ホロス夫妻事件


 GDの歴史上の最大のスキャンダルとも言うべき「ホロス夫妻事件」については、奇妙な噂が一部で流布している。曰く、「ホロス夫人は強力な吸血鬼であり、メイザースに操られ、クロウリーを倒すために彼のもとに差し向けられた……」
 もちろん、このような漫画のような話しが事実であるわけが無い。
 また、スキャンダルと書いたが、実際のところ、GDは純然たる被害者であった

 話しは1898年に遡る。
 メイザースは極めて興味深い魔術研究を始めている。「古き神々の蘇生法」である。
 GDには、ウィリアム・シャープという詩人、劇作家がいた。彼は「フィオナ・マクラウド」という女性名でいくつもの作品を発表し、これはイギリス文学史に名を残している。彼は一種の霊媒体質であったらしく、「フィオナ」も単なる偽装的なペンネームではなく、一種の「別人格」であったらしい。
 ともあれ、シャープはケルト復興運動に関心を持っていた。
 これは、W・B・イエイツも同様で、またメイザースもケルトの高地地方趣味が強く、意気投合した。
 ここでメイザースは、死んだ「古き神」の復活を目論見る。ケルトの神々は、キリスト教の侵入により、信徒を失い死んでしまっている。しかし、それを復活させることは可能である。
 まず、魔術師は古い神の伝説や神話、伝承を蒐集する。それを「生命の樹」とどのように照応するのか考察し、シンボリズムを分類・整理する。次に魔術師は瞑想、幻視等を通してアストラル界に飛び、神の遺体を探し出す。そして、発見した遺体をもとに、より正確なシンボリスムを構築する。そして、いよいよ儀式を遂行する。この儀式は集団でやるほど良い。共通のイメージでもってアストラル界に強固なそれを作り上げる。そして、そのイメージを通して多数の人間が儀式や礼拝を繰り返せば、次第に神は復活するのだという。
 メイザースは、この技術をケルト神話の神々だけではなく、イシスに対しても行おうとしていた。
 彼は「イシス運動」と称して、この儀式を一般公開した。これは芸術嗜好の強い演劇とも言える代物で、そこそこの評判を集めた。一般公開を行うことによって、多くの協力者、礼拝者を集め、イシスの復活をより効果的にする。そして、金策にも利用しようとしていたらしい。
 だが、これによって名を挙げたメイザースに目を付けた詐欺師がいた。
 ホロス夫妻である。

 ホロス夫妻の経歴については、何が本当で何が嘘なのかよく分らない。何しろ、プロの詐欺師なので、嘘と真実を混ぜて喋る。
 ホロス夫人が言うには、彼女は1854年にドイツ人の父とスペイン人の母の間に生まれ、天才的な神童であり、わずか12歳にして教祖となり、コレクシャン会なる宗教団体をアメリカに設立した。夫のテオとは1898年に出会っている。夫のテオは実は、イエス・キリストの生まれ変わりであり、夫人はスワミ・ヴィヴァ・アナンダなる「神の母」である。……この辺りでやめておこう。
 ホロス夫人はアメリカで詐欺罪で禁固6ヶ月、窃盗で2年の前科を持つ札付きであった。さらに金持ちの未亡人を騙し、彼女を信者にすると、大金を巻き上げた後、ヨーロッパへとやって来た。
 夫妻がどうやって、GDの内部情報を知ったのかは分らない。おそらくアメリカのイーメかテミスのテンプル関係者から手に入れたのだろう。
 彼女は、1900年初頭にパリのメイザース宅を訪れている。そして、イシス運動に協力したいと申し出て、メイザースに接近した。そして、かのアンナ・シュプレンゲルを自称したのである!
 夫人は、メイザースとブラバツキー夫人が交わした会話の情報をどこかで仕入れており、それを彼の前で再現してみせたのである。メイザースは、まんまと騙され、GDの文書を彼女に渡してしまった。
 ホロス夫人は、こうしてせしめたGDの文書を持って、逐電した。そして、その文書をもとにインチキ霊感商売を始めるのである。
 メイザースは、すぐにホロス夫妻が詐欺師であることに気づいた。彼は弁明の文章を当時のオカルティズム雑誌に寄稿もしているが、時すでに遅しであった。

 1900年に南アフリカのケープタウンに向かった夫妻は、いんちきオカルト学校・心霊療法を始めたが、すぐに苦情が出て警察が動き出すと、そのままロンドンに逐電した。
 夫妻は、今度はウェスコット達に接近しようとしたが、当然の如く相手にはされなかった。
 そこで、夫妻は「黄金の扉団」とか「神権会」とか称する、ニセ「黄金の夜明け団」の活動を開始する。
 これは、一種の信用詐欺であった。一例として、結婚詐欺もある。
 例えば、夫妻は「結婚相手募集」の広告を新聞に載せる。カモの女性がやってくると、夫のテオはうまく彼女を口説き落とし、彼女を「黄金の夜明け」団に参入させ、0=0儀礼のイニシエーションの儀式を施す(!)ことで、「結婚の儀式」とする。そして、財物を巻き上げる。
 問題となる事件は1901年に起こる。夫妻は、ある家族を騙し信者にすることに成功する。そして、その子供達に教育を施すためと称して、ロンドンへと連れ帰った。二人は少女を「黄金の夜明け」団に参入させ、またしても0=0儀礼のイニシエーションをほどこした。そして、あろうことか、その少女を夫婦ぐるみで強姦してしまうのである。
 夫妻は同年に逮捕され、夫のテオは懲役15年、ホロス夫人は7年の刑を宣告された。

 問題は、二人は法廷でも、自分達を「黄金の夜明け」の首領であると自称し、これは自分等の神聖な使命を妨害しようとする陰謀だ、などと主張したことだ。
 GDの0=0儀礼のイニシエーションの内容が、犯罪の証拠として法廷で読み上げられ、「けがらわしい」のコメント付きで新聞にも掲載されてしまったのだ!!

 当然のごとく、本物のGDは、パニック状態になった。
 GDの会員には中産階級が多かったため、この手の騒ぎに巻き込まれることは、社会的地位に深刻な影響を及ぼす。
 この事件がきっかけで、多くの団員が退団した。
 特に、「飛翔する巻物」を始めとした団内文書の執筆を行っていたE・A・ハンター夫妻やフロレンス・ファー等の有能な人材の退団は打撃であった。
 ロンドン本部以上に悲惨だったのが、エジンバラやブラドフォームの支部であり、彼らは団自らが事件を起こしたと誤解する者もいる始末で、大幹部の退団者も出た。
 さらに、神聖な0=0儀礼が、新聞等で「けがらわしい」とされたために、儀式の一部の変更すら余儀なくされたのである。
 おまけにこの期間、GDは首領追放を初め、内部抗争の真っ只中にあり、まさに踏んだり蹴ったりとしかいいようがない。

 先の吸血鬼の噂はどこで生じたのだろうか?
 メイザースは、ホロス夫人を「強力な吸血鬼」と呼んだ。
 そして、ロンドンに入ろうとしていたクロウリーに、「彼女は、冷えた鉄とタータン・キルトに弱い」という支持を出している。
 これを真に受けたクロウリーは、タータン・キルトを着て、腰に短剣、顔には黒い仮面という格好で、ロンドンに入るという笑い話が残っている。
 この話が変形して、先の噂が生まれたのであろう。


「黄金の夜明け」 江口之降 亀井勝行 国書刊行会
「英国魔術結社の興亡」 F・キング 国書刊行会