フェルキンと曙の星団
ロバート・W・フェルキンは1858年に生まれ、エジンバラ大学の医学部を卒業し、医師となっている。彼は熱帯医学においては著名な医学者であったらしい。彼は神智学に関心を持ち、やがて妻のメアリと共に1894年にエジンバラのアメン・ラー・テンプルにてGDに入団した。そして1896年にロンドンに移住し、内陣入りを果たした。
しかし、1900年前後に妻のメアリに先立たれる。彼が霊的な異世界の探検や通信に強い興味を持つようになったのは、このためではないかと思われる。
彼はファーのスフィア・グループに入り、アストラル投射に熱中する。
やがて彼はアストラル的な存在である「太陽の主」と接触したと宣言した。これはアストラル界で接触したり、自動書記でお告げを伝えてくる霊的な存在であり、「秘密の首領」の一人であったという。
ブロディ・イネスは、彼の「秘密の首領」接触を認めた。
これにより、フェルキンは団内での発言力が強まってゆくのである。
彼は魔術師としては実践派であり、かなりの熱血漢であった。「曙の星」を運営していたのは彼であり、もし彼が居なかったら、我々はGDの文書を見ることが出来たか疑問である。
また彼の魔術の実力は本物でもあった。
同時に彼は、しばしばメイザースやクロウリーとは違った意味で、反面教師とされることも多い。
彼は、懐疑心や批判的精神というのものが、いささか少なすぎたのである。
瞑想やビジョンを見る者は、それをそのまま信じ込んではいけない。アストラル界にも人を騙そうとする嘘やペテンは多いし、それ以上に恐ろしいのは「自己欺瞞」である。
彼が霊的に接触し、様々なお告げを伝えてきた「アラブの師」は、彼の自己欺瞞の産物だったと考える研究者も多い。
話しを戻そう。
「黄金の夜明け」は首領追放により、「黄金の夜明」と「A∴O∴」の2派に分裂した。
そして「黄金の夜明け」は、ウエイトとブラックデンの離反により、「曙の星」と「聖黄金の夜明」に分裂。
この結果、GDは三派に分裂したことになるのである。
「曙の星」、ロンドン本部とエジンバラのアメン・ラー・テンプル。ホロス夫妻事件により、多くの団員を失う。
「A∴O∴」、パリのメイザースとロンドンのベリッジ、アメリカのトート・ヘルメス・テンプル。
「聖黄金の夜明」、A・E・ウエイトとブラックデン。
1903年、曙の星団は外陣を「アマウン」と呼ぶようになる。
同年、団の幹部だったパーシー・ブロックが退団。1905年前後にブロディ・イネスがエジンバラに帰還。
これにより、ロンドン本部は、事実上フェルキンが最高指導者となった。
きっかけは1904年に起こる。彼はドイツの医師と文通を行っていたのであるが、その医師の患者にアンナ・シュプレンゲルという名の患者がいたのである。
彼は、彼女こそ、かのウェスコットが文通したシュプレンゲル本人か、その親戚ではないかと考えた。
彼は手紙で、シュプレンゲルのことを色々と聞いたが、彼女が「秘密の首領」とは思えなかった。しかし、フェルキンは、薔薇十字団の秘密主義によって、彼女は正体を隠しているのだと考えた。
1906年には、ドイツに行って、直接彼女に会っている。
1908年頃から、フェルキンは先の「太陽の主」とは異なる「秘密の首領」に接触した。これはアラ・ベン・セメシュと名乗り、「アラブの師」とも呼ばれ、自動書記によってお告げを伝えてきた。
フェルキンは、この「アラブの師」のお告げを、疑うことなくそのまま信じ込んだ。
1910年、フェルキンは再びドイツに渡り、かの人智学者ルドルフ・シュタイナーに接触した。
当時、シュタイナーは神智学協会からの脱退後、自分の思想を広めるためにメーソンを始め、多くのオカルト団体やオカルティストと親交を結んでいた。やがて彼が打ち立てる「人智学思想」の準備といったところか。
フェルキンは、シュタイナーと会うなり、彼こそが「秘密の首領」に違いないと確信した。さらに悪い偶然というかシュタイナーの弟子にアリス・シュプレンゲルという女性がいたのである。
シュタイナーは、フェルキンに訪問客全てに教えるごく基礎的な瞑想を手ほどきしたのであるが、フェルキンはこれを「秘密の首領」からの奥義の伝授と信じ込んだ。
これに自信を深めた彼は1914年に8=3位階に達したと宣言した。
一方で、「アラブの師」は、自動書記において、フェルキンに「メイザースに関わるな、シュタイナーに続け」とお告げを伝えてきた。
これにより、曙の星団に、シュタイナーの教義が持ち込まれることになるのである。
ここで、ちょっとキナ臭い噂がある。
この一連の出来事の裏側にウェスコットがいたのでは? という疑惑だ。
同じ1910年頃、ウェスコットもドイツに旅行しており、彼は自分のシュプレンゲル女史との書簡の捏造がばれないよう、糸をひいていたのかもしれない。すなわち、ウェスコットは、1904年にフェルキンが偶然出合った患者シュプレンゲルを、秘密の首領と信じ込ませようとしたらしい。そのために、ウェスコットは、親交のあったOTOの前身たるメンフィス&ミスラム関係者に芝居をうたせて、フェルキンにいっぱい食わせようとしたというのだ。
しかし、このメンフィス&ミスラムの指導者テオドール・ロイスは、シュタイナーとも親交があった。シュタイナーは一時的とはいえ、OTOのオーストリア支部長を務めているのである。
こうした悪い偶然から、フェルキンはシュタイナーと出会い、彼を「秘密の首領」と信じ込んだらしいのだ。
1912年フェルキンは、突然ニュージーランドに移住した。
そこには英国薔薇十字協会のニュージーランド支部もあり、そこを基盤としたらしい。
そして、ニュージーランドに「曙の星」の支部、「エメラルドの海」を設立する。後年、すなわち20世紀後半になって、この団はGD魔術の歴史上、劇的な貢献を果たすのであるが、それは遥か後の話しである。
1913年、ブロディ・イネスは、そんなフェルキンを見限ったらしい。
彼とエジンバラのアメン・ラー・テンプルは、「曙の星」から離脱し、メイザース配下のベリッジ博士の団と合併した。要するに、フェルキンと別れ、メイザースと合流したのである。
ここで重要になってくるのが、W・E・カーネギー・ディックソンである。彼は実践派かつ実力派の魔術師であり、今日多くのGD文書が残されているのも、彼の業績によるところが大きい。
彼は「曙の星」に残りながらも、ブロディ・イネスと親交を保ち、両者の橋渡し役をこなしていた。
1914年にウエイトの「聖黄金の夜明け」団が閉鎖した。
この団にもシュタイナーの思想が入り込み、ウエイトと対立した。また、ウエイト考案の儀式も内陣のメンバーからは不評であったらしい。
1916年にウエイトは「真の薔薇十字友愛団」を設立し、再編成をはかった。これは位階制はGDのそれを踏襲していたが、教義は全くの別物になっていたという。
1916年、フェルキンは4つの支部を設立した。
「聖ラファエルのギルド」。心霊治療を行うグループであり、後に英国国教会の傘下組織となる。
「マーリン・ロッジ」。崩壊したウエイトの「聖黄金の夜明団」の難民達を受け入れるための組織。またシュタイナー主義者達もここに入れられた。
「シークレット・カレッジ」。これは「英国薔薇十字協会」関係者からなる幹部グループ。
「ヘルメス・ロッジ」。ブリストルに設立された支部。
そして、フェルキンは、そのままニュージーランドに渡り、そこに永住した。
一方で、イギリスに残された「曙の星」では、団員達には二派に別れて深刻な対立状態にあった。
一つはフェルキン派でシュタイナー主義を奉じるグループ。リーダーはフェルキンの実娘であるエセル・フェルキンである。
反フェルキン派のリーダーは内陣の首領でもあったC・M・スタッタードである。
スタッタードは、フェルキンの「秘密の首領」接触に疑問を持ち、シュタイナーが「秘密の首領」とは信じられないと主張した。
だが同時に彼女もフェルキンに負けず劣らずの幻視体験への無批判な信望者の傾向があり、時にはホラー小説ばりの不気味な体験も報告している。
両者の対立については、スタッタードが理性的であったというより、教義上の対立と見たほうが良いであろう。
ここでフェルキンにとって、大打撃が襲う。
シュタイナーに見捨てられてしまうのである。
シュタイナーは、「曙の星」に調査役として二人の弟子を送ってきたのであるが、この二人がフェルキンの暴走に愛想を尽かし、スタッタード側に付いてしまう。
そして、シュタイナーは、自分は「秘密の首領」などではなく、また儀式魔術を支持するつもりはない。フェルキンに奥義を伝授してもいない。フェルキンの幻視や自動書記は自己欺瞞の可能性がある。
こんなコメントを出すのである。
要するに、シュタイナーに切り捨てられてしまったのだ。
これにより、ついに「曙の星」ロンドン本部は、1923年に崩壊した。
余談になるが、その後スタッタード女史はユダヤ陰謀論者となり、「曙の星」は世界制服を狙うユダヤの政治結社だったと著書に書く。もっとも、彼女にかかると、ナチスもユダヤの手先だということになるのであるが。
ロンドン本部は壊滅したが、支部はしばらくは存続した。
黄金の夜明初期からの数少ない幹部のW・B・イエイツも残っていたが、さすがに彼も、これを契機に「曙の星」と縁を切った。イエイツはその後もオカルティズム思想を奉じ続けたが、GDの儀式魔術については、やがて否定するようになった。
「マーリン・ロッジ」はしばらく存続したが、1920年代後半に消滅したらしい。
ブリストンの「ヘルメス・ロッジ」は、儀式魔術路線を守りながらも存続した。そして、これが近代魔術史上の大事件を引き起こすことになる。
この支部に一人の魔術師が参入する。彼の名はイスラエル・リガルディ。
「黄金の夜明け」 江口之降 亀井勝行 国書刊行会
「英国魔術結社の興亡」 F・キング 国書刊行会