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お隣の天使様にいつの間にか駄目人間にされていた件 作者:佐伯さん

第二章

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108 体育祭当日

 六月初旬――徐々に汗ばむ季節に移り行くこの頃、周の通う学校では体育祭が行われる。


 高校の体育祭は小中の運動会といった和気あいあいとした行事というより、どちらかと言えば授業の延長線上といった雰囲気のものであり、父兄が観覧に来る事もほぼない。


 それでも数少ない行事と言えば行事なので、一部の生徒は熱意がみなぎっている。特に運動部の下級生達は顧問に自分の能力を見せるチャンスだと思っているのか、張り切っていた。


 逆に文化系の部に所属している生徒はあまり気乗りしていないのも多い。

 帰宅部の周も後者だ。


「だるい」


 同じテントに居る生徒が小さく呟いたのが聞こえて、周はひっそりと苦笑する。


 周も気乗りはしていないが、あからさまにやる気がないという顔をするほどでもないので、涼しい顔をしている。


 幸いな事に出場希望が第一志望で通ったので、無駄に走り回るような種目には出場しない事になっていた。走り回るとすれば精々男子全員参加の騎馬戦くらいなものだろう。


「藤宮は嫌そうにしてないな。てっきり嫌なのかと」


 同じ赤組に割り振られたテントに居る門脇が意外そうに周の顔を見る。


「まあ希望通ったし、暇な時間があるってだけで今回はそこまで嫌でもない。まあ勉強してる方が楽だとは思ってるけど」

「それはそれで珍しいと思うけどな……」

「藤宮は勉学面に秀でている代わりに運動は得意ではなさそうだからな。仕方あるまい」


 近くで話を聞いていた柊に、周も否定しきれず苦く笑う。


 まあ実際にそうだから否定のしようがないのだが、やはり人から指摘されるのは複雑な心境だ。


 勉学に秀でている、という評価は勿論ありがたいし他人からそう見えているという事に感慨を覚えるのだが、やはり文武両道に憧れるのは仕方ないだろう。


「やっぱ定期的に運動した方がいいかねえ。一応散歩したり軽くランニングとかはしてるけど」

「もうちょい家近かったら藤宮とジョギングとかしてもよかったんだけどな」

「門脇のスピードと体力に付いていける訳ないだろ」

「そうだよ。僕それやってしにかけたの覚えてないの、優太。君のはジョギングじゃなくてランニングだし」


 どうやら九重は門脇のジョギングに付き合った事があるらしく、げんなりとした表情だった。


 ちなみに彼は運動部系ではなく文化部系であり、天文部に所属しているそうだ。華奢とも言える細身で小柄な体や白い肌といい、とても運動が出来るといった風貌ではない。

 といっても、華奢で小柄な真昼がバリバリ運動をこなすので一概には言えないが。


「いや、藤宮なら行けると思うんだけどなあ。マラソンとかもそんな疲れてなさそうだし」

「老いた時を考えてある程度の体力作りは日課にしてるけど、体育系には敵わないよ」

「今から老いた後を考えてるの君くらいだよ……」

「藤宮は変なやつだな。いや、面白いと言った方がいいのか」

「それは褒められているんだろうか」


 柊は性格も実直で誠実な男だが、言葉も真っ直ぐ……端的で遠慮がない、というのも関わりだして理解した事だ。


「一哉的には誉めてるんだと思うよ、多分」

「じゃあありがとう」

「どういたしまして」

「なんなのこのやり取り……」


 呆れも隠そうとしない九重であったが、嘲りというものは見えず単に呆れているだけだった。

 それも僅かに微笑ましそう、といった色が見えるので、表面上だけの意味ではないだろう。


「まあまあ。一哉が天然なのはいつもの事だから」

「俺は天然ではないと思うのだが……」

「知らぬは本人ばかりなりってね。いいよ一哉は気にしなくて。ありのままの君で居てちょうだい」

「む、そうか?」


 あっさり納得してそれ以上追及しない柊に、周は「それでいいのか……」と呟きつつ、グラウンドの方を見る。


 グラウンドでは、選手達が短距離走をしていた。


 トラックの長さからして百メートル走だろう。第一走者が終わったらしく、第二走者が並び始めている。


 第二走者は女子達のグループらしく、我が軍でも足が早いらしい女子が集まっていた。

 見慣れた赤茶の髪をした少女も居る。


「あれ、千歳って足速かったっけ」

「ああ、白河さんは速いよ。中学時代は陸上部だったし」

「え、そうなのか」

「うん。高校では入らなかったみたいだけど。部の先輩と揉めるのはめんどくさいって」

「揉める前提というところに突っ込めばいいのか」

「や、うん。これには事情があるというか……まあ、懲りたというか疲れたんだろうけどね」

「……疲れた?」

「白河さんが樹と付き合うのに紆余曲折あったんだよ。なんというか、うん、樹の事が好きな先輩が陸上部に居てね」

「あー、察した」


 今でこそ二人は学年中が認めるカップルであるが、中学時代、付き合う前は樹が千歳に猛アタックしていた、というのは本人から聞いた。

 今よりも若干冷めた性格をしていたらしい千歳を口説き落とすのに多大な時間がかかって付き合う事になったそうで。


 その様を、樹に恋する部の先輩が見ていたというのなら、揉めるのも想像に難くない。


「しがらみとかがめんどくさいからって、部活に入らない事にしたらしいよ。でもまあ、走る事自体は好きみたいだし、たまに走ってるの見かけるよ」


 家が近所だしね、と付け足して門脇は笑い、クラウチングスタートの体勢を取った千歳を眺める。


 素人に近い周から見ても、千歳の体勢は堂に入ったものだし、綺麗とすら思える。

 遠目に見た彼女の表情は、いつもふざけて笑うような屈託のないものではなく、真剣みを帯びた鋭いものだった。


 空砲の音が、グラウンドに響き渡る。


 その瞬間、誰よりも早く動いたのは千歳だった。


 誰が見ても口を揃えて綺麗だと言うようなフォームで走り出した彼女は、現役の陸上部所属の女子すら抜き去って、それこそ風のように走る。

 柔らかい髪が置いていかれるように後ろに流れ、体はただひたすらに前に出る。力強く地面を踏み締めた足は他の選手よりも速くゴールに向かっていた。


 思わず見いってしまうほど美しい走りを見せる彼女は、気付けばゴールテープをきっていた。


 誰よりも先にコースを駆け抜けた千歳は、一番の旗を持って赤組……こちらの方を見てにっかりと笑っている。

 満足そうにぶんぶんと旗を振っている姿は、微笑ましさすら感じさせた。


 百メートル走が終わって帰ってきた千歳は、自慢げに胸を張っている。


「ただいまー。見てた?」

「見てた見てた。速かったね」

「わーいありがとー!」

「そうだな。やはり白河の走りは見ていて気持ちいい」


 現陸上部所属の二人から褒められてご満悦な千歳に、周も「お疲れ、速かったな」と称賛を口にする。

 実際想定外に速くてびびったのだが、千歳の方は気負いもないようで「あー楽しかった」とのんびり笑っている。


 走っている最中とは打って変わった緊張感のなさは千歳らしく、周も安堵に頬を緩めた。


「しかし、白河は変わらず速いな」

「へっへー、そりゃトレーニングは日課にしてるからねえ。流石に現役時代ほど速くないけど」


 どうやら中学生時代はこれよりも速いらしいから驚きである。周の周囲は身体能力や頭脳面等何かしら優れた人間が多いので、平凡な周としては羨ましい限りだった。


 柊も門脇達と同じ中学だったらしいが、彼もやはり陸上部に所属していないのにこの速さな事を驚いている。


「いつも思うが、何故あんなに速いのか。やはり表面積が少ないとかなり風の抵抗が減るのだろうか」

「ねえかずやん、表面積ってどこを指してるの」

「ん? 身長の話だが」


 それ以外何があるんだ、と純粋な瞳で千歳を見た柊に、千歳が眉を寄せた。

 これは怒りというよりは自分に対する羞恥からだろう。体格の事を言われていると思ったに違いない。


 ちなみに千歳は真昼のような小柄さではないが、身長が高いとまでは言えない。

 女子の平均からすればやや高いが、陸上選手にしてはそこまで高くないといった風だ。


 その上どちらかと言えば細身でアスリート体型ではないからこそ、柊はあの速さに驚いたのだろう。


 彼の様子から他意は感じられないので、完全に千歳が早とちりしただけである。


「自爆したなあ白河さん」

「まこちんうるさい」


 さっと頬を赤らめてべしべしと九重の背中を叩きながら側に座る千歳に、周は彼女にばれないように小さく苦笑した。

体育祭はあと三、四話続いて夏休み編にゆるりと向かっていく予定です。

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