天皇陛下の在位三十年を祝う記念式典が二十四日に行われる。「平成」とは人々に戦争のない時代と記憶されよう。陛下はそのことを何より安堵(あんど)した。平和の時代を私たちは引き継いでいきたい。
平成では最後となる昨年十二月の誕生日の記者会見で陛下は次のように述べられた。
<平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵しています>
思い起こせば明治、大正、昭和と日本が近代国家として歩みだしてから、戦争が繰り返された。
明治時代の日清・日露の戦争では、明治国家が定めた徴兵制によって、多くの国民が戦地に駆り出され犠牲になった。大正時代はデモクラシーの言葉で彩られる一方、第一次世界大戦があり、日本も中国の青島などを攻略。ロシアのシベリアへ出兵もしている。
昭和に入ってからは、満州事変から、日中戦争、さらに太平洋戦争へと深みにはまった。日本人だけでも約三百十万人もの死者を出した。アジア諸国などの犠牲者を数え上げれば、その無残なこと限りない。
当時は明治憲法の時代だったから、天皇は陸海軍を統率する大元帥の地位にある。戦争と天皇とは決して無縁ではなかった。そのことを考えれば、「平和の天皇」でいられたことが、何より陛下の喜びであったと推察される。だから、記者会見でもこう触れた。
<先の大戦で多くの人命が失われ、わが国の戦後の平和と繁栄が、このような多くの犠牲と国民のたゆみない努力によって築かれたものであることを忘れず、戦後生まれの人々にもこのことを正しく伝えていくことが大切であると思ってきました>
戦争の記憶を正しく伝える-。それは次世代への貴重なメッセージと受け止める。また、陛下は象徴としての公的行為を重んじた。憲法で定められた国事行為でもなく、私的行為でもない天皇としての振る舞いである。
例えば国内外の戦地に赴き、犠牲となった人々を悼む。あるいは地震や水害などに遭った被災地を訪れ、人々を慰める。それらの公的行為が、国民にとって天皇の存在がいかに身近に感じられるようになったことか。
その務めが高齢により困難になったため、退位という新たな道を開かれた。在位三十年という年月は、国民との距離をいっそう縮めることになったと考える。
この記事を印刷する