陸部にあったため、津波被害はなかったが、1か月後の4月11日に起きた余震で直下の断層が大きくずれたことにより、ステージやプールが壊れるなど甚大な被害を受けた。再開のめどが全く見えない中、フラガールたちは「フラダンスで日本を元気にしたい」と「きずなキャラバン」と題した無料の全国ツアーを行うことを決断。震災後、実家の福島・田村市でボランティアをしていたウイラニさんも22日にいわきに戻り練習を再開した。

 ダンシングチームが全国を回ったのは、前身の常磐ハワイアンセンター開園をPRした1965年以来、46年ぶり。5月3日から福島、宮城、埼玉各県の避難所を巡り、一般向けは同21日、新宿高島屋の特設ステージで初日を迎えた。当時は原発被害で福島の風評被害が大きくなっていた。舞台裏でウイラニさんは「何を言われるかも分からなかったし、受け入れてもらえないかもしれないという不安の気持ちでいっぱいだった」という。

 ショーの冒頭、代表のダンサーが「私達フラガールは元気です。今から46年前、私達の先輩である当時のフラガールが、地域や仲間とのきずなの力で、炭鉱閉山の危機に立ち上がったように、今度は私達が立ち上がります。私達が福島のためにできることは元気に踊ることです」とあいさつすると、満員の観客から温かい拍手が起こった。舞台に上がったウイラニさんは「皆さんの声や拍手がうれしくて、泣きながら踊りました。あの光景は今でも忘れられない」。ハワイアンズの施設が一部再開する10月まで、北は青森から南は宮崎の全国と韓国・ソウルを含めた125か所247公演を「声援を力に」踊りきった。

 12年2月に全館で営業再開。断層のずれが影響し、ステージの高さが震災前の30センチから80センチになるなど爪痕は残っているが、現在は年間約150万人の来場者が訪れ、にぎやかな声が戻った。「来られた方には純粋に楽しんでもらいたい。良かったと思ってもらえることが一番ですから」とウイラニさん。癒やしのダンスが、復興の一助になると信じて、きょうもステージに立つ。(遠藤 洋之)

 ◆スパリゾートハワイアンズとフラダンサー 常磐炭鉱(1976年閉山)に代わる新たな産業として、温泉を利用した日本初のテーマパーク「常磐ハワイアンセンター」が1966年にオープン(90年に改称)し、温泉やプール、ゴルフ場、ホテルなどを有する。ステージで踊るフラダンサーの養成学校として65年、常磐音楽舞踊学院を創設。今年で55年目を迎える同学院からは約300人のダンサーを輩出した。2年間踊りやハワイ語などを学び、卒業後は正式なプロダンサーとなる。2006年に上映された映画「フラガール」の大ヒットを受け、07年には来場者が過去最高の161万人を数えた。現在、ダンスチームは学院生を含めて34人。ショーの中心として活躍する「ソロダンサー」は5人おり、ハワイ語のソロネームが付けられる。「ウイラニ」は美しい、陽気な、明るいの意。

 ◆高倉ななさん「いつか私の踊りで元気を」

 2017年にハワイアンズのダンスチームに入った高倉ななさんは、ウイラニさんに憧れ、夢をかなえた。

 宮城南部の亘理町で小学6年時に被災。自宅に大きな被害はなかったが、ライフラインは止まり、不自由な生活が続いた。高倉さんの希望になったのが、インターネットの動画サイトで見ることができた「きずなキャラバン」だ。「私にとって一番の楽しみでした。学校から帰ると、すぐにパソコンを開いて見ていました」という。

 ハワイアンズには小さい頃から家族で何度も足を運び、ダンスに魅了された。小2時から、母と共に地元のダンス教室に通った。震災の影響でレッスンができなくなり「夢を失いかけた」というが、動画で見たウイラニさんらの笑顔の踊りに「やっぱり踊りたい」と決意。姉が住んでいた仙台のフラダンススクールに通った。衣装も手作りするなど情熱を持って取り組み、17年にダンサーを養成する常磐音楽舞踊学院に入学。同年8月に舞台デビューを果たした。

 今春同学院を卒業し、いよいよプロダンサーとしてステージに立つ。「私自身、ショーを見て元気をもらった。いつか私の踊りで元気を与えられるダンサーになりたい」。夢に向かってステップを刻む。

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