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【ドラニュース】

【龍の背に乗って】23年たっても流せぬ記憶 「押せなかった」中村コーチの悔い

2019年3月8日 紙面から

1996年10月6日の巨人戦3回表2死一、二塁、マックに勝ち越し3ランを浴びる門倉(25)(鵜飼一徳撮影)=ナゴヤ球場で

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 かつての本拠地に最も多くの汗と涙、いや時には血さえも染み込ませたのはこの男だろう。

 「一番土を持ち帰ったのもオレやろ。毎日、ユニホーム真っ黒やったから。それだけが自慢やね」。笑ったのは中村バッテリーコーチだ。いわく一番の思い出は「10.6」。念のために書くが間違いではない。

 「10.8はミスも出たし、悔しいけどやりきったという思いもある。でも10.6には悔いが残る。何でフォークで押さんかったんやって」

 1996年10月6日。ナゴヤ球場ラストゲームに敗れ、巨人のメークドラマが完結した。星野監督に「巨人ファンの皆さん、おめでとう!」と言わせたあの試合。中村コーチが忘れられぬ1球は、同点の3回、2死一、二塁からマックに浴びた決勝3ランだ。フルカウントからのスライダーを、左翼席に運ばれた。完投勝利から中4日で先発した門倉は、中村のフォークのサインに首を振っている。

 「(2回に)大森さんに打たれたのがフォークだったので、残像があった。ルーキーの僕がこの試合に投げていいのか・・・。負けた後もこれで良かったのかと考えました」。打たれた門倉にも言い分はある。譲った正捕手には根拠がある。

 「空振りを取れるのはスライダーよりフォークだった。長打だけは避ける場面。スライダーは抜ける可能性もあったからね。ホームランを警戒してのホームラン・・・。迷いながらやってる時は、いつかやられる」

 フォークだと思いながら、押せなかった「悔い」。シーズン128試合目にして逆転優勝の夢は消え、長嶋監督の胴上げを見つめた。

 「今でも夢に見るとまでは言わないけど、今でも忘れられないのは確か」。23年たっても流すことができないのか・・・。捕手が背負うモノの重さをしみじみと感じる話だった。

(渋谷真)

 

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