Jell-O。日本でいえばハウスのゼリエースかな。パッケージに入ったインスタントゼリーです。
ゼリエースは数種類しかないと思うのですが、Jell-O は30種類以上。
製造元のKraft(チーズ類で有名ですよね。日本では森永乳業が販売しています)のホームページ
でフレーバーをチェックしてみると、アプリコットにベリー類、ライムにレモンにマンゴー、
パイナップル、ピーチ、すいか、フレーバーを組み合わせてストロベリー・キウイなど。
色がどれも鮮やかで、絵の具を水に溶いたみたい(って、全然食欲をそそらないけど)。
アメリカではジェローはゼリエースに比べてうんとポピュラーです。やはり子供のおやつが
一般的だと思いますが、サラダ・バーの片隅にもよくフルーツの側などに置かれていたり。
でも気楽な集まりとはいえ、パーティーのテーブルでは今のところ見たことがありません。
ポトラックというアメリカ特有の料理を持ち寄る形式のパーティーでも、店売りのケーキや
クッキーを持ってくる人はいても、ジェローは皆無。子供向け、とかチープなデザートという
イメージ強いのでしょうか。でも、わたしが以前とったアメリカン・クッキングのクラスでは、
もてなし料理を中心にしていまして、このジェローが活躍しました。
味は・・ですが、フレーバーに合わせて色がいろいろあるので、お皿の上に彩りをあたえるのが
魅力のようです。負の面ばかり話しては興ざめですね。わたしもゼリーのぷるるんとした感触と
ひんやりした喉ごしは大好きですもん。
さて、ジェローはいつ頃登場したのでしょう。クラフトのウェブサイトに詳しい歴史が載って
いますのでそれを参考にして、以下の参考文献の情報と合わせてお話したいと思います。
まーずゼラチン。ハナ・キャンベルの「アメリカンブランド物語」によると、ゼラチンが
文献に初めて現れたのは1682年。デニ・パパンというフランス人が動物の骨から膠質を
煮出す方法を実験したという記録があるそうです。
その後は「アメリカンブランド物語」にもKraft ウェブサイト上のJell-O history にも
同じ話が載っていまして、舞台はアメリカに移ります。
アメリカ人のピーター・クーパーが1845年、ゼラチン・デザートの最初の特許を獲得。
ですが、誰もそれを生かした事業を始めぬまま50年が過ぎ、ニューヨークの咳止め薬製造業者
ウェイトが1897年にようやくゼラチン・デザートの製造を開始しました。Jell-Oという名前
はウェイト夫人メアリーが考えだしたそうですが、どういう思いつきかは不明です。
当時のフレーバーはストロベリー、ラズベリー、オレンジ、レモンの4種。残念ながら
売れ行きはさっぱりで、ウェイトは450ドルで事業を隣人ウッドワードに売り渡しました。
その後も芽の出なかったJell-Oですが、1900年に入って急に人気が出始めました。
1902年、当時の人気女性誌「Ladies' Home Journal」に広告を出し、その年の売り上げは
25万ドルにものぼりました。初のレシピ・ブックは1904年のこと。“パラダイス・
プディング”“Jell-O マシュマロ・デザート”などが載っていました。
また、この時期にチョコレートとチェリーのフレーバーが加わりました。
ちなみにローズ・オニールがあのキューピーさんを創り出したのは1908年で、Jell-Oの
広告にも愛らしい姿を見せてました。(キューピーさん日本公式サイトはこちら。)
1917年、戦時中の物価高騰の折りもJell-O は10セントをキープしていますよ、という広告
が出ていたことから、当時のJell-O の価格がわかります。1918年、ピーチ・フレーバー登場。
1925年、Postum Company が Jell-O Company(旧Genesee)を吸収してゼネラル・フーズに
なりました。
Jell-O がまた新たに変身するのが30年代。ライム・フレーバーを出したのがきっかけでした。
それを使ったゼリー寄せの料理、特にサラダが流行ったのです。今、古いレシピブックの写真を
見ると、とても食べたくなるような代物ではありません。賽の目にした野菜やフルーツ(場合に
よりチキンや魚)がゼリーの中にぷか~と浮いている・・でも、このサラダ、実はいまでも
生きているのですね。わたしは何種かクッキング・クラスで作りました。フルーツのものは、
フルーツ・イン・ゼリーなのですが、あとはできたら食べたくないなあ。
(まさに・・・のイラストと笑えるコメントが載っているサイトはこちら。残念ながら英語のみ)
30年代はラジオの時代。ラジオのコマーシャルにももちろん登場しました。
その後もJell-O 人気は続き、1942年には子供用にコーラ・フレーバーが出ました。
第二次大戦下の物不足にもJell-O はパイのフィリングに使われるなど持ちこたえました。
戦後のアメリカ黄金時代の幕開け、1950年にはインスタント・ブディングやグレープ味の
Jell-O が発売され、以後、アップル、ブラック・チェリー、ブラック・ラズベリーが続きます。
インスタント・プディングも快調にチョコレート、ヴァニラ、バタースコッチ、ココナッツ・
クリームとフレーバーを増やしていきました。この時期、年に2億5千パッケージの売り上げ!
TVの人気番組の時間帯にコマーシャルが流されました。
60年代はフレイバー拡張時期。サラダ・ヴァージョンもいれれば20近くも新フレーバーが
紹介されました。特に人気だったのはプディング。パイナップル・クリーム&キャラメル味は
8種類めのフレーバーとなりました。
70年代は女性が職場へ著しく進出して家事に時間を割けなくなり、インスタント食品の需要
が増しましたから、Jell-O は大活躍。また、80年代のヘルシー・ブームにはシュガー・フリー
が人気でした。
90年代に入っても人気は衰えず、91年、なんとスミソニアン研究所で行われた第一回
フード会議のタイトルは“アメリカの歴史はJell-O”でした。シンポジウムには Jell-O の
クッキング・コンテストもあったそうです。
また、96年には宇宙飛行士 Shannon Lucidさんが宇宙でJell-O を食べて話題になりました。
(知らなかった!)おすそわけしたロシア人の同乗飛行士にもウケたとか。
1997年、100周年を迎えた記念フレーバーはスパークリング・ホワイト・グレープ味で、
“Jell-O のシャンパン”として知られているそうです・・大きく出ましたね・・。
さて、Jell-O を使ったレシピはクラフトのウェブサイトにありますが、レトロなレシピを
「The Old-Time Brand-Name」よりご紹介したいと思います。カップはアメリカ標準の240ccです。
Pineapple Bavarian Cream ~ "A Jell-O Year", 1924 より ~
=材料= (6人分)
Jell-O レモン・フレーバー 3オンスパッケージ 1箱 (1oz = 29g)
熱湯 1カップ
パイナップル(crushed) 15オンス 1缶 (リング型のものをみじん切りにしても)
ヘヴィ・クリーム 1カップ
=作り方=
1)パイナップルの汁気を切り、汁はとっておく。
2)耐熱ボウルにJell-O と熱湯を入れ、完全に溶けきるまでかき混ぜる。
3)2)にパイナップルの汁を1カップ分加えて混ぜた後、約1時間冷蔵庫で冷やす。
その間にクリームを固めに泡立てておく。
4)Jell-O を冷蔵庫から出して大きめのボウルに入れてかき混ぜ、ホイップしたクリーム
とパイナップルを加え、混ぜる。水ですすいだ型に入れる。(もし型入れが面倒なら
そのままボウル、できればガラス製、に入れるとよい。)
4)4時間位、または固まるまで冷やす。ラズベリー、苺、チェリーなどをちらしてサーブ。
参考文献 「アメリカンブランド物語」(Why did they name it...) ハナ・キャンベル
「American Century Cookbook」 Jean Anderson
「The Old-Time Brand-Name」 Bunny Crumpacker