パリ留学 思い出日記
~いざ出発~
フランス語学校に通い、学校の仮入学手続き、フランスの学生ビザ申請、生活の準備などをし、荷物いっぱいぶら下げて飛行機へ。
実は下見も全くせず、これが初めての飛行機搭乗。
知らない人々、右も左もわからない街。
勉強したはずのフランス語は、早すぎてさっぱりわからない。
不安だらけ。
まずは語学学校へ入学手続き。
語学学校へ通いながらアパート探し。ピアノが弾けるアパート探しとなると、フランス人ですら大変。パリのアパートは築100年、200年なんて普通で、お隣さんの声はよく聞こえる。
パリに到着して1ヶ月後、15区にやっとアパート決定。
そのアパート、入った部屋は6階で階段だったので、荷物運びが大変でした~(泣)
~なんで留学!?~
ピアノで海外へ留学って、よっぽど上手いんだーと思いますよね。普通は。
なのに、下手すぎて!?留学することに。
子供の頃からピアノを習っていました。ピアノは好きでしたし、小学生の頃からクラシック音楽聴くのは大好き。
全く音楽なんてわからない親にレコードをねだったり、NHKでクラシック音楽の番組があるとかかさず録画して、何度も観たり。
でも、それ以上に踊りが大好きでいつも踊ってばかり。
ピアノは好きなのに、練習しない子供でいつも先生を困らせていた。
そんな私がピアノをちゃんとやりたい!と思い、慌ててピアノの勉強はモチロン、楽典、ソルフェージュを勉強して、専門学校に入学。
卒業直前、このままで何ができる?と自分に問いかけてみたものの、まだまだピアノは勉強不足。子供達にレッスンするなんて、こんなんじゃ教えられる子供がかわいそう。
もっともっと基礎から勉強しなくては!
どこで?どうやって?と考えた時、日本では年齢で決められてしまうことがまだまだ多く、当時、音楽を勉強できる環境も限られていた。
ゼロから勉強する場所を求めてパリへ飛んで行きました。無謀・・・
~学校入学、先生との出会い~
パリか地方か、どの学校かと色々悩んだが、日本で師事していた山田先生の母校、パリ・エコール・ノルマル音楽院へ入学。
パリで師事する先生に関しては紹介状などもなく、学校で決めてもらった。
どんな先生だろう・・・初めてクラスのドアを開けたその時「ヒャンスね!」
小柄で暖かい雰囲気の70歳くらいの女性が、大きな声で私の名を呼んで迎え入れてくれた。
これが、この後4年間師事することになるジャニーヌ・ボンジャン先生との出会い。
この学校を設立した名ピアニスト、故アルフレッド・コルトー先生に師事されておられ、お若い時はピアニストとしてヨーロッパ中で演奏活動をされながら、コルトー先生のアシスタントとしてここで教授をされていたことは後で知った。
門下生が数人聴講している中での初レッスン。
あなたの演奏を聴かせてと先生がおっしゃり、日本で勉強していた曲を演奏。
先生は少し何か考えておられたので(お断りされたらどうしよう・・・)と心の中で不安が。しかし先生は「これからここで、私と一緒にしっかり勉強していきましょう。」とおっしゃってくださった。あぁ良かった~(ホッ)
~先生のリサイタル~
8月下旬にパリへ到着し、10月に学校が始まり、パリでの生活にも、フランス語にも、毎日必死なピアノの勉強にも少し疲れが出てきた頃の11月、学校のホールでボンジャン先生のリサイタルがあった。
まずはクープランを数曲。なんだか自然と涙があふれて止まらない。
ラヴェル、ラモー、ドビュッシーと続き、アンコールにバッハ「主よ、人の望みよ喜びよ」
先生の音はとても暖かくて、強くて、優しい。
ここへ来て、この先生につけて良かった。この先生にこれからたくさん教えていただけるなら、このパリの生活もフランス語も大変なんて思わずにがんばろう!と勇気をいただいたリサイタルだった。
その後、4年間の間に年に2回ずつ先生のリサイタルで勇気をいただいた。
プログラムもバロック、古典、ロマン派、近代と多彩で、特にシューマンのスペシャリストでいらっしゃる先生。
こんなすばらしい演奏を聴かせていただける先生に出会えたなんて、本当に私はラッキーだ。
~コンクール?~
コンクール、コンクールと先生や同じ門下の友人達が言うのだが、何の?と思っていたら、学校の年に1度の試験のことだった。
1年目は、学校のシステムすらよくわかっていなかったのだ。
試験の曲に、バロック、古典、ロマン派、エチュード、近代または現代の曲をすでに準備。4月に各クラスの課題曲が発表される。
5月に予選。この時に課題曲と提出したプログラムから1曲演奏。
ここで半分は落とされてしまう。
その1ヵ月後、6月に本選。
課題曲以外のプログラムを準備し、舞台に出ると審査員がその中から選曲。終わるとまた次の曲を指定。
本選は公開なので、先生、門下の友人たち、違う門下の学生、外部の人がホールの客席にわんさかさ。
4年間、とりあえずいつも本選で演奏できたが、本選で合格したのは1度だけ。
キビシー(><)
~旅行~
当時はまだ、ユーロではなくフランの時代。
今ほどフランスの物価も高くないし、円高の時代。
パリを拠点に旅行をすると、交通費が安い。
普段の食費、光熱費などを節約しまくって、旅行にもたくさん行った。
南フランス、スペイン、ドイツ、ベルギー、スイス、モナコ、ロンドン・・・
同じヨーロッパという一つのイメージがあったけれども、国によって全く違うことに驚かされた。言葉はモチロン、人の体格や性格も。そして、建物に空気や雰囲気も。
こんな中から自然に音楽も生まれてきたんだ。
とてもよい経験になった。
~美術館めぐり~
パリには有名なルーブル美術館はじめ、小さなものまで合わせると美術館の数は数えられないほどある。
絵なんてさっぱりわからない。
でも、不思議と足を運んでしまう。
私のお気に入りはオルセー美術館とオランジュリー美術館。
印象派の絵が多く観られる。
中でもルノワールやモネが好き。
オランジュリーは小さいけれど、地下にモネの睡蓮の連作が壁一面、ぐるりと描かれている。
でも、美術館にぷらっと行くと観光客がいっぱい並んでいて、いつでも来れるしまた今度と、そのまま行っていない美術館もたくさん。
今となれば後悔。
~フランス語でのレッスン~
いざ、レッスン開始。
先生「あなた、バックはどんな曲を勉強したの?」
私のアタマの中(???・・・バックって何???)
「わからない? ほら、こんな曲とかよ」と先生が演奏されてるのは、“バッハ”だ!
その後も「ベトーヴやモザールは?」・・・ベートーヴェンにモーツァルト!?
世界共通の作曲家の名前がフランス語読み・・・参った。
先生が辞書とノートを持ってくるようアドヴァイスしてくださり、それからはわからない単語など先生が辞書をひいて見せてくださったり、注意する点などをノートに書き込んでくださり、家で辞書でひきながら言葉を覚えれるように工夫してくださった。
そして、レッスンをテープに録音することを許可していただいた。
楽譜屋さんでフランス語の楽典を購入し、音譜や記号、音楽用語のフランス語も覚えるようにした。
~苦情~
音楽学生を悩ますのは、隣近所からの苦情。
ピアノは特にうるさいと苦情が多い。
警察がやってきたという話を友人から聞くこともしょっちゅう。
私の場合、入った頃から住んでいた近所の方にはピアノの音を出すことを伝え、みな親切な人ばかりでほとんど苦情はなかった。
真下に住むムッシューは、音楽大好きでむしろ応援してくれた。
そんなムッシューが趣味で声楽をしている恋人と訪ねてきて、「いつもピアノを聴かせてくれてありがとう。」とすずらんの花をプレゼントしてくれた。今日引っ越すのだと言う。
とても嬉しかった。
数日後、練習しているとチャイムが。
「ピアノを弾いてるのあなた?」知らないフランス人の若い女性。
「私の部屋この下なんだけど、ピアノの音がうるさいから弾かないで!」
この日から彼女とバトル開始。と言っても、怒鳴りあいするわけではないけど。
ピアノを勉強するためにパリまで来たから練習しなくてはいけないとひたすら訴え続け、私のピアノのうるささと、全く引き下がらないしつこさに根負けして、彼女はアパートを出て行ってしまった。この勝負、勝ちましたー
~コンサート三昧~
芸術の都・パリ。
せっかくこんなとこにいるんだから、芸術満喫しなくちゃもったいない。
パリでは、学生なら年齢に関係なく演奏会の当日チケットが格安で買える。
ちょうど、ブレンデルがベートヴェンのソナタ全曲演奏をしている時期だった。
3度行くことができ、そのうち後期の3つのソナタのリサイタルは圧巻だった。
その後、ベートヴェンのコンチェルトを1週間で全曲演奏という演奏会に行くこともできた。
アルゲリッチはすでにほとんどソロ活動をしていなかった。室内楽のコンサートにたくさん行った。
しかし、シャンゼリゼ劇場でプロコフィエフのピアノ協奏曲の演奏会があり屋根裏席(?)のような席だったが、そのパワフルですばらしい演奏に釘付けにされた。
キーシンのシャンゼリゼ劇場での、ショパンのバラード全曲とフランクの「前奏曲、コラールとフーガ」などを演奏したリサイタルも印象深く残っている。
しかし、サール・プレイエルでのチャキコフスキーの協奏曲1番のチケットを前売りで買ったのに、真冬にあった3週間の完全ストで、気温がマイナスの中、1時間歩いてホールにたどり着いたことは違う意味で忘れられない。
アシュケナージ、ポリーニ、ツィメルマン、ペライア、ルイサダ、ルプー、バドゥラ・スゴダ、コラール、クリダ・・・
ポリーニのリサイタルに行った時、病気で急遽演奏者が変更。代役に演奏したのは、なんと巨匠チェルカスキー!!!
バロックから現代まで、あれもこれもと次々と演奏していく。
本当に楽しくて、笑いあり、感動ありの演奏会だった。
また行きたいなぁと思っていたら、半年後に亡くなられた。
偶然で、最初で最後のリサイタルだった。
ピアノだけではなくバーレンボイム指揮のウィーン・フィルやオペラ、バレエなど、いっぱい楽しんだ♪
ヴァイオリニストのギル・シャハムがパリ管と協奏曲を演奏した時、第1部で演奏を終えた彼は、第2部の交響曲の演奏に飛び入りでオケに加わり、観客の笑いを誘った。
子供の頃、テレビで観た「瀕死の白鳥」の舞で鳥肌が立った20世紀最高のプリマ・バレリーナといわれるロシアのマイヤ・プリセツカヤ。彼女の「瀕死の白鳥」を生で観ることができた。アンコールにこたえて2度も踊ってくれた。終了後、握手していただき、サインももらえた。
他にも若い演奏家のコンサート、教会でのコンサート、ロン・ティボー国際コンクールなどにも行ったなぁ。
~さて、その成果は?~
この4年間のこと全てはここにご紹介できないけれども、出会った先生や友人たちに恵まれ、色んなこともあったが充実した留学生活を過ごせた。
日本に引き上げて何年もたった今も、この時の友人たちと連絡をとり合い、先生と手紙のやり取りも続けている。
ピアノの勉強は、まだまだたくさんの課題が残ったままではあったが、吸収するモノがとても多かった。
ここでの経験や得たものが今につながり、これからの土台になっていく。私にとって大切な日々。
ただただ振り返るだけじゃなく、これからもパリで必死に勉強したこの時期を無駄にしないで、前に向かっていけたらいいなと、ここに思い出をまとめてみました 。
成果は、おばあさんになってからわかるかな?