三田渡への道 番外編2
I'll be alright without you
「あれ?また出番があるの?」
「ああ、前回ふれた題材についての追加検証だ」
「続編をつくるだけの事情とか事件があったんですか?」
「はい。前回は所謂『貢女3000人』言説についてのCharles Dallet『Histoire L'Eglise de Coree』(邦訳は『朝鮮事情』金容権訳 平凡社東洋文庫)の調査検証でしたが、今回は朝鮮と清についての『朝鮮事情』の記述全体に踏み込むのです」
「えらく大きく出たなぁ」
「具体的には朝鮮と清の間に結ばれた盟約についての『朝鮮事情』の記述に妥当性があるかどうかを調査検証するんだ」
「盟約?三田渡でのアレですね」
「そうですよ。とりあえず『朝鮮事情』の本文を引用します。あ、以下『朝鮮事情』の原著と邦訳を区別して表記する必要がある時、Charles Dallet『Histoire L'Eglise de Coree』は『原著』、金容権の邦訳『朝鮮事情』は『事情』と略記しますので注意してください」
(前略)一六三七年に締結された条約は、清に対する朝鮮の実際上の隷属条件を加重することはなかったが、形式的には、これまでよりいっそう屈辱的な従属関係のものとなった。朝鮮国王は清国皇帝に対して、たんに叙任権を認めるばかりでなく、身分上の直接の権限、すなわち主従(君臣)関係まで承認しなければならなくなった。
丁丑年(一六三七~三八)三月三十日に調印されたこの条約の一項目は、次のように貢ぎ物の献納を想定している。
毎年、次の如く貢納するものとする。金百両、銀千両、白米一万包、絹布二千疋、苧布(亜麻の
ここで定められている米の包というのは二百リットル弱で、牛一頭が担う重量に相当する。この条約締結から十数年後の一六五〇年、朝鮮の使節は―彼の娘は満州人に拉致され、清皇帝の第六王妃になったが―貢納米を九千包に削減することに成功した。この条約の他の条項は、二国間の細かな関係を定めており、さほど重要でない細部を何箇所か修正したほかは、現在もなお二国間に有効である。
(中略)
この条約はまた朝鮮政府から貨幣鋳造権を奪って
(中略)
朝鮮人は一般に、一六三七年の条約の一項を、満州人が中国を失って自国に引っ込まざるをえなくなった場合を見越して用意されたものだと認識している。その場合、朝鮮は、三千頭の牛と三千頭の馬、そして莫大な金額を彼らのために用意せねばならず、さらに選り抜きの娘三千人を送り届けねばならず、朝鮮はいつも諸道にそれだけの女婢をかかえているが、これは、必要な場合に条約の該項を遂行するためだと言われている。しかし、いかなる宣教師も、ついにこの点に関する公的史料を発見することはできなかった。
註1 『事情』では『原著』にある「Cent peaux de cerfs.(鹿皮百張)」が欠落しており、また『原著』では「模様花莚」は50張ではなく「Quarante nattes avec dessins.(模様花莚四十張)」と記述されているので、下表はそれに従う。
『事情』
『原著』
「これが三田渡の降伏の結果、朝鮮と清の間で締結された盟約についての記述なんですね」
「じゃ、まず毎年の貢納を義務付けられた物資の内容を見ていくぞ」
「見ていくぞって、チェック元になるデータはあるの?」
「朝鮮側の史料としては『仁祖実録』、清側の史料としては『清史稿』があるので、それらと照合していくのです」
「なるほど。それはわかりやすい」
「まず『仁祖実録』『清史稿』の当該記述を引用するぞ」
仁祖実録 巻三十四 仁祖15(1637)年1月28日
龍骨大持汗書来其書曰寬温仁聖皇帝詔諭朝鮮国王来奏具述二十日之詔旨憂計宗社生霊有明降詔旨開安心帰命之請者疑朕食言耶然朕素推誠不特前言必践倂与以後日之維新今尽釈前罪詳定規例以為君臣世守之信義也爾若悔過自新不忘恩徳委身帰命以為子孫長久之計則将明朝所与之誥命冊印献納絶其交好去其年号一応文移奉我正朔爾以長子及再一子為質諸大臣有子者以子無子者以弟為質万一爾有不虞朕立質子嗣位朕若征明朝降詔遣使調爾步騎舟師或数万或刻期会処不得有悞朕今回兵攻取椵島爾可発船五十隻水兵槍砲弓箭俱宜自備大兵将宜献犒軍之礼其聖節正朝冬至中宮千秋太子千秋及有慶弔等事俱須献礼命大臣及内官奉表以来其所進表箋程式及朕降詔勅或有事遣使伝諭爾与使臣相見或爾陪臣謁見及迎送饋使之礼毋違明朝旧例軍中俘係自過鴨緑江後若有逃回執送本主若欲贖還聴従本主之便蓋我兵死戦俘獲之人爾後毋得以不忍縛送為辞也与内外諸臣締結婚媾以固和好新旧城垣不許繕築爾国所有兀良哈人俱當刷還日本貿易聴爾如旧但当導其使者赴朝朕亦将遣使至彼也其東辺兀良哈避居於彼者不得復与貿易若見之便当執送爾以既死之身朕復生之全爾垂亡之宗社完爾已失之妻孥爾当念国家之再造異日字子孫孫毋違信義邦家永奠矣朕因爾国狡詐反覆故茲教示崇徳二年正月二十八日歳幣以黄金一百両白銀一千両水牛角弓面二百副豹皮一百張鹿皮一百張茶千包水㺚皮四百張青黍皮三百張胡椒十斗好腰刀二十六把蘇木二百斤好大紙一千巻順刀十把好小紙一千五百巻五爪龍席四領各様花席四十領白苧布二百匹各色綿紬二千匹各色細麻布四百匹各色細布一万匹布一千四百匹米一万包為定式。
清史稿 巻五百二十六 列伝三百十三 属国一 朝鮮
帝勅令去明年号納明所賜誥命冊印質二子奉大清国正朔万寿節及中宮皇子千秋冬至元旦及諸慶弔事俱行貢献礼遣大臣内官奉表使臣相見及陪臣謁 見併迎送饋使之礼毋違明国旧例有征伐調兵扈従併献犒師礼物毋擅築城垣毋擅收逃人毎年進貢一次其方物黄金百両白金千両水牛角二百対貂皮百張鹿皮百張茶千包水 獺皮四百張青黍皮三百張胡椒十斗腰刀二十六口順刀二十口蘇木二百觔大紙千巻小紙千五百巻五爪龍蓆四領花蓆四十領白苧布二百疋綿綢二千疋細麻布四百疋細布万疋布四千疋米万包
「さらにわかりやすく対照表にしてみましょう。できるかなー?できるかなー?さてさて何ができるかなー?はい、できましたー」
物品 仁祖実録 清史稿 朝鮮事情 黄金 100両 100両 100両 白銀 1,000両 1,000両 1,000両 水牛角 200対 200対 1,000本 豹皮 100張 100張 ― 虎皮 ― ― 100張 鹿皮 100張 100張 100張 水獺皮 400張 400張 ― 海狸皮 ― ― 400張 茶 1,000包 1,000包 ― 青黍皮 300張 300張 ― 青鼠皮 ― ― 200張 胡椒 10斗 10斗 10桝 好腰刀(腰刀) 26把 26口 ― 順刀 10把 10口 ― 鋭刀 ― ― 2,000振 蘇木 200斤 200觔 ― 好大紙(大紙) 1,000巻 1,000巻 1,000巻 好小紙(小紙) 1,500巻 1,500巻 1,000巻 五爪龍蓆 4領 4領 ― 各樣花蓆 40領 40領 40張 染料 ― ― 200斤 白苧布 200疋 200疋 300疋 各色綿紬 2,000疋 ― ― 綿綢 ― 2,000疋 ― 各色細麻布 400疋 400疋 10,000疋 各色細布 10,000疋 10,000疋 ― 亜麻布 ― ― 10,000疋 大麻布 ― ― 400疋 精大麻布 ― ― 100疋 絹布 ― ― 2,000疋 布 1,400疋 4,000疋 ― 米 10,000包 10,000包 10,000包
「細かい点で物資名や数量に異同はありますけど、ほぼ同内容ですね」
「そうだな。作者は『水獺皮』と『海狸皮』、『青黍皮』と『青鼠皮』が同じものを指しているんじゃないかとも疑ったんだが、とりあえずその疑問は保留しても三者の内容に決定的な乖離はないと言える」
「では、貢納物資の内容について『朝鮮事情』の記述は妥当なものと認定します」
「よし、じゃぁ次いってみよう」
「次は『これらの献納は、己卯年(一六三九)の秋からとする』という記述の妥当性についてだ」
「えーっと、上記物品の貢納は1637・38年の分は免除して、1639年分から開始するってこと?」
「はい。ではまず『仁祖実録』を見ましょう」
仁祖実録 巻三十四 仁祖15年(1637)2月1日
上又言歳貢難弁之状両将曰貴国事勢帝所目覩当自再明年始行矣
「三田渡で清に降伏の儀式を行った翌日、仁祖が清の将軍龍骨大(英俄爾岱)・馬夫達(馬福塔)を謁見した際に、定められた物資を貢納し難いことを訴えた場面だ。で、龍・馬二人は朝鮮の国情は皇帝陛下(ホンタイジ)も見られている。再来年から始めましょうと答えているな」
「へー、減免措置ってやつね。じゃぁ、清のほうには対応する記録はあるの?」
「『清史稿』のなかに対応する記述はありますよ」
清史稿 巻五百二十六 列伝三百十三 属国一 朝鮮
先免丁丑戊寅両年貢物以己卯年秋為始
「丁丑(1637)・戊寅(1638)の貢納は免じて、己卯(1639)の秋から始めることとしたとありますね」
「そういうことだ。よって、『これらの献納は、己卯年(一六三九)の秋からとする』も問題なく妥当性があるものと認定する」
「次は…『この条約締結から十数年後の一六五〇年、朝鮮の使節は―彼の娘は満州人に拉致され、清皇帝の第六王妃になったが―貢納米を九千包に削減することに成功した』ですか?少し複雑な文構造ですね」
「そこで『一六五〇年、朝鮮の使節は貢納米を九千包に削減することに成功した』と『朝鮮使節の娘は満州人に拉致され、清皇帝の第六王妃になった』の2つに分けて見てみよう。まずは前者、貢納米の削減についてだ。例によって『仁祖実録』を見るぞ」
仁祖実録 巻四十一 仁祖18年(1640)11月13日
謝恩使懐恩君徳仁齎勅書還自瀋陽其書曰十月二十五日乃朕生辰実中外希恩之日因倣旧典除十悪外凡国中一切罪犯尽行赦之朕思中外俱属我国国内既赦亦宜恩及外藩想爾国歳貢米万包皆取於民者今減去九千包使爾臣民同此歓戴
「清の皇帝ホンタイジが自分の誕生日の行事として、恩赦などと同時に貢納米を削減したということですね」
「国家の慶事に際して恩徳を施すってやつね」
「そんなめでたい行事の記事なら、当然『清史稿』にも載っているよな?」
「はい。『清史稿』では太宗本紀と列伝の2か所に記述があります」
清史稿 巻三 本紀三 太宗二
十一月戊寅朔詔免朝鮮歳貢米十之九
清史稿 巻五百二十六 列伝三百十三 属国一 朝鮮
五年十月諭倧以誕辰恩減歳貢内米九千包
※五年:崇徳五年を指す。朝鮮では仁祖18年、西暦では1640年。倧:朝鮮王仁祖の名前。誕辰:誕生日。
「三者とも貢納米の減免を書いていますね。あれ?『朝鮮事情』では9千包に減免と書いているのに、『仁祖実録』『清史稿』では9千包を削減して1千包にしたと書いてますよ」
「それにさ、『朝鮮事情』だと1650年のことだと書いているのに、『仁祖実録』『清史稿』では1640年のことだとしているわよ」
「大筋じゃあっているのにどういうことだ?」
「ダレが得た貢納米の削減についての情報が正確なものではなかったか、または得た情報を正確な史料と照合することができなかったか誤読したかで食い違いが生じたということだろうな」
「当時の朝鮮には宣教師は入れないですから、現地に行って朝鮮政府に照会するわけにもいきません…もしかすると、ダレの得た情報は以下の記録と混同していたのかもしれません」
孝宗実録 巻三 孝宗1年(1650)3月7日
又遣来陪臣李時昉向部臣云今歳不收綿請緩一年貢布部臣為之転奏朕節次憫念朝鮮苦累軫恤平民曽於歳貢之物及饋遺使臣之礼大為裁減此豈為爾有求而然耶
「他には、本編でも少し書きましたが、清が李自成を追い落として北京に入城した翌年に昭顕世子が帰国する際、順治帝が詔勅を下して貢納物資を削減しています」
仁祖実録 巻四十六 仁祖23年(1645)2月18日
念歳貢幣物尽属民膏今将旧額苧布四百匹蘇木二百斤茶一千包準与蠲免各色綿紬二千匹量減一千匹各色木綿一万匹量減五千匹布一千四百匹量減七百匹粗布七千匹量減二千匹順刀二十口量減十口余悉照旧輸納其元朝冬至聖節賀儀如旧因途道遙遠三節表儀倶準於元朝併貢以彰柔遠之意欽哉
「まぁ、芹沢の言うとおり内容自体は大筋において不正確なものじゃないし、貢納米の削減という記述も妥当なものだとみていいだろう。」
「じゃ『朝鮮使節の娘は満州人に拉致され、清皇帝の第六王妃になった』のほうは?」
「ここでいう『朝鮮の使節』は、上にあげた『仁祖実録』仁祖18年11月13日条に出てくる謝恩使の『懐恩君徳仁』を指すとみていいだろうな。その娘がホンタイジの第六王妃になったかどうかはともかくとして、根拠のない話でもないぞ」
仁祖実録 巻三十八 仁祖17年(1639)1月30日
初懐恩君徳仁之女年纔及筓被擄於江都清汗以為侍女其後以皮牌博氏戦功最多以其女賞之其女自以為国族致力東事云
(4)戊寅十二月懐恩君女入瀋陽汗納之後宮遂専寵先是要免与汗有相背之意事多牴牾有一胡名皮巴各氏者以其意潜告於汗汗喜之即出懐恩君女与之蓋有功賞賜以妻給之者胡風也。
「…やっぱり最後は持っていかれたー(涙)」
「最後に付け加えますと、今回のコンテンツは、KJCLUBで作者が投下した以下のスレッドを基礎材料にしています」
▲補足
▲朝鮮が清に送った女性ですか
▲山野車輪は『朝鮮事情』を確認したか?
▲『朝鮮事情』に於ける記述の検証
▲『朝鮮事情』の記述検証についてのまとめ
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