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2019-03-06

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・「情けは人の為ならず」ということわざの意味を、
 小学生のころは、まちがって解釈していた。
 「軽い気持ちで同情などするのは、かえって、
 その人のためにもならないんだよ」と。
 おそらく、祖母あたりが、
 そういう意味で言っていたのだろうとは思う。
 ちょっと薄情だなぁという気持ちもあったけれど、
 その意味については疑っていなかった。
 「人の為ならず」、つまり為にならないんだ、と
 単純に理解していたわけだ。

 しかし、大人になりかけのころだったか、
 「情けは人の為ならず」を、
 まちがって理解しているものがいるということを、
 国語の授業で習ってしまった。
 「他人のためじゃないぞよ」と言っているという。
 あっりゃまぁ、ぜんぜん逆だったのかよである。

 人に情けをかけるということは、
 その人の為というだけのことではないのである、と。
 それは、やがて「ああじぶんの為でもあったのだ」と、
 わかるような時が来るのであるよ、と。
 つまり、このことわざを、もっとわかりやすくすれば、
 「情けは人の為ならず。めぐりめぐって己の為よ」
 ということになるのである。
 もっと、露骨に言いなおすなら、
 「情けは人の為でなく、じぶんの為だ」となる。
 そういう場面があったとき、人生の先輩が、
 「情けは人の為でなく、じぶんの為だ」と言い切ったら、
 「ちょっとずいぶん…情けって損得かよ?」と
 感じてしまうのではないだろうか。
 情けはあくまでも情けであって、
 なにかやだれかの為にするものではない。
 そう思っていたかった身としては、ちょっと鼻白む。

 ここらへんのことを考えて、ぼくは、ハッとした。
 「情けは人の為ならず」で、それ以上のことは省略して
 言ってないという、このことわざの構造が、
 みごとだなぁと思ったのである。
 「情けはじぶんの為になる」と表現しなかったのが、
 このことばが、長い間朽ちずに生きてきた理由なのかと。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
ちょっと、ことわざシリーズなんてやってみようかなぁ。


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