トブの大森林近くのカルネ村に行ったモモンガとツアレ。
ツアレはそこで吟遊詩人として初めて物語を披露する事になった。
観客は子供だけだったが、子供達を笑顔にする事が出来て見事成功と言える結果を残す。
その後も周辺の村をいくつか周り、どこも少数ずつだが村の人を喜ばせることが出来た。
ツアレはその人達の笑顔を見て、これからも一歩ずつ夢に向かって頑張ろうと思うのだった……
が、いつまでも順調に進む訳ではないのが人生である。上手く行った後にはそれなりの困難が立ちはだかるものだ。
ツアレの場合その切っ掛けを作るのは言うまでもなく、勿論モモンガなのだが。
現在二人は再びエ・ランテルに戻ってきていた。適度に休憩を取っているとはいえ、帰りも歩き続けたツアレはそれなりに疲労が溜まっている。
「流石にちょっと疲れましたね。歩くのには慣れてきたと思ったんですが……」
「今回は距離も長いし仕方ないさ。今日はもうゆっくり休んだら良い。私は少し出かけてくるよ」
「はい、そうしますね。いってらっしゃい、モモンガ様」
モモンガの言葉に甘えて、ツアレは今日はおとなしく宿で休む事にする。
その間にモモンガは久し振りに覗いてみるかと、以前行った事のある酒場の一つに足を運んだ。
店内に入ると人もまばらで店主に忙しそうな雰囲気は無かった。うるさ過ぎず静か過ぎず、店主と話をするには丁度いい塩梅だった。
「いらっしゃい――ってアンタか。前はそこそこ頻繁に来てくれたのに急に来なくなったから、てっきり徴兵でもされちまったのかと思ったよ」
「いや、少し辺境の村へ旅行に行っていたので。ところで徴兵とは何のことかな?」
「ん、知らないのか? ああ、そういやアンタはどっか遠い田舎から来たんだったな」
常に仮面を被った男など早々いないからだろう。店主はモモンガの事をハッキリと覚えていたようだ。この辺の常識を知らない理由に思い至り、勝手に納得してくれている。
久しぶりに酒場の店主と話して出てきた興味深い単語。疑問に思っているモモンガに店主は詳しく説明してくれた。
「王国と帝国は毎年戦争をやっててな。毎回どっちが勝ったか分からんような有耶無耶な結果に終わるんだが、それが例年通りなら涼しくなってくる秋ごろにあるはずなんだよ」
「秋、という事は収穫期のあたりですね」
「おうよ。夏の暑さはこれからが本番だから、まだ少し先だがな」
「帝国へは以前行った事がありますが、優秀な皇帝の治める国でした…… 王国には毎回引き分けに出来る程度の軍事力があるのですね」
「いや、違うな。これも大っぴらには言えねぇ事だが…… 戦争の勝敗として引き分けだったとしても被害はこっちが圧倒的に多い。所詮は徴兵された平民の寄せ集めだからな、強さは専業兵士を多く抱える帝国とは比べものにならんよ。毎年この戦争で何千何万人と犠牲になってる」
「……それはかなり不味いのでは?」
「不味いどころじゃない。帝国は収穫期を狙ってやってくるからな。農村の人出は取られる、税は多いでどこの農村も毎年苦しんでる」
店主が途中から声を潜めたのに合わせてモモンガも小声で返す。
苦虫を噛み潰したような顔で口から吐き出された内容から、立場の弱い平民にはかなり深刻な問題のようだ。
「噂じゃ上の方は腐敗だらけらしい。王様は御高齢だし二人の王子もイマイチ信用ならん。一番下の姫様に至っては病気なのか殆ど人前に出てこない。おっと、これ以上は王族批判になっちまうな。忘れてくれ」
「ええ、私は何も聞いてませんとも」
モモンガの返事が気に入ったのか、店主は声のトーンを戻しながら更に色々喋ってくれた。
「そうそう、アンタが好きそうな噂話があるんだが、カッツェ平野に時々現れる幽霊船ってのは知ってるかい? こいつは――」
戦闘になったらどうするべきか等、ユグドラシルでの活動を基準に考えていたモモンガには国の話は新鮮な情報だった。
今まではそれ程気にしていなかったが、国同士の関係なども頭に入れておいた方が良いのかもしれない。知ったところで国の政治に関わるなど面倒でしかない為、モモンガのやる事に変化はないかもしれないが。
その後も店主との会話を楽しみ、ではそろそろ帰るかと席を立とうとしたモモンガに店主は声をかけてきた。
「アンタに一つだけ忠告だ。散々話したからこの国の危うさは分かっただろう。この国の法には強制徴用があるから気を付けな」
「忠告感謝致します。いざとなったら国外へ逃げますよ」
「旅人はそれが出来るから羨ましいねぇ」
「フットワークが軽いことが唯一の特権ですから」
店主からの忠告にしっかりとお礼を言い、モモンガはツアレの待つ宿屋に帰った。
◆
宿屋に戻ると少し休んで元気になったのか、ツアレは普通に起きていた。
折角なのでモモンガは今後はどうするかをツアレと話す事にする。漆黒の剣探しを再開するにしても、今のままではズーラーノーンハンターに逆戻りだからだ。
「しばらくはこの街でゴロゴロ休んでても良いんだが、その後はどうする? 漆黒の剣に関しては今の所お手上げだ」
「どうしましょう。他の目的もこれといって思い当たりませんし……」
「ふむ、そういえば酒場に行った時に聞いたんだが、バハルス帝国とリ・エスティーゼ王国は毎年戦争してるらしいな」
「ええ、そうですよ。税の取り立てで大変だったので、村にいた時は私も妹も戦争なんて全然意識もしてなかったですけど」
ツアレは幼い頃に両親を亡くしている。ならば家族が徴兵された経験も無いのかもしれない。戦場もカッツェ平野と村から遠い場所なので子供の感覚としてはそんなものだろう。
「私も戦争の事はよく分からん。ただこの国は色々とアレらしいから、何かあった時に巻き込まれたくないなぁ」
「それなら別の国にでも行きますか? ちょっとした冒険と観光気分で」
「アリだな。亜人や異形種の村とか国も探せばあるかもしれん」
「良いですね。色んな場所を回るのも冒険譚には良くある要素ですし。私は賛成です!!」
「よし、なら行き先を決めよう。戦争相手だから帝国は除いて、近い所だと法国か竜王国だな」
「聖王国とかは遠いですからね。それ以前にアンデッドのモモンガ様には居心地が……」
「バレなきゃ何処でも大丈夫だとは思うけどな。別に遠くとも魔法を使えば一瞬だが、それでは面白くないのだろう?」
「はい、折角の冒険ですから!!」
「ならドンドン候補を挙げていこう。ふふっ、長い旅になるぞ」
旅行前にはしゃぐ子供の様に少しだけ夜更かしをしながらモモンガとツアレは話し続けていた。計画を立てている間、モモンガはほんの少しだけユグドラシルでクエストを受ける時のことが頭にちらついていた。
人と何かを一緒に考えることはモモンガにとってとても楽しいことの一つだ。中立で決を採っていたあの頃とは違い、少しだけ素直に言い合える今なら尚更だろう。
最終的に行きたい場所やルートを二人で考え、次の目的地となった場所は――
「次に向かう場所は『エイヴァーシャー大森林』に決定だな」
「どんな所か楽しみです。エルフの国も見つかると良いですね」
戦争から逃げる為に王国を離れ、再び旅に出ようとする二人。
しかし、エルフの国がスレイン法国と戦争している事は知らなかった。
行った先の事を余り知らない方が冒険の楽しみが増すという事はある。しかし、情報不足で本末転倒になりかねない事になるとは、まだ二人は思ってもみなかった。
◆
リ・エスティーゼ王国の王都リ・エスティーゼ。その最奥に位置するロ・レンテ城の一室で、国王であるランポッサ三世と一人の医師が苦い顔をして話していた。
「陛下、誠に申し訳ありませんが、我々では王女様の病を癒す事が叶いません……」
「やはり、駄目なのか……」
ランポッサ三世は少しだけ分かっていた様な顔をしながら、医者の言葉を聞いて深い溜息を吐いた。
打つ手が無かったのは別にこの医者だけでは無い。王宮付きの医者を始めとして国中から腕の良い医者をかき集めたが、どれも返ってきた言葉は同じだった。
「王女様の御身体が衰弱されている原因は精神的なものと思われます。心が弱り、身体が食べ物を受け付けないのでしょう。どの様なポーション、魔法を使っても原因を取り除く事が出来なければ変わらないと思われます」
「余はもう同じ言葉を幾人もの医者から聞いた。はあ、分かった、もう下がって良い……」
「お力になれず申し訳ありません。せめて、何か楽しめるもの、気分を変えられるものがあれば良かったのですが……」
申し訳なさそうに頭を下げて退出する医者を見やりながら、何か手は無いものかと考える。
しかし、何も思い浮かばない。娘が苦しんでいるのに何もしてやれない、そんな自分を情けなく思う。
せめて方法を探し続けよう、親として見守ることは続けようと、表情を取り繕って娘の部屋に入った。
「ラナー、調子はどうだ」
「お父様……」
王族に相応しい天蓋付きの豪華なベッドに横たわっている一人の少女――ラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフはこの国の第三王女である。
いつからか食が細くなり、日に日に身体が痩せていった。握れば折れてしまいそうな程細くなった腕。金髪の長い髪は傷んで艶がない。
そして何よりも目には光がなく、生気が感じられない。元気だった頃とは別人のようである。
もはや『黄金』と称される程可愛らしかった少女の姿はどこにも無い。
「ラナー…… 無力な私を許してくれ。きっとお前を元気にする方法を見つけて見せる。必ず、必ずだ。だから、もう少しの辛抱だ」
「……」
「今はゆっくり休むといい。また来るよ」
医者の診療前と変わらず元気の無い娘に声をかけ、ランポッサ三世は部屋を後にした。
「つまらない」
父親が部屋を出た後、少女はボソリと呟いた。本当に何も見えていない父親だと。
何もかもが自分の予想通りでしかない世界。自分の様な子供でも理解出来る事が何故周りは理解出来ないのか。愚かな事ばかりをしている大人達。そのくせ私が正しい答えを教えても周りはそれを不気味に思うだけ。
周囲の人間は自分の事を化け物を見るような目で見ていた。
自分と同じ様に見てくれる人は、私を普通の個人として見てくれる人は誰も居なかった。
同じ人間であるはずなのに同族というものを周りの人間からは感じられず、ラナーの心はずっと孤独だった。
「私が死ぬのと国が死ぬのはどちらが先かしらね」
自分の生死すら興味がない少女は冷めた思考をしていた。
貴族を御しきれない、甘いだけで決断力も何も無い国王。
担ぎ上げられている事に気が付きもしない、とことん愚かな第一王子。
自らを豚の様に演じて、来るはずの無い機会を待つ第二王子。
(この国はあと五年も経たずに消えるのに、みんなは何を考えているのかしら)
――周りの人間の考えている事が本当に分からない。
淡々と国が滅ぶ過程を予想するラナー。
王国が帝国に吸収される所までを想像し、別に国が滅んだところでどうでもいいと途中で考える事を辞めた。
「一度くらい、私の予想を、想像を超える出来事が起こらないかしら。たった一度でもいいから。たった一人でもいいから…… 間違えた事ってないのよね、私……」
――本当につまらない。
たった一人しかいない部屋の中に響きもしないほどの小さな声。
ラナーの発した言葉は誰にも聞かれる事はない。
◆
バハルス帝国の兵士達が集まる訓練所。
そこでは屈強な男達が剣や槍などの様々な武器を持ち、いずれ来る戦いのために訓練をしている。全員が汗を流し、真剣な顔つきで武器を振るっていた。
そんな暑苦しいほどの光景の中、隅で一人だけ周りより一回り小さい剣を振るっている少年がいた。
「四十八、四十九、五十!! ……ふぅ」
決められた回数の素振りを終えて、休憩がわりにゆっくりと息を吐く少年。
息を整え少しだけ体力を取り戻し、訓練を再開させようとする彼に近づいてくる人物がいた。
「よう、クライム。今日も頑張ってるじゃねぇか」
「バジウッド様!? 確か今日は来られないと。本日は予定があったのでは?」
熱心に素振りをしていた少年――クライムに声をかけてきたのは帝国四騎士の一人、バジウッド・ペシュメルである。彼は自分の公務のほかにクライムの教育係のもしている人物だ。
そんな彼が片腕をポケットに突っ込みながら、訓練用の服に身を包んでやって来た。
「なに、予定が早く終わったんでな。身体を動かすついでにお前の訓練を見に来たんだよ」
「お気遣い頂きありがとうございます。今日も用意して頂いたメニュー通りに訓練をしていました」
「相変わらず固いやつだな。子供の頃からそんなんで疲れないのかねぇ」
「一日も早く立派な騎士になる為には休んでなどいられません。バジウッド様の弟子として、恥じぬよう頑張らせていただきます」
「俺の弟子ならもっと遊ぶ事を覚えろ。全く似やしねぇな」
バジウッドは妻帯者だが愛人もいる。正妻も妻公認の愛人も、皆同じ屋根の下で暮らしており全員の仲も良い。
きっちりと全員愛している為、フラフラしているという訳では無い。
言動は軽いが芯は通っており、根は真面目で皇帝陛下にも忠誠を捧げているがクライムとは丸っ切り性格も違うだろう。
「まぁいいや。遊びのやり方はまた今度として、今日は実戦の厳しさを教えてやるよ」
バジウッドはそこらにあった訓練用の剣を取り、クライムにかかってくるように言う。
「ありがとうございます。それでは胸を借りさせて頂きます!! はぁっ!!」
クライムはバジウッド向かって真っ直ぐに踏み込み、上段から剣を振り下ろす。
「真っ直ぐすぎるし一撃だけで止まってちゃダメだな。もっとドンドンこいや!!」
「はいっ!! せいっ!! やぁっ!!」
バジウッドに問題点を指摘され、それを修正しながら剣を振るい続けるクライム。
だが訓練を始めて数ヶ月、まだまだ子供のクライムの剣に重みはない。バジウッドは片手で持った剣で軽くいなすことが出来ていた。
「うぉぉぉ!!」
「ほれ、プレゼントだ」
「えっ、っぁ!?」
クライムが必死に剣を振るう中、バジウッドは急に剣を握っていない手を開いて砂をぶちまけてきた。
クライムは見事に目潰しを喰らい、怯んだ隙にお腹に強烈な衝撃が走る。
どうやら蹴り飛ばされてしまった様だ。
「どうよ、路地裏で鍛えた喧嘩の必勝法だ。ポケットは砂塗れだがな」
「くっ、目潰しとは、卑怯では…… それに騎士が蹴りを使うのは如何なものかと……」
よろよろと立ち上がりながら、クライムは抗議の声をあげるがバジウッドは笑い飛ばした。
「馬鹿野郎、戦いは生き残った奴が勝ちなんだよ。クライム、お前も誰かを守って尚且つ生き残りたいなら手段を選ぶな。使える物は何でも使え」
「はい、覚えておきます……」
クライムは微妙に納得がいかない顔をしながらも返事を返した。
「ほう、その顔はまだまだ元気が有り余ってる様だな。よし、今日は乱戦の厳しさも教えてやるよ。おい、そこのお前ら。自分より小さい奴と戦う訓練だ。三人一組でこいつと戦ってみろ」
「バジウッド様、そんな無茶な!?」
急にバジウッドに声をかけられ、周りで訓練していた兵士達の顔に動揺が見える。
「はっはっは、戦場で敵は一人とは限らんぞクライム。どうしたお前ら、遠慮は要らん。先輩兵士の力を見せてやれ。だが、もしこいつに負けた奴がいたら俺が直々にシゴいてやるからな!!」
クライムは何時も真面目に訓練をしており、子供にしては礼儀正しく周りからの評価も悪くない。そんな子供と戦う事に訓練とはいえ兵士達は気が引けていた。
しかし、バジウッドの最後の一言で目つきが変わる。
「クライム、悪く思うな」
「そうだ、あんなシゴキに耐えられるのはお前くらいだ」
「お前の夢を応援している」
「お前ならできる」
「もっと熱くなれよ!!」
「これが大人の戦いの厳しさだ」
「そんな!? ……ええ、分かりましたよ。やってやりますよ!! うぉぉぉ――」
クライムが雄叫びをあげながら必死に戦う様子を見続ける。周りの兵士たちも大怪我をさせるつもりは全くないが、手心を加えるつもりもない。
クライムは強くなれて兵士達との絆も深まり一石二鳥だと、バジウッドは一人ウンウンと頷いていた。
「見上げた根性だよ、まったく。こりゃ数年後には本当に最年少の騎士になれるかもしんねぇな」
これが終わったら飯にでも連れてってやるか。
そんな事を思いながら時たまアドバイスをしつつ、クライムがぶっ倒れるまで様子を見守り続けるのだった。
「うぉぉぉぉ!! 人々を助けられるような騎士になれるまで、私は、絶対に諦めませんからぁぁぁ!!」
こうしてクライムはよく動き、よく食べ、すくすくと成長していくのだった。