六日は漫画家の故やなせたかしさんの生誕百年の日だった。代表作「アンパンマン」をはじめイラストや詩など、多彩な創作を残した。それを貫く生命の尊重と「正義」を問う心に思いをはせたい。
一九一九年生まれのやなせさんは二〇一三年、九十四歳で死去。五十代で描き始めた「アンパンマン」は、版元のフレーベル館によると、絵本や関連の本を合わせ八千百万部の大人気シリーズだ。
一見は正義のヒーローが活躍する子ども向けの勧善懲悪の筋立てだが、「この社会で一番憎悪すべきものは戦争だ」「正義のための戦いなんてどこにもない」と訴えた作者の信念がこもる。
アンパンマンは、弱い者いじめなど悪行を繰り返す「ばいきんまん」と戦う。だがいきなり攻撃せず、まず「悪いことはやめろ」と説得も試みる。得意の技「アンパンチ」は、悪者を吹き飛ばすが、命を奪うまでの威力はない。「排除はするけど、殺さないのだ」とやなせさんは説明した。自分から攻撃をしかけることもない。
そこに脈打つのは、敵とも対話を心がけ、武力の行使はできるだけ抑えようとする意志だ。自ら敵をつくり、「自衛のための戦い」を唱えて軍拡を競い、先制攻撃さえ許容する現代の風潮とは、まるで異なる思想を読み取れよう。
やなせさんはかつて、本紙への寄稿で「戦争で死線の間をさまよった」と自身の二十代を吐露し、命の大切さを訴えた。また、多くの人に愛唱される名曲「手のひらを太陽に」の歌詞では、「万物の霊長」とおごる私たち人間に、ミミズもオケラもアメンボもみんな生きている友だちだと諭した。
アンパンマンは戦っても相手を殺さず、共存を果たす。敵も含めて生きるものをみな慈しみ、「善と悪とはいつだって、戦いながら共生している」と説いたやなせさんの人生哲学の反映だろう。また悪役のはずのばいきんまんは、時に善行もする。すべてを「善か悪か」と単純に分けることはできない、と告げてもいるようだ。
やなせさんを死線に追い込んだ昭和の無謀な戦争は遠く、国土を戦場にしなかった平成の時代も三十年を超えた。それにつれて、不戦の誓いや専守防衛の国是はあやふやにされ、戦争にじわじわ近づいているのではと、不安になる政策が次々に取られる。
そんな今、次代を生きる子どもたちにやなせさんが託した思いを、大人こそがしっかりと受け止めたい。
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