「必ずしもそうだとは言えないこと」が正答となる馬鹿げた歴史教材が小学校で横行しているのだが、小学生は騙せても、大学生までは騙し切れないからこそ、現在の自分がここにある。このアホ臭い設問を考えた人間は、その期待する学習効果より副作用のほうが強く発現することを知っておいたほうが良い。pic.twitter.com/7hDsbPEsKy
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学術上、史料により矛盾の生じること、異論や論争のある事柄については、教科書には両論併記し、テストには「必ずしもそうではない」ことが正答となる設問を避けるべきだろう。大学入試では設問から推測されることが正答の妨げとなりうることで全員正解となることさえある。 ※同志社大学 公式pic.twitter.com/7odOPw8V6a
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自分は負けません。これは歴史戦です。
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(`・ω・´)ゞ
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子を持つ親として、義務教育、高校大学に進む過程では 俺自身間違っていると捉えていても 教科書通り覚えないとテストで誤りになるため 敢えて子供たちには何も伝えていません 大阪は在日コリアンが多いから歴史認識が心配やけど 正しく物事を考えられる大人になってから 機会があれば話すつもりです
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同感です。大阪はこれに「国際理解」という名の、実質「朝鮮学習」が加わりますからね。
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学校によっては『母国語教室』なる部屋で ハングルを教えていたり 課外授業では、朝鮮民族の歌と手遊びを 教わったりしています 「それなら英会話の授業の方が合理的やろ」 と思います 在日コリアンに対しての差別心はないですが 自発的な交流ならいいですけれど 敢えて教育機関でやるべきことかと
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大阪府民として同感です。
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教育の専門家としては、思想云々よりやはり試験が大事ってことになります、どうしても。ですから教科書を根本的に変えられない限り、今の記述を踏襲し教えるしか無い現実が非常に苦しいです。ただ僕は、どの年代の生徒にも、自分の知り得る正しい日本史と、日本人としての保守思想を教えています。
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教材は出版社が教科書に準拠して売れるものを作ってきますからね。自分は教育者ではないので、偏向教育を受けた者としておかしなものはおかしいと声を上げ続けていきたいです。
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もうね、これを見越して回答を考える我が子。 今回の時事問題も「ナニコレ!?」「だよねー!点数取れるように回答したいたよ」…。他の先生も「あの先生はアレだからねー」 こう言える学校だから良かったのかもしれない
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左派に成りすますご子弟(^_^;)
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日本を米国に、朝鮮を日本に置き換えると、いまの左翼の主張にそっくりですね。
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反米左派のことですね。
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❶ 日本は、両国の条約、法令に基づき平和裡に韓国を、、、 ❷多くの両班(特権階級)が土地を失ったが、多くの韓国の方々が農家として自立の端緒を掴んだ。 ❸学校では日本語の教育を受けることができた。ハングル文字の教育も行われたため、飛躍的に識字率が向上した。 こんな感じに思います。
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当然そういう解釈も成り立つわけで、設問は不適当です。
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>多くの人々が土地を失い、日本人のもとで小作人として働いた。 李栄薫・ソウル大学教授: 「私が植民地時代のイメージを修正するようになった個人的動機は、1990年、日本の『土地調査事業共同研究』のために全国を巡回し、土地台帳など原資料を収拾したことだった。
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慶南・金海市地域には、大量に原資料が残っていた。それらの資料を参考を検証して、教科書とは余りにも異なる内容に驚いた。 『土地申告をやらせて、無知な農民たちの未申告地を容赦なく奪った』と教科書の記述にはあるが、実際はまるで異なり、未申告地が発生しないよう綿密な行政指導をしており、
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土地搾取が発生することがないよう、繰り返し、指導と啓蒙を進めていた。 農民たちも自身の土地が測量され、地籍簿に記載されたのを見て喜び、積極的に協力した。その結果、墓や雑種地を中心に0.05%程度の未申告地が残ったに過ぎない。
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それを知った時、私が持っていた植民地朝鮮のイメージは、架空の創作物に過ぎないものであったことを自覚した」
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金完燮: 日本は1911年から土地調査事業を始めて、農業基盤を整備し、所有権を確定した。それまでは、土地は国や門中(一族)のものであったために所有者が特定できなかったが、この措置により農民や地主の名義での所有が認められた。(自作農は自分の土地の主人となり、地主は余計な税金を納める
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ことなく土地を所有できるようになった)これは、長い間自分の土地をもたないまま支配層の奴隷として生きてきた農民にとっては、新しい世界が開けたも同然だった。しかし、歴史を記す支配者層にとっては、経済基盤を奪われた「略奪の歴史」に他ならない。(SAPIO 2002/7/24)
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併合以前から統監府官吏だった今村鞆: 良民は新政を喜んだが、両班儒生の大多数は、新政に反対した。時勢を解した両班は、従前の行動を改めたが、中には民衆の無知に乗じ、依然として昔ながらの、横暴振を逞(たくまし)ふして居る者も多かつた。下民の身分を省みず、両班の前で喫煙したとか、
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馬で乗打をしたとか、いふ様な、良民が時勢に目醒めてする、従来の習俗に反する行為を咎め立てて、罵倒殴打する、等の事により、債務のカタに人や馬や財産を強収拉去する、なほ甚だしきは、土地の境界不明に乗じ、良民の土地を侵犯するといふ、慣行手段の悪事を公行して居たが、被害人民は、
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