三田渡への道 幕間
One More Cup Of Coffee
「さ、続編にいくぞ」
「だいたいさ、どうして続きをつくる気になったんだ?」
「北京陥落、明滅亡までやれないか?というリクエストがあったからですよ」
「なるほど。タイトルどおりに三田渡までで終われば、時代の区切りとしてはやや中途半端になってしまうという感は否めませんね」
「タイトルを適当に思いついたせいで、そうなっちゃったのよ」
「ま、そういうわけで、作者自身もきっちりキリのいいところまでやるべきでは?と考えて、続きをつくろうというわけだ」
「新規の登場人物も増えますし、前回までは個人アイコンをあてませんでしたが、重要キャラに昇格して個人アイコンをあてる人物もいるので、あらためて整理して紹介します」
主な登場人物
李氏朝鮮
仁祖 | 李氏朝鮮の第16代国王。名は倧 。第14代国王宣祖の孫(定遠君の長男)。1623年、西人派と小北派のクーデターで擁立され(仁祖反正)、徹底した反清・親明政策をとる。1627年の丁卯胡乱、1636年の丙子胡乱で、後金(清)に屈服し、その属国となるが… |
昭顕世子 | 李氏朝鮮の第16代国王仁祖の嫡男。名は |
鳳林大君 | 李氏朝鮮の第17代国王孝宗。16代国王仁祖の二男。名は淏。丙子胡乱の降伏時の約定によって、夫人、兄の昭顕世子夫妻とともに清の首都盛京(瀋陽)に人質として赴く。兄の昭顕世子が急死後、世子となる。1649年、仁祖の死去を受けて即位し、清への復讐のため北伐政策を計画する。 |
姜氏 | 昭顕世子の妻。近現代以前の東アジア世界の常識どおり、名は伝わらない。夫とともに清の首都盛京(瀋陽)に人質として赴く。 |
崔鳴吉 | 李氏朝鮮の重臣。仁祖擁立のクーデターに参画して朝廷に復帰した。丁卯・丙子胡乱のさいには一貫して講和論を唱え、交渉を主導する。 |
洪瑞鳳 | 仁祖擁立のクーデターの中心人物の一人。丁卯胡乱では斥和を唱えたが、丙子胡乱では崔鳴吉とともに講和論を唱え、降伏時の手順について清の将軍との協議に当たる。 |
金瑬 [流の下に玉] | 仁祖擁立のクーデターには兵を率いて宮殿を制圧する。丙子胡乱のさいは領議政兼体察使として軍権を握りグデグデぶりを発揮する。敗戦の責任を問われて一時配流されたものの、すぐに復帰しやがて領議政をつとめる。詩文を得意とした。 |
金自点 | 仁祖擁立のクーデターに参加し、戸曹佐郞に任じられる。一時左遷されたが、丁卯胡乱の最中に群臣の要請で江華島守備に起用される。 丙子胡乱のさいは最高司令官の都元帥として朝鮮軍の指揮をとったが惨敗の責任を問われ配流される。のち復帰し、金瑬 と組んで西人派の実力者となる。 |
李景奭 | 1624年の科挙で状元(首席合格者)となった。丙子胡乱の後、三田渡の石碑の銘文の起草を命じられる。のち盛京(瀋陽)に行き、昭顕世子の輔佐を務める。明船の往来を清に報告しなかったとして、清によって免職、登用を禁止される。処分が解けた後は右議政・左議政・領議政を歴任する。 |
金尚憲 | 丙子胡乱では一貫して斥和抗戦を唱えた。戦後、官途を退き郷里の安東に隠棲する。1639年、清の明攻撃について、清の要求どおり援軍を出兵することに反対し上疏するが、これを知った清は逮捕引渡しを求めたため、盛京(瀋陽)に護送され取調べを受けた後、6年間幽閉される。帰国後は左右議政を歴任し、北伐論の元老として位置する。 |
沈器遠 | 仁祖擁立のクーデターでは、一介の儒生であったがこれに参加し、クーデター軍の大将の任を引き受けるよう金瑬 を説得したため、刑曹佐郎に抜擢される。李适 の乱で、李に加担した容疑のかかった王族を独断で処刑し、その責任を問われて官界から退く。 丙子胡乱で、漢城の留都大将に起用され、のち諸道都元帥となるが、戦後に敗戦の責任を問われ流罪となる。1639年に復帰した後は右議政まで昇進するが… |
林慶業 | 盗賊の討伐などで軍功を上げる。丙子胡乱のさいは義州府尹として平安道を守った。乱後、清との密貿易の罪状で解職されるが、清への援軍司令官として再起用される。のち、向明反清のため策動するが… |
申得淵 | 光海君時代には検閲、記事官といった事務方からはじめ、延安府使を務める。仁祖時代には後金への春信使や江原道観察使などを務め、盛京(瀋陽)駐在の昭顕世子つきの廷臣となる。 |
朴 | 申得淵と同じく、光海君時代には検閲、記事官といった事務方からはじめ、信川郡守を務める。仁祖時代には後金への春・秋信使や坡州牧使などを務め、盛京(瀋陽)駐在の昭顕世子つきの廷臣となる。 |
李時白 | 李貴の息子で、丁卯胡乱の際は、一軍を率いて仁祖を護衛して江華島に入った。1636年、南漢山城守禦使となり、丙子胡乱の際は仁祖を城に迎え入れて、西城将として城を守備した。朝鮮の小説『朴氏夫人伝』ではヒロイン朴氏のダンナ役として登場する。 |
その他朝鮮人 | 一瞬しか出番のない人や、とくに名前を出す必要のない文武官僚、兵士、一般人などを担当してもらいます。 |
清
ホンタイジ | 清の第2代皇帝。廟号は太宗。ヌルハチの第8子。1627年、仁祖即位後、親明政策に回帰した朝鮮を攻め屈服させる(丁卯胡乱)。1636年には国号を清、年号を崇徳に改め、寛温仁聖皇帝になる。これに反対した朝鮮を再度攻撃し(丙子胡乱)、完全に屈服させ、朝鮮を清の従属国となす。 1643年、中原制覇の夢はかなわないまま急死した。 |
ドルゴン | ヌルハチの第14子。ホンタイジの下でモンゴルのチャハル部を討って功績を上げ、族内の実力者となった。丙子胡乱にも従軍、功績をたてる。1643年、ホンタイジ死去後に即位した甥の福臨(世祖順治帝)の摂政となり、呉三桂の誘降、李自成撃破、北京の占領統治など中原制覇に尽力した。 |
順治帝 | 清の第3代皇帝。ホンタイジの第9子。廟号は世祖、名前はフーリン(福臨)。6歳で即位したため、叔父のドルゴンが摂政として全権を握る。ドルゴンの死後に親政をおこない、清の安定に尽力するが、わずか24歳で急死する。 |
英俄爾岱 | 朝鮮王朝実録には龍骨大という名で出ている。他塔喇氏の出身で満洲正白旗に属する。勇戦して参将に抜擢され、ヌルハチの孫娘をめとった。明やチャハル部に対する征戦に従うほか、朝鮮に対する使者に立ち、丙子胡乱のさいにも交渉と処理にあたった。戦後はおもに瀋陽にあって朝鮮の監視監督に従事した。 |
馬福塔 | 朝鮮王朝実録には馬夫達(あるいは馬夫大)という名で出ている。納喇氏の出身であり、満洲正黄旗に属する。丙子胡乱に従軍し、仁祖降伏時の交渉と処理に従事した。戦後は英俄爾岱とともに朝鮮を監視した。 1640年(仁祖18年)2月2日に病死した。このころ通訳も病死したのでその連続死について毒殺の噂も流れたという。 |
鄭命寿 | 本来は朝鮮人で平安道の奴婢。丙子胡乱の当初に清軍の捕虜となり、その利発さと朝鮮の事情に通じているところに目をつけられ、英俄爾岱の通訳として抜擢され、朝鮮との交渉に従事する。 戦後も、英俄爾岱・馬福塔とともに対朝鮮外交の窓口となり、数々の個人的要求をも朝鮮に呑ませる。 |
范文程 | もと沈陽の漢人で科挙受験生。ヌルハチが撫順を落としたさいに仕官する。内秘書院大学士として重用され、後金・清に中国王朝風の政治制度を導入・制定することに功績があり、三田渡碑文の選定にも関わった。また、北京入城後、湯若望と会い、その才能を高く評価して、ドルゴンや順治帝に引き合わせた。暦の改定についても湯を支持・援護した。 |
その他清人 | 一瞬しか出番のない人や、とくに名前を出す必要のない文武官僚、兵士、一般人などを担当してもらいます。 |
明
崇禎帝 | 明の第17代皇帝。名は李由検。廟号は毅宗。衰退する明を憂えるが、先代の天啓帝の時代、貪婪な奸臣・宦官たちが跳梁跋扈したため臣下に対して不信感を抱き、国勢の挽回を焦慮するあまり疑心暗鬼に陥って多くの大臣・将軍を更迭・誅殺する。 |
呉三桂 | 明の将軍。父呉襄の側室が祖大寿の妹だったため、祖大寿は義理の伯父にあたる。父や祖が築いた遼東軍閥を継承し、対清戦争の最高司令官となる。 |
洪承疇 | 福建泉州の人。進士出身であるが、明国内に横行する流賊討伐軍を率いて功績をたてる。1638年には、潼関で当時の最大勢力であった李自成軍を殲滅し、その功績を買われて翌年薊遼総督に任命される。 |
祖大寿 | 遼東の人。袁崇煥に従って戦功をあげ、その副将となる。妹は呉襄の妻であり、呉三桂の義理の母となる。 |
湯若望 | イエズス会のドイツ人宣教師。本名はアダム・シャール・フォン・ベル(Adam Schall von Bell)。湯若望は中国名。天文学・機械学に通じ、多数の天文観測機器をつくり崇禎暦(時憲暦)を作成した。また、紅夷砲の設計製造、管理運用法の著述までおこなった。明滅亡後は清に仕え、国立天文台所長に任命された。 なお、時憲暦は清の滅亡時まで使われ、現在も農暦(旧暦)として通用している。 |
その他明人 | 一瞬しか出番のない人や、とくに名前を出す必要のない文武官僚、兵士、一般人などを担当してもらいます。 |
大順
李自成 | 明の反乱指導者。もとは陝西米脂の駅夫であったという。流賊に身を投じて頭角を現し、明軍に勝ったり逃げたりしながら、ついには最大勢力にのし上がる。明を討って北京に入城し、皇帝となって「大順」王朝を立てる。 |
李巌 | 李自成の参謀。もとは河南開封府、杞県の挙人(科挙の郷試に受かった者)だが、紅娘子にほれられて強奪婚されたため盗賊扱いされ、李自成軍に投じて軍師となり、天下取りのために数々の献策をした、とされているが… |
紅娘子 | 李巌の妻。もとサーカス団の女団長だが、李厳にほれて強奪婚を行なったため盗賊扱いされ、李厳ともども李自成軍に投じた、とされているが… |
牛金星 | 李自成の参謀。河南盧氏県の挙人(科挙の郷試に受かった者)という。李自成軍に投じて、参謀として数々の献策を行い、北京入城後には「大順」の宰相となる。 |
その他流賊 | 一瞬しか出番のない流賊の頭目や、とくに名前を出す必要のない兵士などを担当してもらいます。 |