一九八五年の松橋(まつばせ)事件(熊本)の再審初公判は、検察側が有罪を主張せず即日結審した。無罪が言い渡されよう。冤罪(えんざい)事件が相次ぐ。無実の人を救済するために、検察はもっと協力的であるべきだ。
「新たな有罪主張はせず、裁判所に適切な判断を求める」
八日に熊本地裁で開かれた再審公判で検察側はそう述べた。むろん殺人罪で有罪判決が確定し、服役した男性は冤罪を訴えていた。だから、審理はこの日で終わり、三月二十八日に無罪判決が出る予定だ。検察の有罪立証断念であり、異例の展開といえる。
そもそも捜査機関が誘導した虚偽自白によって男性が殺人犯に仕立て上げられたのではないのか。松橋町(現在の宇城市)で一人暮らしの人が自宅室内で殺害された事件だった。
男性は八六年に熊本地裁で懲役十三年を言い渡された。福岡高裁で控訴棄却、九〇年に最高裁で上告が棄却され、確定した。だが、当初から自白の内容に不自然な点があった。凶器とされた小刀に血液が付着するはずだが、血液はない。だから、捜査機関はこんな「自白」を引き出していた。
「小刀の柄に血が付くのを防ぐため、シャツの布を切り取って柄に巻いて刺した。布は燃やした」
これなら血液が付着していないことも、シャツが存在しないことも説明できる。しかし、シャツは存在していたのだ。血液も付いていない状態で…。検察に証拠の閲覧を申請すると、何と燃やしたはずだったシャツの左袖が発見されたのである。
小刀が凶器でない可能性を示す鑑定結果も出た。つまり、男性と殺人事件とを結び付ける唯一の証拠は「自白」しかなかった。これ自体が客観的な事実と矛盾し、信用性が一挙に崩れてしまった。
これは無実とするに十分な理由である。だが、再審を求める過程では、常に検察は抗告を繰り返した。再審開始が認められたのは、逮捕から実に三十三年。この時間の長さは検察側のメンツにも関わってはいないか。
無実の人には早く潔白を証明する新たな仕組みが必要ではないだろうか。少なくとも再審請求審では、全証拠開示などのルールを入れるべきである。すべて長く殺人犯の汚名を着せられた男性の立場で物事を考えてみることだ。
検察の言い分を追認してきた裁判所の責任もあろう。それをかみしめないと刑事裁判の信頼を取り戻すことも困難になろう。
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