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【首都スポ】

J2柏・小池龍太「今を100%」 大震災から8年 15歳のとき福島で被災

2019年3月7日 紙面から

福島に想いをよせる柏の小池龍太=三協フロンテア柏スタジアムで(福永忠敬撮影)

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 2011年3月11日、東日本大震災に遭った15歳のサッカー少年がいた。Jヴィレッジ(福島県広野町、楢葉町)を拠点とするJFAアカデミー福島に所属していた小池龍太(23)=J2柏=だ。震災と東電福島第一原発事故の影響で練習環境を失いながら、先が見えぬ辛苦を乗り越え、サッカーとともに必死に歩んできた。あれから8年-。小池は驚きのシンデレラストーリーを描き、Jリーグ屈指の右サイドバックとうたわれるまでに成長を遂げた。 (松岡祐司)

◆中学卒業式の当日…

 笑顔は消え、心は一瞬にしてこわばった。

 「まずは逃げなきゃいけない。みんなと助け合い、行動しながら、自分たちの安全を確保しなければいけなかったので、サッカーのことは全く頭になかったですね」

 あの日は、広野町立広野中学校の卒業式当日だった。中学3年だった小池は先生から贈られたDVDをチームメートと一緒に寮で見ながら、中学生活の思い出に浸り、楽しんでいた。しかし、門出を祝う雰囲気は突如、暗転した。

 午後2時46分。小さな揺れを感じた直後、大きな揺れに襲われた。スタッフから「自分たちの部屋に戻って、机の下に隠れなさい」と指示された。だが、あまりに揺れが大きく、部屋に入ることさえできない。すぐさま仲間たちと寮を飛び出し、近くにあるスタジアムの広場に逃げた。恐怖と不安ばかりがのしかかり、寒空にはどんよりとした鉛色の雲が立ち込めていた。

 アカデミー生たちとチームバスの中に一時避難すると、夜には寮の1階にあるトレーニングジム内に自室から持ってきた布団を敷いて並べた。「余震も強かったので、なかなか寝つくこともできませんでした」。15歳だった少年は眠れぬ夜を明かした。

 近くの中学校を転々とした後、アカデミーの指示を受け、13日に卒業式に来ていた家族とともに車で東京の実家へ戻り、しばらく自宅待機を余儀なくされた。

◆自衛隊前線基地に

 Jヴィレッジの敷地は、福島第一原発から南へ約20キロの場所にある。原発事故によって、スポーツ施設・拠点としての機能は全面休止となり、自衛隊や東電などの前線基地として使われた。

 アカデミーはどうなってしまうのか。サッカーを続けられるのか。いや、この状況で続けていいのか-。

 「毎日、ニュースでいろいろな情報が入ってきて、自分たちだけが福島の外に行かせてもらっていたので、それでも、サッカーを続けさせてもらっていいのかという心情もありました。難しい、いろいろな感情がありました」

 3月末、日本サッカー協会は同アカデミーを静岡県御殿場市の多目的施設「御殿場高原時の栖(ときのすみか)」に一時移転することを決めた。中学生63人、高校生62人の男女計125人が移り、3期生の小池は高校を卒業するまでの3年間を御殿場で過ごすことになった。

2018年8月15日のFC東京戦で東(右)と競り合う柏の小池=味の素スタジアムで

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 仲間たちとプレーできる純粋な喜びを改めて知った。そして、多くの人の尽力、理解によってサッカーに打ち込める環境を再び与えられ、小池はある決意を固めていた。

 「福島や静岡の人たちに、より良いニュースをより多く届けること。自分たちの存在を知ってもらい、それを活力にしてもらえるようアカデミー全体で取り組みました。それが、僕たちにとってもいい影響になるということを意識して、毎日、取り組んでいました。一つの勝利でも喜んでくれる人がいるかもしれない。毎試合の結果にこだわり、すべてをポジティブにしていこう、応えていこうとしていました」

 何を言われずとも、自然と練習に力が入った。自らを律し、自分自身と厳しく向き合った。ワンプレー、目の前の勝負にこだわった。どんな試合でも勝つことに執着した。そんなできるようでできない、当たり前のことを当たり前のようにコツコツと重ねた。「僕たちにできることはそんなことでしかない。でも、それが最大の強み」。その思いを強くしてくれたのは震災であり、アカデミーでの日々であった。

 「目の前にあることを100%でやる大切さをすごく感じさせられました。常に、明日があるという安心感はないです。今日、100%で臨む。明日があるかも分からないですけど、明日のために、常に100%で取り組む必要がある。(震災以前に)甘さがあったとは思わないですけど、まだまだできるんだなというのはすごい感じられましたね」

◆J屈指の右SBに

 震災から3年後、同期の金子翔太(清水)、安東輝(松本)らはプロに進んだが、小池にはJクラブからオファーは届かなかった。当時、日本フットボールリーグ(JFL)だった山口に新天地を求め、チームの躍進とともにJ3、J2と駆け上がった。活躍が認められ、2017年に当時J1だった柏へ移籍後もレギュラーを掴み、アジア・チャンピオンズリーグ(ACL)にも出場した。いまや、Jリーグ屈指の右サイドバックとして、その存在は国内外で高く評価されている。

 急激な成長、周囲もうらやむようなステップアップ。向上心に駆られ、高みを目指していく原点は、震災を経て、サッカーと真摯(しんし)に向き合い、打ち込んできた日々と感謝の思いにほかならない。

 「(震災から8年がたっても)まだ苦しい思いをしている方々はいます。(苦難に直面しても)自分が苦しんでいることは、そんなに大きなことじゃないなという思いが今はあります。苦しい時期を自分で実感したからこそ、自分はもっとやらなければいけない。もっともっと、やらなければいけないなと思っています」

 Jヴィレッジは今年4月に全面営業を再開。アカデミーも21年度から段階的に帰還することが決まった。原点であり、「第二の故郷」という福島への思いを胸に刻み、小池はJ1復帰、22年W杯カタール大会出場を目指す戦いに挑んでいく。

◆子供向けイベント開催へ アカデミー同期と思案

 小池はサッカー教室など子供向けのイベントを福島県内で開催しようと、アカデミー同期生たちと話し合っていることを明かした。サッカーを通して地元の子供たちと触れ合ったり、アカデミーの存在を知ってもらったりするのが目的で、小池は「子供たちが僕たちとつながりを持つことで、そこから物語ができればいい」と語り、「僕たちの成長を見せられればいいですし、その成長を子供たちの成長につなげていければ、という思い」と話した。

<小池龍太(こいけ・りゅうた)> 1995(平成7)年8月29日生まれの23歳。東京都八王子市出身。169センチ、64キロ。JFAアカデミー福島を経て、2014年に当時JFLの山口入り。J3昇格、J3優勝などに貢献。2017年柏へ移籍。J1通算64試合出場。攻撃参加と正確なクロスが売りの右サイドバック。カタール・アルドハイル所属の中島翔哉は母方のいとこ。

◆JFAアカデミー福島

2012年11月29日(上)と今年2月24日(下)の福島県のサッカー施設「Jヴィレッジ」。東京電力福島第1原発事故の収束作業などに携わる社員寮があったグラウンドに緑の芝生が“復活”し、地元チームの熱戦に歓声が上がった

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 日本サッカー協会が2006年4月に設立したサッカー選手の養成機関。ティエリ・アンリら名選手を生んだフランスの国立サッカー学院がモデルで、生徒は福島県広野町・楢葉町に広がるサッカー専用トレーニングセンター「Jヴィレッジ」でJFA認定コーチ陣の指導を受け、近くの中学、高校に通学。寄宿制の中高一貫指導で、サッカーだけでなく、語学やリーダー教育など総合的な人材育成を行う。

 福島第1原発事故の影響で、11年春から拠点を福島県から静岡県御殿場市へ一時的に移転。21年度から段階的に帰還することが決定している。同様のアカデミーは熊本県宇城市、堺市、愛媛県今治市にもある。

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