指示詞「これ」「それ」「あれ」は,どんなふうに使い分けられていますか。
「これ」「それ」「あれ」などの指示詞は,基本的には,指示対象までの距離に応じて使い分けられます。以下では,さらに詳しい使い分けについて見ていきますが,その前に用語をいくつか導入しましょう。まず,近距離を指す「これ」を《近称》,中距離を指す「それ」を《中称》,遠距離を指す「あれ」を《遠称》と呼ぶことにします。そして,会話の現場にある対象を指すことを《現場指示》,会話の現場にない対象を指すことを《非現場指示》と呼ぶことにします。それでは,はじめましょう。
太郎が手に持っているスマホを花子に見せています。
(a)
太郎「これ,買ったばかりの新しいスマホ」
花子「あ,画面が大きくて使いやすそう」
太郎は近距離にあるスマホを,近称の「これ」で指しています。スマホは会話の現場にあるので,(a)の「これ」は《現場指示》ですね。それでは次の発話は,どうでしょうか。
ラーメンは会話の現場にある対象ではありません。(b)の「これ」は,あくまで文章で前に登場した言葉(先行詞といいます)であるラーメンを指しています。これが《非現場指示》です(文脈指示ともいいます)。
それにしても,ラーメンは会話の現場にないのに,まるで《目の前にあるような感じ》がしますね。「これ」は《非現場指示》でも,《近称》の性質を保っているのです。したがって目の前にあるような臨場感を出したいときは,近称(これ)が選ばれやすくなります。
電車の中で,太郎と花子が並んで座っています。2人の目の前(1mぐらい)のところに何か落ちています。
(c)
太郎「あ,それ,何だろ?」
花子「誰かが落とした財布じゃない?」
2人(太郎と花子)から中距離にある対象(財布)は,中称の「それ」で指せます。ただし中称には《独り言では使いにくい》という特殊な性質があります。独り言では「あ,それ,何だろ?」とは言いにくいことを確認してください。
もう1つ,見てみましょう。電車の中で,太郎と花子が向き合って座っています。
(d)
太郎「あ,それ,何?」
花子「さっき買ったジュース。飲む?」
(d)の「それ」は,聞き手(花子)の領域にある対象(ジュース)を指します。
このように《現場指示》の中称(それ)は,《中距離にある対象を指す》《聞き手の領域にある対象を指す》という,どちらも重要な2つの役割を持っているのです。
それでは《非現場指示》の中称は,どのような意味を表わすでしょうか。
(e)
この間,札幌でラーメンを食べたんだけど,なんか,それ,イマイチだったんだよね…。
「それ」で指すと,「これ」で指したときの《目の前にあるような感じ》が消え,あくまで文章の中に存在する先行詞と《客観的に照応させる感じ》になることを確認してください。「それ」は《非現場指示》でも,中立的な指し方をするのです。したがって,特に目立ったニュアンスを出したくないときは,中称(それ)が選ばれやすくなります。
山登りをしている太郎と花子。頂上に着いて,景色を眺めています。
(f)
太郎「あれ,スカイツリーだよね?」
花子「そうね,ずいぶん遠くからも見えるのね」
太郎と花子から遠距離にあるスカイツリーを,遠称(あれ)で指しています。ただし,遠称の場合は,中称とは違って《独り言でも使える》ことを確認してください(ちなみに,近称も独り言で使えます。独り言で使いにくいのは中称だけです)。
それでは,遠称は《非現場指示》では,どのように使われるでしょうか。
(g)
太郎「昨日,喫茶店で食べたケーキ,あれ,おいしかったね」
花子「そうね,あれ,また食べたいな」
このように,《非現場指示》の遠称(あれ)は,記憶内の対象(ケーキ)を指します(記憶指示といいます)。記憶内にある対象は,過去の出来事や事物です。過去は,現在から見て《遠い》イメージを持っているので,遠称(あれ)が記憶指示に転用されるわけです。
実は(g)で「あれ」を使えるのは,花子の記憶内にも「ケーキ」があるときだけです。太郎は「昨日,一人でケーキを食べに行ったんだけど,×あれ,おいしかったよ」とは言えませんね。基本的に「あれ」は,話し手と聞き手の《共有知識》を指すのに使われます。
ただし,「この間,札幌でラーメンを食べたんだけど,あれ,おいしかったなあ」のように,独り言っぽく《思い出》を指すときは,聞き手が知らなくても「あれ」が使えることがあります。
以上,「これ」「それ」「あれ」の使い分けを見てきました。「こ~」「そ~」「あ~」の3つだけで,あらゆるものが指せるなんて,指示詞というのは良く出来ていますね!
(表1)
現場指示 | 非現場指示(文脈指示) | |
---|---|---|
近称 (これ) | (a)近距離にある対象を指す | (b)目の前にあるような臨場感を伴って先行詞を指す |
中称 (それ) | (c)中距離にある対象を指す (d)聞き手の領域にある対象を指す | (e)客観的に照応させる感じで先行詞を指す |
遠称 (あれ) | (f)遠距離にある対象を指す | (g)記憶内にある対象を指す |