疾風怒濤の再帰的人生

人生についてとかそれ以外についてとか

21世紀のスキッツォイド・オリンピック

とても面白い茂木健一郎さんのツイートが流れてきた

 

そのとても面白い記事

2020volunteers.netlify.com

 

 この記事はいわゆるジョーク系の物であるが、自分のオリンピックに対する考えを整理するためにも今日はこの記事に沿いながらいろいろ書いていく。

 

はじめに -当たり前でネタバレなそれでも難しい前提

 記事を読んだ人ならもう把握していると思うが、一見オリンピックボランティア大賛成派なこの記事は国が掲げる2020年オリンピックボランティアの異常さが書かれた記事である。私も読みながら、最初はなんてこったいと思っていたが最後まで読んで事を納得した。最近東京オリンピックボランティアのステマツイートなどによって、これに関連した話題が敏感に取り上げられるようになっているためできるだけトレンドの空気だけに流されないように注意を払う必要がある。(ボランティアステマツイート関連のことは以下の記事を参考)

muichimonkan.blogspot.com

 

 それと、私はオリンピックの開催自体は賛成である。理由はもう今更「やめます」と言えないからといういささかみっともないものではあるが、事実私も開催は楽しみであるし是非とも開催される競技を観戦しに行きたいと考えている。ただ現状の東京オリンピックパラリンピック競技大会組織委員が掲げるオリンピックボランティアの方針などについては賛成しない、私自身もオリンピックボランティアには参加しないつもりだ。

 

21世紀のスキッツォイド・キャピタリズムとオリンピック

 「ボランティア」というものが話題になったのも「ボランティア元年」である阪神淡路大震災が起きた1995年以降だ。その後も新潟中越沖地震の際や、東日本大震災などを経てこの言葉はより一般的なものに普及した。2011年の今年の漢字が「絆」であったのが何よりの証明だろう。ボランティアは一般的に、見返りを求めない社会奉仕の活動だ。しかし、一方で日本は資本主義の国である。契約者された人が労働して、雇い主から給与を貰う、社会人にとって当たり前だが我々は何か働いたらその見返りとして金を貰うという活動を日常的に行っている。見返りを必要としない奉仕活動の「ボランティア」は、働いた分だけ給与を受け取るシステムの「資本主義」とは根本的に相反している。そしてオリンピック委員会、それだけではなく日本そのものがこの基本的な前提を勘違いしている。大学生のボランティア単位制度や、社会人のボランティアによる昇給制度はこの勘違いの具体例である。

 本来ボランティアを行う対象というのは地震や大雨などの「自然災害」である。これらは予知予防をするのが困難で、尚且つ人々が一方的に損害を被りその責任を負うものが誰もいないのが普通である。ボランティアの活動は、本来これらへの救助であり、その根幹的な支援活動には経済活動は含まれていない。一方で、オリンピックは国家規模での経済行動である。そのため資本主義経済のシステムに従えば、オリンピックの為の労働には給与が払われて当然である。

 

(20/8 加筆) 続きを次回以降も書いていきます