かつての本拠地に最も多くの汗と涙、いや時には血さえも染み込ませたのはこの男だろう。
「一番土を持ち帰ったのもオレやろ。毎日、ユニホーム真っ黒やったから。それだけが自慢やね」。笑ったのは中村バッテリーコーチだ。いわく一番の思い出は「10.6」。念のために書くが間違いではない。
「10.8はミスも出たし、悔しいけどやりきったという思いもある。でも10.6には悔いが残る。何でフォークで押さんかったんやって」
1996年10月6日。ナゴヤ球場ラストゲームに敗れ、巨人のメークドラマが完結した。星野監督に「巨人ファンの皆さん、おめでとう!」と言わせたあの試合。中村コーチが忘れられぬ1球は、同点の3回、2死一、二塁からマックに浴びた決勝3ランだ。フルカウントからのスライダーを、左翼席に運ばれた。完投勝利から中4日で先発した門倉は、中村のフォークのサインに首を振っている。
「(2回に)大森さんに打たれたのがフォークだったので、残像があった。ルーキーの僕がこの試合に投げていいのか・・・。負けた後もこれで良かったのかと考えました」。打たれた門倉にも言い分はある。譲った正捕手には根拠がある。
「空振りを取れるのはスライダーよりフォークだった。長打だけは避ける場面。スライダーは抜ける可能性もあったからね。ホームランを警戒してのホームラン・・・。迷いながらやってる時は、いつかやられる」
フォークだと思いながら、押せなかった「悔い」。シーズン128試合目にして逆転優勝の夢は消え、長嶋監督の胴上げを見つめた。
「今でも夢に見るとまでは言わないけど、今でも忘れられないのは確か」。23年たっても流すことができないのか・・・。捕手が背負うモノの重さをしみじみと感じる話だった。