GATE:Modern Warfare 作:ゼミル
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<同日/22:44>
伊丹耀司
市ヶ谷会館近辺
駒門が反射的に視線を落とすと、腹に刺さったワイヤー付きの針が目に入った。
ワイヤーの出所を視線で追ってみれば、それは伊丹の右手に握られたスタンガンに続いていた。それは工作員の死体を調べた際に伊丹が失敬した代物であった。
全身の筋肉を異常に強張らせた姿勢のまま、駒門の体がバッタリと倒れこもうとしたのを、電撃を浴びせた伊丹本人が支えた。別に駒門が怪我しないようにという気遣いからではなく、ロゥリィらが振り向く前に彼女らから死角になる細い路地裏へと駒門を引きずり込む為であった。
「ぐがっ……な、にを……っ」
「悪いけどこっからは駒門さん抜きでやらせてもらうよ。アンタ自身は明確な敵じゃないのかもしれないけど、こうもしつこく追い掛け回されるとなると駒門さんが1番怪しいんでね」
本当に裏切者であるかどうかまでは分かっていないので、スタンガンで少しの間動けなくする程度に留めただけ、伊丹自身としては有情なつもりである。明確に敵だと判明していたら銃と鉄拳の出番であったところだ。ついでにこれがどっかの髭面の老兵だったら、そもそもスタンガンなんぞ使わず問答無用で鉄拳をお見舞いしていたに違いない。
撃ち出した針とワイヤーが繋がったままの本体を手放した伊丹は駒門の懐を探ると、彼のスマートフォンを取り出して駒門の手が届かない位置へと投げた。遅かれ早かれ現場に駆け付けた救急隊や消防隊によって駒門は保護される事となるだろうが、これで少しは時間が稼げるだろう。
今度こそ伊丹も銃撃戦の現場から離れ、ロゥリィらの後を追い合流する。
「あれっ、伊丹隊長、駒門さんは?」
「現場に残るってさ。流石に死体や爆発について説明が必要になるだろうし、死んだ工作員の身元調査もしたいんだって」
案の定、駒門の不在について尋ねられるものの、しれっとはぐらかしてしまう伊丹。
聞いた栗林の方も先程の惨状を目の当たりにしていたし、伊丹があまりにもぬけぬけと言い放ったのもあって、彼女らは嘘と見抜く事もなくあっさり納得してしまうのだった。
「しかし隊長、何故隊長は先程の連中が刺客であると分かったんですか?」
「そうですよ。しかも確認も取らずいきなり銃を撃ち込むような真似までして、もしかしたら本物の救急隊員が乗ってる車だったかもしれないんですよ!」
「大丈夫だって、さっきのについては偽物だって最初から確証があったしね」
「確証とは?」
「テュカにも説明してたんだけどね、消防隊も救急隊も出動時はサイレンを鳴らしながら目的地まで走らせるものだって法律で決められてるんだよ。でもさっきの連中が近づいてきた時はだいぶ近くまで近づいてきてからようやくサイレンの音が聞こえただろ?」
「ああそっか! ちゃんとサイレンを鳴らして現場に向かってきてたんだったら、もっと早い段階から近づいてくるサイレンが聞こえてなきゃおかしいんだ!」
上官の説明に栗林は納得の柏手を打つ。
「そういう事。俺らに接近する直前まで鳴らそうとしなかったのは無関係な一般市民に自分らの存在を知らせたくなかったからなんだろうけど、ただでさえ本物の救急車両が盛大に鳴らしながら走り回ってる最中だってのに連中はそうしなかった。それが逆効果になったわけだぁね」
人間の心理は、後ろ暗い行為を実行する際はなるべく目立たずひっそりと行動しようと思考しがちである。しかしそのような心理から生じた行動は、時と場所と状況に応じて内容を変えなければ、途端に逆の効果をもたらし、余計な注目を集める原因に早変わりしてしまうのだ。
例えば迷彩服。この服は任務地の環境に合わせて幾多の迷彩パターンの中から最適な柄を選んで運用するのが常である。必要であれば赤外線対策が施されたネットに様々な色合いの布の切れ端や枝葉でカバーしたギリースーツも使用する。これらを利用した熟練の兵士が1度隠れようものなら発見は困難を極めるだろう。
だがいくら入念にカモフラージュしても、ちょっとした些細な違いから隠蔽が見抜かれてしまう事は決して珍しくない。一見同じ迷彩パターンでも周囲の環境とほんのちょっとだけ色の濃淡が違ったり、ギリースーツの偽装に用いられた木の枝が隠れ場所の植生と違ったものだったり……見つける側もまた優れた兵士ともなれば、そのような差異を敏感に見抜いて隠れた敵を発見するのだ。
また不用意に身動きしたせいで存在が露見してしまうのは当然ながら、逆に風で草木が揺れている状況で兵士が潜んでいる空間だけ変化が見られないという、とっさの行動を理由に発覚してしまう事例も少なからずある。
かのように、周囲に溶け込もうという行いは、意外なほどに労力と繊細さが求められるのである。
なおこれはあくまで戦場における隠蔽技術の話であって、学生生活や仕事場の人間関係に溶け込む場合には全く役に立たないので注意せねばならない。
「ああそれから今後は必ず携帯から電池を外しとけ。電池を入れたままだと遠隔操作されて気づかないうちに追跡される可能性があるから」
「そこまで警戒しないとダメなんですか!?」
「当たり前だろ。諜報機関やある程度デカい犯罪組織ともなれば、盗聴や携帯をGPSで追跡してくるぐらい確実にやってくるぞ」
もちろんそのような手段はほぼ非合法であるが、そもそも情報機関はそのような手段を用いてナンボな組織だ。伊丹らを本気で追跡する気になったら躊躇いなく実行に移してくるであろう。今後は街中の監視カメラにも警戒せねばなるまい。
「あの、私の携帯、電池が外せないタイプなんですけど……」
「だったらSDカード用意してあるから移して本体はすぐに捨てとけ。俺も自分のは会館に置いてきたからな」
死体の撮影に使用したスマホも銃と一緒に用意してもらった足がつかない特別仕様である。
海外時代に嫌というほどこの手の対処法を学んでしまった―学んだ、ではなくしまったのがポイントである―伊丹であった。
「徹底的ですね……」
「っていうか妙に慣れてない隊長? これも例の特殊部隊で教えられたのかな」
ボソボソと部下2人が囁き合っていると今度はテュカが声を上げた。
「さっきから私達、あっち行ったりこっち行ったりしてるみたいだけど、次は私達どこに行けばいいの?」
「あー、そうだなぁ……」
テュカからの問いかけに伊丹は足を動かしながらも考え込んだ。政府機関の施設は内通者が怖いから真っ先に除外である。銃を用意してくれた伊丹の知り合いも、今から呼び出したり徒歩で向かうには遠過ぎる場所に住んでいた筈だ。
(今1番近くにあるのは……アイツの家かぁ。こうなっちまった以上、放っておいたら攫われて取引材料にされるかもしれないし、そうなるならいっそ…………………)
伊丹は悩んだ。それはもう深く悩んだ。あまりに悩みこむものだから、周囲から不思議そうに見つめられている事に気づかなかったぐらいである。ただ聴覚の方はバッチリ作動中であったので、
「疲れた……眠い」
というレレイの呟きはしっかり捉えていた。
亜神としての体力を持ち、また工作員との一戦にも加わったせいかやけにリフレッシュした感があるウォーモンガーなロゥリィはともかく、彼女ほどタフではないテュカやピニャも肩が落ちて表情に疲れを浮かべていた。本当なら市ヶ谷会館でぐっすり休める筈が、来て早々に逃げ出してきた反動で精神的にも滅入っているのが感じ取れる。
こうなってしまっては彼女らもこれ以上長々と連れ回すわけにはいかない。伊丹は苦渋の決断を下す。
「……………………俺に心当たりがあるからそこに行こう」
本当に渋々とばかりに、伊丹は告げたのであった。
<23:35>
葵(伊丹)梨紗
都内某所
さっきからひっきりなしにパソコンへメールが届いていた。
どれもこれもタイトルも内容も似たり寄ったり……梨紗の夫、いや今や
『ちょっとこれアンタの旦那じゃないの!? 彼、一体何やらかしたの!!?』
「そんなの私が知りたいわよぉ~!」
特に親しい、仕事関係ならぬ同人サークル関係の仲間の1人が送ってきたメールには、海外のメディアや情報公開サイトから公表された梨紗の元夫――伊丹耀司が海外の戦場に立っている画像が複数、まとめて添付されていた。ご丁寧に一緒に流出した関係書類を日本語に翻訳したテキストファイルも一緒であった。
それらを食い入るように見返しては、今度のイベント用の原稿が締め切り直前であるのも忘れて梨紗は頭を抱えると、ついつい絶叫してしまうのである。
「先輩、貴方一体どこで何をしてきたっていうんですか!?」
この時ばかりは料金延滞で携帯を止められていたのが幸運だった。
そうでなければ伊丹と梨紗の関係を知る実家の両親や地元の同級生、そしてどっからかその情報を手に入れたマスコミが、血を嗅ぎつけた空腹の肉食動物よろしく電話攻勢をかけてきていたであろう。備え付けの電話も先んじて電源コードと電話線を抜いておいた。
またサークル仲間もメールで何度も質問してきはしても、当然の事ながら梨紗と元夫の個人情報を外部に流す真似は控えているようだ。そもそも同人活動自体、あまり大きな声で言いふらすの憚られる仕事であり趣味でもあるのでそこらへんを突かれたくない考えもあるのだろうが、持つべきものは強い絆で結ばれた趣味仲間である。
ちなみに電話料金とついでに年金と健康保険料を滞納している梨紗であるが、実は支払うだけの金が手元にあるにはあったりする。
だがそうしないのは、その金が梨紗自身の稼ぎではなく、元夫からなぜか別口座扱いで送られてきた慰謝料だからである。
その額は、一生遊んで暮らせるとまではいかないが、少なくとも任官して10年程度の自衛官が貯蓄だけで稼いだとは到底思えないぐらいの大金であった。
大金の正体は文字通り世界大戦級の機密と功績を引っさげて帰国した伊丹へ政府が払った口止め料だ。それを伊丹は一方的に離婚を迫った負い目もあり、口止め料の大部分をこれまた政府に用意させた口座に移した上で梨紗への慰謝料としたのが真相だった。
考えてみて欲しい。身内が具体的な内容が定かではない仕事で海外に派遣されたと思ったら突如音信不通となり、突然連絡してきたかと思いきや一方的に離婚を懇願され、挙句これまた経緯不明の帰国を果たしてから渋々離婚届にサインしたら、全然作った覚えのない口座に慰謝料という名の大金が振り込まれていたのである。
大金の出所も、口座を新設した理由の説明も一切不明となれば、どんな楽天家でも使うのを躊躇おうというものだ。
が、流石に衰弱死の危機に瀕するほど懐が厳しいともなれば四の五の言ってはいられない。仕事に必要不可欠な電気代とネット代、大事な大事な食費と水道代を支払う為に、とうとう慰謝料の一部に手を付けてしまった梨紗である(それでも必要最小限の金額に留めはしたが)。
そのような金が在るのであれば伊丹に金の無心をするのは矛盾していると思われるだろう。しかし彼女からしてみれば、厄ネタ紛いの金に手を付けるよりは離婚相手に借金を申し込んだ方が精神衛生上まだマシ、という心理が働いての選択であった。
ともあれ、中学・高校時代の先輩で、元夫で、自衛隊員ではあるが屈強無比からは程遠い、自分と同じ根っからのオタクというのが、梨紗の知る伊丹耀司という男だ。少なくともその筈であった。
その認識が今日……正確には『銀座事件』における元夫の奮闘ぶりを彼女も動画で目撃した時点である程度変わってはいたのだが、参考人招致での写真公開を発端とした情報流出がとどめとなり、梨紗の中で夫だった男の認識がひっくり返ってしまったのである。
伊丹の部下や同僚よりも遥かに長く親しい間柄であった分、彼女へもたらされた衝撃も相当であった。
彼女も事の詳細を言及するメールを伊丹へ送信したのだが返信はなし。電話も同様。報道機関も伊丹、ついでに『門』の向こうからやってきて国会を賑わせた来賓らの行方も国会中継終了以降掴めていない。
そうこうしている間にも伊丹耀司が海外の戦場に立つ画像はどんどんネットの海へ広がり、電子掲示板の住民が好き勝手に憶測を交わしたり、賞賛の言葉を投げかけたり、逆に過激な暴言を書き込むペースは急増の一途を辿っている。マスコミは言わずもがな、だ。
かのように世間が伊丹耀司という男を中心としたスキャンダルの暴風雨で荒れ狂う中、彼の元妻である梨紗は何の有効な手立てもとれぬまま、深夜というのに電気も付けず、PCの前でただただ悶々とした時間を過ごしていたのだった。
「あ~も~! 先輩今どこにいるのよぉ!?」
パソコンの液晶モニタ、その右隅に表示された時刻が23時34分から23時35分に変わったその時。
彼女の声に反応したかのように、部屋のドアの施錠が外れる音が生じた。元より安アパートの狭い部屋である。テレビもつけていなかったのもあって、その音は梨紗の耳に殊更明確に聞こえた。
そして彼女が振り返った先には、件の元夫こと伊丹耀司が、どことなく安堵した雰囲気で立っていたのである。
「何だ、夜なのに電気が点いてないから、もう寝てるのか部屋にいないのかと思ったぞ」
「先輩……」
天に祈りが届いたのかどうかまでは知らないが、本当に伊丹が自分の前に現れた事に対し、梨紗の精神は喜ぶよりも不意を突かれたかのように驚きによって思考が漂白されてしまった。
伊丹の方はぽかんとこちらを見つめてくる元嫁の姿に不思議そうな態度を見せる。
「おう、俺だけど、大丈夫か? 妙にやつれてるけど」
再び伊丹の声が耳朶を打った事で梨紗の思考は再起動する。
そして真っ先に浮かんだ感情はこれまた再会への喜びなどではなく、いきなり世間の注目の的になっておきながらこちらには連絡の1つも返さず、仮にも元妻に何も知らせないまま散々ヤキモキさせた挙句どのツラさげて事前連絡もなしにやってきたのだという、心配と安堵が転じて発生した激しい怒りであった。
この元夫婦、実は今年に入ってから直接顔を合わせたのが今日が初めてだった。
原因はやはり伊丹側にある。
機密保持の為の軟禁生活中は外部との連絡を制限され、軟禁が解かれてからも自衛隊への復帰準備に忙しかったのもあるが、何より伊丹自身も彼女との繋がりをメールや電話に限定し、梨紗と直接的に接触するのを控えていたのが大きい。
復讐に燃える超国家主義派残党からの報復に梨紗を巻き込む危険性を案じての選択なのだが、そのような気遣いも何も教えられていない梨紗は知る由もなかった。
「どれだけ人が心配したと……ただでさえ銀座の時も勝手に危ない所に飛び込んで勝手に危ない目に遭って、私には事後報告ばっかり……」
「おーい、梨紗ー?」
「あの隊長、誰ですその人?」
「ああ、これは……俺の元嫁さんだ」
「……えっ、ええええええええええええええぇぇぇぇぇ!?」
伊丹と富田のやりとりも、『元俺の嫁』発言に驚天動地した女性陣の絶叫も、怒りに思考が汚染されつつあった梨紗の耳には届いていなかった。
やがて静かに充填されつつあった梨紗の中の怒りゲージがMAXに到達すると、彼女の激情は言葉のみならず、肉体言語まで用いるという形でもって爆発した。
「こんなに心配かけておいて、どのツラさげて私の前に出てくるのよ、この宿六がぁっ!」
そして獣のような衝動に突き動かされるままに、梨紗はPCの前から離れると伊丹の懐に踏み込んでアッパー気味の左ボディブロー(寸前で原稿を書く為の右手を傷めないようにと同人作家としての本能が働いた)を叩き込んだのである。
梨紗の渾身の一撃は一見がら空きになっていた伊丹の右脇腹へと吸い込まれた。鈍い音と手ごたえの直後、体を貫いた苦痛にうずくまる事になった。
……梨紗の方が。
彼女の左手は伊丹が右脇に提げたM7A1ライフルの銃身を叩く格好となった。服の上からとはいえ、鉄よりも脆く柔い手で鋼鉄の塊であるライフルを思いきり殴ったのだから当然の結果である。
「イイッ↑タイ↓左手がァァァ↑」
「頭のおかしい爆裂娘乙……って大丈夫か? 凄い音がしたぞ」
「大丈夫なわけないわよ! 明らかに鉄の塊みたいな感触だったんだけど、何その服の下、鎧でも着込んでるの!?」
「まぁそんなとこかな」
ボディアーマーはまさしく現代の鎧なのだから梨紗の叫びは的を得ていた。その上に金属と強化樹脂を組み合わせたマガジンを詰め込んだポーチもズラリと追加しているので、今の伊丹を服の上から触ると固くゴツゴツした感触ばかり触れるだろう。
「伊丹隊長結婚してたんだ。何という物好きな……いやでも実物を見てみると非常に納得できる組み合わせ。だけどバツイチかぁ。流石にアウト……いやいや離婚してるんだからむしろセーフ? ううーん……」
伊丹の紹介直後から何やらブツブツ唸っている栗林の呟きは数か月ぶりに再開した元夫婦の耳には届かなかった。
『夫と妻の、どちらに離婚の責任があったのか? どちらにもあったのだ。あるいはどちらにも無かったのである』 ――メレジコフスキー
本筋に関係ない地の分ばっかりになってしまった…反省
国も流石にこれぐらいの対価は与えるよね多分、と思ったらこんな事になりました。