安倍晋三首相は自民党大会で、党総裁として憲法九条改正に重ねて意欲を示したが、その理由に挙げた自衛官募集を巡る発言は事実誤認だ。いくら党の「悲願」とはいえ、事実を曲げてはならない。
安倍氏は九条について戦争放棄の一項と、戦力不保持の二項を維持したまま、自衛隊の存在を明記する改憲案を主張してきた。自衛官募集を巡る発言は、改憲の必要性を説く文脈で飛び出した。
「新規隊員募集に対して都道府県の六割以上が協力を拒否している悲しい実態がある」「皆さん、この状況を変えようではありませんか。憲法にしっかり自衛隊を明記して、違憲論争に終止符を打とうではありませんか」
憲法に自衛隊の存在が明記されていないから自治体が隊員募集に協力しない、自衛隊の存在が明記されれば自衛官の募集も円滑に行われる、という論法である。
事実誤認も甚だしい。自衛官募集に使うため十八歳など適齢者名簿の提供を求める対象は全国の市区町村。「都道府県の六割以上」はそもそも誤りであり、首相も国会で発言を修正した。間違いはそれだけにとどまらない。
防衛省によると全国の千七百四十一市区町村のうち、二〇一七年度に適齢者名簿を提供した事例が約四割、市区町村が作った名簿や住民基本台帳を防衛省職員が書き写した事例が約五割だった。
残る一割も自治体側が協力を拒んだわけでなく、適齢者が少ないと判断した自衛隊側が名簿などによらず、ポスターなど別の方法で募集しているのだという。つまり違憲を理由に協力を拒む自治体はほぼ存在しないことになる。
六割の自治体が協力していないというのは曲解も甚だしい。そもそも自治体側には自衛官募集のための情報提供の義務はない。誤った事実に基づいて改憲を主張するようなことが許されていいのか。
安倍氏はこれまでも改憲理由に「憲法学者の七割以上が自衛隊を違憲と言っている」ことを挙げてきたが、政府は自衛隊を合憲の存在と認めてきた。改憲しなければ国民の権利や平穏な暮らしが守れない、という立法事実がないから、理由にならない理由をひねり出しているのではないか。
自衛官の採用が難しくなった主な理由は少子高齢化であり、景気の動向にも左右される。節度ある防衛力を整備するためにも自衛官の確保は課題だが、事実を曲げてまで、悲願の改憲に結び付けるような言動は厳に慎むべきである。
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