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統計Today No.129
明治から続く統計指標:エンゲル係数
総務省統計局統計調査部消費統計課長 阿向 泰二郎
今年は、明治元年(1868年)から満150年の年に当たります。幕末・維新は、日本が近代国家への第一歩を踏み出し、社会経済が発展を遂げる原点と言えますが、現在の総務省統計局の前身組織が作られたのもこの頃(明治4年)で、近代公的統計の原点でもあります。
この約150年前に発表され、いまなお多くの方々に知られる統計指標と法則に、「エンゲル係数」と「エンゲルの法則」があります。いずれも発見者であるエルンスト・エンゲル(1821-1896年)の名前が付けられています。
エンゲルは、ザクセン王国、プロイセン王国の統計局長を歴任したドイツの統計学者で、彼が『ザクセン王国における生産及び消費事情』(1857)、『ベルギー労働者家族の生活費』(1895)の論文の中で示した生計費に関する経験則が、エンゲルの法則と呼ばれるものです。
それから150年近く経ち、社会経済も国民生活の形も大きく変化しましたが、人が生きていく上で食料が毎日必要であることは今も昔も変わりありません。食卓の風景、食生活のスタイルが変わっていく中で、その時々の国民生活の一面を表す重要な指標として、総務省統計局では、毎月、家計調査の結果においてエンゲル係数の算出を行っています。
エンゲル係数は、消費支出全体に占める食料支出(食料費)の割合(%)であり、家計調査では、用途分類の食料費(贈答品や仕送り用などの自分の世帯で消費する目的以外の食料支出は含まれません)によって算出しています。
図1は、家計調査の結果から、2017年の年間収入とエンゲル係数について、年間収入の十分位階級でその平均値を示したものです。エンゲルが当時の家計調査の結果から見いだした「所得が高く(低く)なるにつれ、エンゲル係数は低く(高く)なる」というエンゲルの法則は、約150年経った現代の日本においても成り立っていることがうかがえます。
図1 年間収入十分位別エンゲル係数・年間収入
(2017年(二人以上の世帯))
ただし、これは、ある「一時点」の一定規模を有する「集団」において、その集団を構成する世帯間で見られる「平均的な傾向」であり、個々の世帯はもとより、異なる時点や集団の比較において常に成り立つというわけではありません。
図2は、2017年における世帯の年間収入とエンゲル係数を地方別にみたものです。世帯の年間収入が最も多いのは関東地方ですが、エンゲル係数は、北海道地方、東北地方、東海地方、四国地方、九州地方といった多くの地域で関東地方より低くなっています。「くいだおれ」の言葉に代表される食文化の街・大阪を含む近畿地方は、エンゲル係数は高くなっていますが、世帯の年間収入は関東地方、北陸地方に次いで高く、「所得が高く(低く)なるにつれ、エンゲル係数は低く(高く)なる」というわけではありません。
図2 地方別エンゲル係数・年間収入
(2017年(二人以上の世帯))
時点間の比較はどうでしょう。図3は、1946年から2000年台半ばまでのエンゲル係数の推移を示したものです。終戦直後の1946年に66.4%であったエンゲル係数は、戦後の復興・高度経済成長にあわせて低下していきます。図4は、勤労者世帯の可処分所得の推移を示したもので、戦後のエンゲル係数の低下と同時に、所得の著しい増加が見られます。所得が増加する中で、洗濯機、冷蔵庫、テレビなど食料以外の消費も増え、国民の生活水準も向上していくこととなります。「所得が高くなるにつれ、エンゲル係数は低くなる」というエンゲルの法則は、戦後・高度経済成長期での時点間比較にも当てはまり、国民生活が豊かになっていく様子がエンゲル係数に表れてきていると言えるでしょう。
図3 エンゲル係数の推移(1946年~2005年)
(二人以上の世帯)
注1.1962年以前は人口5万以上の市の平均、1963年以降は全国平均
注2.1999年以前は農林漁家世帯を除く結果、2000年以降は農林漁家世帯を含む結果
図4 可処分所得の推移(1951年~2005年)
(二人以上の世帯のうち勤労者世帯)
注1.1962年以前は人口5万以上の市の平均、1963年以降は全国平均
注2.1999年以前は農林漁家世帯を除く結果、2000年以降は農林漁家世帯を含む結果
しかし、1990年代に入り、その状況に変化が見られ始めます。図5は、可処分所得、消費支出、食料支出について、それぞれ1990年の額を100とする指数で示したものです。消費支出は、1992年前後をピークに増加が止まり、ほぼ横ばいで推移するようになります。このとき、可処分所得は引き続き増加を維持し、その一方で食料支出は減少に転じるようになります。1990年代後半になると、可処分所得も減少に転じます。それに伴い消費も減少に転じますが、この期間においては、一般に固定的費用とされる食料支出の方が消費支出全体よりも減少の勢いが大きく、結果としてエンゲル係数が低下することとなります。すなわち、1990年代以降に見られるエンゲル係数の低下は、エンゲルの法則が示す「所得が高くなるにつれ、エンゲル係数は低くなる」という動きではありません。
図5 可処分所得指数、消費支出指数及び食料支出指数の推移(1990年=100)
(1951年~2005年)(二人以上の世帯のうち勤労者世帯)
注1.1962年以前は人口5万以上の市の平均、1963年以降は全国平均
注2.1999年以前は農林漁家世帯を除く結果、2000年以降は農林漁家世帯を含む結果
エンゲル係数と物価変動
昭和から平成にかけて低下を続けてきたエンゲル係数は、平成の半ばから上昇に転じるようになります。近年は急速に上昇しており、特に2015年と2016年は上昇幅が大きく、この2年間でエンゲル係数は1.8ポイント上昇しています(図6参照)。
経済指標を時点間で比較する場合、その数値の変化には様々な社会経済環境の変化が含まれることとなります。家計消費指標の場合、物価変動や世帯構造の変化などが影響します。
エンゲル係数の経年変化も例外ではなく、上述の1.8ポイントの上昇のうち半分の0.9ポイント(総務省統計局試算)は物価変動の影響によるものです。これは、2015年及び2016年の消費者物価指数(持家の帰属家賃を除く総合)の対前年比が+1.0%、▲0.1%であったのに対し、食料物価の対前年比が+3.1%、+1.7%と高かったことに起因しています。
図6 近年のエンゲル係数の推移(1980年~2017年)
(二人以上の世帯)
注.1999年以前は農林漁家世帯を除く結果、2000年以降は農林漁家世帯を含む結果
生活の基礎的な要件として「衣食住」という言葉がありますが、毎日欠かせない「食」は、家計支出の中でも最も基礎的な消費項目と言えます。そうした食料の価格上昇をもたらす物価変動がエンゲル係数上昇の主要因と聞くと、当該物価変動によって国民の生活水準が下がったのではないかと思われる方もいらっしゃるのではないかと思います。
しかし、エンゲル係数の変化における物価変動の影響の大きさは、比較する2時点間で単に食料の価格が上がった、下がったということでは決まりません。エンゲル係数は分子:食料支出額、分母:消費支出合計額によって算出されますので、物価変動の影響も分子に対応する「食料物価」と分母に対応する「消費者物価全体」の2つの物価変動を考える必要があります。
結論から述べると、消費者物価全体の2時点間の比(基準時に対する比較時の比)に対する食料物価の同比の相対比が、1よりも大きい物価変動はエンゲル係数を高める方向に働き、1よりも小さい物価変動はエンゲル係数を低める方向に働きます。
すなわち、2015年と2016年に見られたエンゲル係数の上昇は、上述のとおりその上昇幅の半分が物価変動によるものですが、それは食料物価の上昇率よりも消費者物価全体の上昇率が小さかったことによるもので、仮にこれが大きかったとすると、食料物価の上昇率は同じであってもエンゲル係数を低める方向に働き、異なる結果が導かれることとなります。
エンゲル係数の上昇・低下をもたらす物価変動をパターン分けしますと、下表のとおり6つに分類することができ、いずれもこれまでの日本経済で実際に起きた事象として観測されています。これを見ますと、エンゲル係数の上昇に影響する物価変動は3種類(Ⅰ-1、Ⅱ、Ⅳ-1)あり、食料物価の上昇だけでなく、下落の場合もエンゲル係数の上昇に影響することがあることがお分かりいただけると思います。また、食料物価と消費者物価全体の上昇幅が同じ場合、例えば共に(1)+1.0%、(2)+3.0%上昇した場合、その他の条件(収入など)が同じであれば国民の消費生活への影響は(1)と(2)では大きく違うわけですが、エンゲル係数の変化に関して物価変動の影響は双方とも無くなり、違いもありません。
表 エンゲル係数の上昇・低下をもたらす物価変動のパターン分類
物価変動がエンゲル係数の変化に与える影響の大きさは、食料物価や消費者物価全体の変動の大きさではなく、その相対比によるものであり、それ自体は、生活水準の高低や生活の苦楽を単純に示すものではないことがご理解いただけるものと思います。
平成の食卓~エンゲル係数の内訳
平成に時代が移り、エンゲル係数が低下から上昇の動きを見せる中、エンゲル係数の算出要素である食料支出の構成も大きく変化をしています。
図7は、1980年以降のエンゲル係数の内訳(寄与度)を示したもので、その時代の食卓の風景、食生活のスタイルの変化を読み取ることができます。元号が平成となる前の1980年代初め、世帯の食料支出は、「魚介類」、「穀類」、「野菜・海藻」、「肉類」といった素材食料が中心で、食のスタイルは、店舗で食材を買ってきて自宅で料理を作るという形が一般的であったことがうかがえます。その後、「外食」(学校給食を除く)の支出がバブル景気下で増加し、現在に至るまで世帯の食料支出の最大額を占めています。近年、急速に存在感が増しているのが、デパ地下やスーパー、コンビニで売られる惣菜や弁当、冷凍食品などの「調理食品」で、最近の食料支出の牽引役ともなっています。
図7 エンゲル係数の内訳の推移(1980年~2017年)
(二人以上の世帯)
注1.1999年以前は農林漁家世帯を除く結果、2000年以降は農林漁家世帯を含む結果
注2.「一般外食」には、学校給食は含まれていない。
かなり大雑把な区分になりますが、食料支出を、1980年代初めまで食料支出の中心であった「魚介類」、「穀類」、「野菜・海藻」、「肉類」に「乳卵類」、「果物」を加えた素材食料系と、それ以外の食料(加工食料系)に二分し、消費支出額の経年変化に影響を与える物価変動と世帯人員の変化を除去した「一人当たり実質食料支出額」(2015年価格)をみると、素材食料系の支出が近年大きく減少し、「外食」、「調理食品」、「飲料」などの加工食料系の支出が増加しています。私たちの食のスタイルが、平成の時代を通じて大きく変容してきていることが見えてきます。
図8 1人当たり実質食料支出額の推移(1980年~2017年)
(二人以上の世帯)
注1.1999年以前は農林漁家世帯を除く結果、2000年以降は農林漁家世帯を含む結果
注2.食料の中分類により大まかに区分しており、素材食品系としている中にも、麺類(穀類)、ツナ缶詰(魚介類)、ハム・ソーセージ(肉類)、ヨーグルト(乳卵類)など加工食品が含まれている。
所得の変化とエンゲル係数~修正エンゲル係数でみる最近の動向
エンゲルの法則は、所得の増減とエンゲル係数の上昇・低下の関係を示したものですが、エンゲル係数は、食料支出の消費支出全体に占める割合であって、所得の増減とは直接関係ありません。したがって、所得が増加しても消費支出が減少した場合、食料支出に減少がなければエンゲル係数は上昇することとなります。この場合、「所得が高くなるにつれ、エンゲル係数は低くなる」というエンゲルの法則は成り立ちません。
エンゲル係数の急激な上昇が見られた2015年及び2016年は、勤労者世帯でまさにそうした事象が観測され、可処分所得が2年連続で増加したものの、逆に消費支出は連続して減少し、エンゲル係数が上昇することとなりました。
世帯が得た所得は、商品・サービスの消費に支出されるだけでなく、住宅の取得や将来に備えた貯蓄など、消費以外の金融資産・不動産資産の形成等にも支出されます。所得から支払われるこれらの支出も、消費と同じく世帯の生活を支え、国民生活の豊かさとも関係しますが、消費支出ではないため、エンゲル係数の分母には加味されません。そればかりか、その増減がエンゲル係数の分母となる消費支出の増減に影響を与え、上述のようにエンゲルの法則が成り立たない変化をエンゲル係数に与える場合もあります。このため、物価変動の影響を除去した実質食料支出の実質可処分所得に占める割合を「修正エンゲル係数」とし、勤労者世帯についてその推移をみたものが図9です。
最近見られたエンゲル係数の上昇の動きは剥落し、世帯の可処分所得がピークとなった1990年代後半以降、ほぼ横ばいで推移していることがお分かりいただけると思います。
図9 エンゲル係数と修正エンゲル係数(1980年~2017年)
(二人以上の世帯のうち勤労者世帯)
注1.1999年以前は農林漁家世帯を除く結果。2000年以降は農林漁家世帯を含む結果
注2.修正エンゲル係数は、実質額を消費者物価指数の「持家の帰属家賃を除く総合」及び「食料」を用いて2015年価格で求め、その結果を用いて算出している。
明治から150年が過ぎ、平成の時代に入って30年が経過しようとしています。時を超え、今なお多くの方に知られ、用いられるエンゲル係数は、時代の変化の下で変わりゆく私たちの食やライフスタイル、そして社会経済や景気の状況など、家計を取り巻く多くのことを凝縮させ、一つの数値となって映し出してくれています。エンゲル係数の変化を何らかの端的な判定基準として用いるのではなく、その裏側にある、私たちの生活の実態や変化をしっかりと紐解いていくことが肝要と言えるでしょう。
(平成30年6月8日)
の項目は、政府統計の総合窓口「e-Stat」掲載の統計表です。