天才魔術師マグレガー・メイザース
現代の近代魔術の殆どは「黄金の夜明け」の後継者ないし亜流、あるいは強い影響下にある。
彼は、この「黄金の夜明け」の魔術体系を築き上げた最大の功労者と言っても良いであろう。
すなわち現代の魔術師達の殆ど全ては、何らかの形で彼の恩恵を受けているわけである。
サミュエル・リデル・メイザースは、1854年ロンドンに生まれた。事務員だった父は彼が幼いうちに他界し、寡婦となった母親に育てられた。ベドフォード・グラマースクールに学び、卒業後はボーンマスで事務員となっている。
彼は高い教育は受けていなかったが、独学によってオカルティズムを学んだ。そして、フリーメーソンに入団、続いて英国薔薇十字協会にも入会している。そして、1885年の母の死をきっかけに、「黄金の夜明け」の設立者となるウェスコットの家に居候している。
この期間、大英博物館に通い、1887年にかの「ヴェールを脱いだカバラ」を翻訳する。この著は「ゾハール」の訳(より正確にはローゼンロートなる17世紀のカバリストによって書かれた「ゾハール」のラテン語訳とその注釈を英訳したもの)である。これにより、メイザースは英国のオカルト界に衝撃的デビューを果たしたわけである。
1888年、「黄金の夜明け」の設立に伴い、三首領の一人となる。
1889年有名なグリモワール「ソロモンの鍵」を編集、英訳する。
1890年、哲学者アンリ・ベルグソンの実妹のミナ・ベルグソンと恋愛結婚をする。ミナはパリで幼年時代を送ったため、英語とフランス語の二ヶ国語に堪能。さらに絵画の才能を持ち、ロンドンの美術学校に学んだ才女である。夫の教えを受けたミナ自身も一流のオカルティストであり、夫を助け、また夫の死後もオカルト界で活動を続けることになる。
1891年、メイザースはパリ滞在中に「秘密の首領」の一人と接触したらしい。この秘密の首領は魔法名をルックス・エ・テネブリスと言い、物質界での名はベルギーのリュージュに住むドクター・ティソンあるいはティルソンと言う人物だと言う。魔術史家フランシス・キングによると、このドクターは実在の人物で、ベルギーのマルティニスト達の間では有名な人物だったらしいが、それ以上のことは分からない。
シュプレンゲル女史と彼女の手紙に登場するドイツ上層部の「秘密の首領」達は、架空の人物だと言うのが定説である。では、このメイザースが接触したという「秘密の首領」は何者なのか? しかも、ウェスコットは、この「秘密の首領」を本物と信じていたらしい。一体、彼は何者なのか? かの「暗号文書」と関係があるのであろうか? 謎である。
ともあれ、この「秘密の首領」との接触により、メイザースは自信を深め、まだ団内での権威が増加した。
これをきっかけにメイザースは、団の大改革を行う。徹底した実践重視の実力主義の魔術結社を作り上げて行くのである。
位階性については別項にて詳述するが、メイザースは「5=6儀礼」と呼ばれる、ほとんど芸術的なイニシエーション儀式の傑作を考案する。この儀式は「黄金の夜明け」の入団イニシエーションである「0=0儀礼」と並ぶ重要な儀式であり、後世の魔術結社に大きな影響を与えた。これは「地下納骨所」と呼ばれる美しい舞台の中で薔薇十字思想に由来する「死」と「再生」をモチーフにした儀式である。
1892年、メイザース夫妻はパリに移住した。そこでトルコ鉄道株の委託販売をはじめ、それで生計を立てながら、魔術研究に没頭する。そして、重要な「黄金の夜明け」の教義文書を大量に書き上げて行った。かの「アブラメリンの書」の発見、翻訳もパリにて行われた。
このパリにおいて、メイザースはスチュアート朝復興運動に関心を示す。そしてケルト人の民族衣装を着てパリを練り歩いた。
さらに、彼は貴族の血を引いていると主張し、グランストラエ伯爵マグレガーを自称するのである。彼のマグレガー・メイザースなる名は、この頃に完成したというわけだ。勿論、こうした主張には、明確な根拠があるわけでもなく、彼が胡散臭い目で見られる要因ともなった。
1897年、創立者のウェスコットは「黄金の夜明け」を退団する。これがきっかけとなってメイザースは団内で、事実上の最高指導者となる。これは結果として、彼を独裁者にしてしまった。かれの独裁的な支配に、ロンドンの幹部たちは反感を募らせて行く。
1900年に、ついに両者の対立は爆発する。ロンドン幹部達はクーデターを起こし、メイザースを首領の座から解任し、追放してしまうのである。ここで、当時メイザースの忠実な弟子だったクロウリーが、反乱鎮圧にロンドンに乗り込むと言う事件も起こるが、かえって事態をややこしくしただけだった。
メイザースは、団から追放された後も精力的に魔術活動を続けた。いや、団追放後に、彼の本格的な秘教主義の研究が行われたと言う意見もある。彼は、新たな魔術結社を設立する。いわゆるA∴O∴派の活動である。これは、先の「黄金の夜明け」団をさらに硬派にしたもので、メンバーの精選し、秘密主義も徹底したものだった。
「黄金の夜明け」の会員の中からも、あくまでメイザースに忠実な団員もこれに協力する(後年、エジンバラ支部もこれに合流することになる)。メイザース夫妻は、ここで多くの貴重な魔術文書を書き取ってゆく。ここにおいてミナは有能な秘書ぶりを発揮し、夫を助けた。
1903年、メイザースは「ゲーティア」を翻訳する。
さらに、「アルマデル奥義書」の翻訳も行われた。
第一次世界大戦が勃発すると、メイザースはフランスの外人部隊志願兵事務局を運営する。
そして、1918年、彼は悪性のインフルエンザに罹り、他界する。
メイザースは、極めて多才な人物であり、魔術以外にも様々な分野において「研究家」のレベルにあった。
特に重要なのは、軍学である。彼は少年時代から戦争理論に関心を持っている。そして「歩兵戦における実践的教示」なる軍学書の翻訳もやっているくらいなのである。第一次大戦中に、彼が外人部隊の志願兵事務局に従事するのも、こうした関心から来たことなのであろう。
さらに、チェスの腕も相当なもので、また文学にも関心を持ち「グラナダの陥落」なる詩集も出版している。
もう一つ、彼は文武両道でもあった。彼はボクシングとフェンシングも行い、それもなかなか強かったという。
ともあれ、メイザースは現代の魔術師達から、多くの尊敬を受けていると同時に、しばしば反面教師とされることもある(クロウリーほどではないが……)。。
と言うのも、彼の尊大で自己中心的な性格は、オカルティストが陥りやすい典型的な危険を体現したものとされ、労働をあまりせず弟子等から日々の糧を吸い上げるそれはカルト宗教の教祖的と批判もされる。
……実は、こうした彼の生き方については、とても真似の出来ない私は、正直羨ましく思ってもいる。またクロウリーにも言えることだが、こうした「好き勝手な生き方」をしたからこそ、あれほどの業績を上げることが出来たとも言えるのではあるまいか。
とは言うものの、やはり我々は、彼らの生き方から様々な教訓を読み取り、自分を客観視できるように気を付けて魔術の道を進むべきであろう。
「ヴェールを脱いだカバラ」 マグレガー・メイザース 国書刊行会
「英国魔術結社の興亡」 フランシス・キング 国書刊行会
「黄金の夜明け」 江口之隆 亀井勝行 国書刊行会