日産をめぐり今度は英国が揺れている。欧州連合(EU)からの離脱を懸念し主力車の生産予定を日本国内に変更したためだ。だが企業の撤退は予想された事態で、何を今さらの感が否めない。
日産自動車は英国工場での新型スポーツタイプ多目的車(SUV)の生産を国内に移す。この決定は、BBCなど英主要メディアがこぞって大きく取り上げた。さらに経済閣僚が「大きな打撃だ」と発言するなど波紋は広がるばかりだ。
理由は、事業撤退が雇用に大きな影響を及ぼすためだ。今回の措置が撤退の連鎖のきっかけになるとの懸念もある。
実は、その連鎖はすでに始まっている。パナソニックは欧州本社を英国からオランダに移転し、ソニーも三月に同様の措置を取る。
さらに掃除機で有名な英メーカー、ダイソンもシンガポールに拠点を移す方針。創業者のダイソン氏が離脱派だっただけに、日産の決定同様衝撃が走っている。
離脱が現実になれば、EU域内との輸出入をめぐり、関税を含む国境措置が復活する。部品の調達コストは上がり価格に反映せざるを得ず、製品競争力は低下する。
ましてや通商協定のないまま離脱すれば物流の混乱は必至で、コスト増への不安は増大する。利潤を最優先する企業にとって英国にいる意味が薄れるのは明らかだ。
ここで指摘したいのは、離脱を選択すればこうした事態が起きることを事前に予測できたという点だ。しかし、国民投票時にはEUから「出る」「出ない」という意地の張り合いのような不毛な対立ばかりが目立ち、実体経済への懸念の声はかき消された。
国の未来を左右する国民投票は、さまざまな課題を有権者が吟味し尽くした上で実施するのが当然だ。英国の例はそれが簡単ではないことを実証した。両派の感情論が先走り、有効な議論が難しいからだ。
スイスでは日常的に国民投票が実施されている。だが、それは十九世紀半ば以降六百回以上行われ、直接民主制が根付いているからこそ可能なのである。
歴史的な決定は国民の感情だけでなく、暮らしそのものに劇的な影響を与える。ただ経済分野では理論や数値での説明が先行し、論点が浸透しにくい。
英国が今からでも離脱を再考すべきなのは言うまでもない。同時に国民投票という制度自体がはらむ問題点を、今回の例から学ぶ必要を強く主張したい。
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