平成の時代、日本は英国流の議会制度を目指しましたが、弊害も目立ちます。本家の英国議会も大荒れです。議会制民主主義は岐路に立つのでしょうか。
ロンドンの中心部「ウェストミンスター」は、英国議会の議事堂がある政治の中心地です。日本で言えば「永田町」でしょうか。
その英国議会で混乱が続いています。きっかけは、欧州連合(EU)からの離脱問題でした。
移民増加や主権侵害など、EU加盟に対する英国民の不満の高まりに押される形で、保守党のキャメロン政権はEU離脱の賛否を問う国民投票に踏み切ります。
◆英国議会で続く混乱
キャメロン首相自身はEU残留派でした。国民投票の実施も、EU残留派が多数を占めると見込んで、党内の離脱派勢力を抑え込みたかったのでしょう。
しかし、国民投票の結果は離脱賛成が多数を占めました。もくろみが外れたキャメロン首相は、辞職に追い込まれます。
メイ首相は、EU離脱に向けた政権基盤強化のために解散した下院の総選挙で、率いる保守党が敗北。そのまま首相の座にとどまったものの、EUと合意した離脱協定案は、英下院で大差で否決されてしまいます。
その後、協定案の見直しを求める動議が可決されましたが、EU側は再交渉を拒否。再び国民投票を行うべきだ、という議会内の意見にもメイ首相は否定的です。八方ふさがりとはこのことです。
このままでは、英国は何の取り決めも結ばずに三月二十九日にEUを離脱する「合意なき離脱」に突入する可能性すらあります。経済への深刻な打撃が予想され、最悪の事態を想定して、企業の英国撤退も始まっています。
◆平成政治改革の末に
混乱の発端はEU離脱という重要な判断を国民投票に委ねたことにあります。議会制民主主義の責任放棄にほかなりません。
離脱派を抑えるために国民投票を政治利用する「奇策」も裏目に出ました。英国は今も「国民投票の呪縛」から逃れられません。
総選挙で敗北してもメイ首相が辞任しなかったり、政権の命運を懸けた離脱協定案が否決される一方、内閣不信任案は否決されるなど、議会制民主主義の常識を超える事態も続きました。
英国の議会制度は「ウェストミンスターモデル」と呼ばれ、多くの国で議会制度の模範とされてきました。その本家で続く混乱は制度の行き詰まりを象徴しているようでもあり、憂鬱(ゆううつ)です。
日本の政治も対岸の火事ではありません。大型疑獄事件が相次いだ昭和の時代から平成に入り、英国の議会制度をお手本に「政治改革」を進めてきたからです。
例えば、政党間の政策競争を促して政権交代を可能にする衆院への小選挙区制導入や、国会を政治家同士の議論の場とするための政府委員制度の廃止、多くの与党議員が政府に入ることで政策決定を政治家主導とし、責任を明確化する副大臣・政務官制度です。
今ではあまり行われなくなった党首討論も当初、英国議会の「クエスチョンタイム」を範にした改革の目玉でした。政権公約達成の数値目標や時期、財源を明示した「マニフェスト」も同様です。
しかし、こうした改革が、日本ではうまく機能しているとは言えないのが現状です。
一連の改革で政策の決定権に加え、選挙での公認や政治資金の配分という政治生命を左右する権限が、首相を頂点とする政権中枢に過度に集まりました。その結果、「安倍一強」と呼ばれる権力集中が起きる一方、政権転落の危機感や政権復帰への焦りから対立勢力を敵とみなし、過剰攻撃する風潮が国会を支配しています。
今、私たち有権者の眼前に広がるのは、改革の理想とはまったく異なる形骸化した国会、荒涼とした言論空間です。
◆議会制度をより強く
米ハーバード大のスティーブン・レビツキー、ダニエル・ジブラット両教授は共著「民主主義の死に方」(新潮社)で「選挙で選ばれた多くの指導者が民主主義の制度を壊してきた」と指摘します。
冷戦後の民主主義崩壊のほとんどは、選挙によって始まり、合法的に覆されていくので「多くの人にとって、民主主義の浸食は眼に見えないものなのだ」とも。
指導者の暴走を止めるのが議会制度の歴史的役割ですが、その議会が正しく機能しなかったら、民主主義は骨抜きにされてしまいます。機能不全が制度の欠陥に由来するのなら、改めるべきです。
民主主義を守り続けるには議会制度を強くするしかありません。そして、それを成し遂げるのは私たち有権者の意志なのです。
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