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![]() 【東京】東京大空襲 その時軍隊は? イラスト展示など墨田で企画展
東京大空襲(1945年3月10日)前後の軍隊の動きなどにスポットを当てた企画展「東京大空襲~罹災(りさい)者・救護者・戦争遺跡~」が、すみだ郷土文化資料館(墨田区向島2)で開かれている。敗戦前後に多くの資料が焼却され、解明が進んでいない軍の動きの一端が当時の資料や証言から浮かび上がっている。 (大沢令) 東京大空襲前の陸軍の動きがうかがえるのは、東京の防衛を担当する東部軍が四五年一月に極秘で作った「想定に基く戒厳業務細部の研究(案)」。 空襲をきっかけに治安が悪化して、軍隊が権限を行使できる戒厳令を出す場合を想定して作られたとみられる。都内の重要施設を広範囲の目標とする二回の空襲を想定し、死者数を一万三千七百五十人と推計。東京大空襲では十万人が犠牲となり、実際とはかけはなれた推計をしていた。 東京大空襲から間もない同年四月十九日、東部軍が本土決戦の軍需物資に利用するため、空襲の焼け跡から鉄や非鉄金属、大谷石や耐火れんがの回収を指示する文書も示されている。 海軍が空襲当日、秋葉原周辺で遺体回収に従事していたことも、当時の関係者の記録から読み取れる。 陸軍軍医学校の軍医の記録から、満州で七三一部隊の部隊長だった石井四郎軍医中将が開発した「石井式濾水(ろすい)機」が救護活動に投入されていたことも紹介されている。濾水機は前線で使われていたが、国内の防空部隊にも配備されていた。本所国民学校の救護所では濾水機で隅田川の水を浄化して救護に使ったことが示されている。「石井式濾水機」の濾過筒(明治大学平和教育登戸研究所資料館所蔵)も展示されている。 軍隊のトラックが荷台に遺体を山積みにして走り去る様子を目撃した空襲体験者のイラスト(体験画)や手記も紹介されている。 資料館学芸員の石橋星志さん(36)は「軍が前線で使っていた石井式濾水機が国内の防空部隊に配備され、空襲下で稼働していた。内地も戦場だったとの認識をあらためて持つ必要がある」と指摘する。 このほか体験者から聞き取った避難経路や墨田区の戦争遺跡も紹介している。 四月十四日まで。入館料は大人百円。中学生以下無料。休館日は毎週月曜日(祝日の場合は翌日)など。問い合わせは同資料館=電03(5619)7034=へ。
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