フランチェスコ・ジョルジとヴィテルボのエジディオ
カバラはピーコによってキリスト教に取り込まれた。その後継者として極めて重要な人物がドイツ人のロイヒリンである。
だが、イタリアにもピーコの思想を引き継いだキリスト教カバリストがいた。それが、フランチェスコ・ジョルジ・ヴェネトとエジティオ・ダ・ヴィテルボである。
フランチェスコ・ジョルジ・ヴェネトは、フランチェスコ・ゾルズィとも呼ばれる。彼の若い頃の記録は、あまり残ってはいないという。ともあれ彼は、イタリアの名門ツォルツィ家の出身で、1466年にベネチアで生まれた。1482年にフランチェスコ会に入り、パトヴァで学んだという。しかし、彼はそこの主流派の学派には批判的で、ピーコやフィチーノの学説に心を惹かれたらしい。
彼の故郷のベネチアには迫害を逃れて来たユダヤ人が押し寄せて来ており、巨大なゲットーがあり、そこで多くのヘブライ語文献が入手できた。彼はそこからカバラの知識を得たらしい。この点において、彼はカバラの資料の入手にあたっては有利であった。反面、彼はキリスト教の聖職者であったがゆえに、彼のカバラはロイヒリン等と比べて、極めてキリスト教色が強いのが特徴である。
彼は、当時のキリスト教の「徳目」の寓意を、惑星や天使の階級と照応させようとした。例えば、「徳目」の寓意に「慈悲」というものがある。ジョルジは、これを太陽と能天使とに関係付けた。
彼の著書は「世界の調和について」と「聖書の問題」が知られている。しかし重要な仕事は、やはり「世界の調和について」の執筆にある。この本は1525年に出された。
内容は主に、宇宙(世界)というものは、数学的法則に支配された音楽的な調和によって成されたものだと主張することであった。
ここにおいて、彼はピーコ同様、古代の異教徒の知恵者や哲学者達の思想は、互いに協和し、またキリスト教とも合致すると主張した。 例えば、世界の創造についても、「永遠に活動している存在が、万物を同時に創造した」と言う点では、古代の異教徒の知恵者とキリスト教の教義は一致する。
ジョルジは、こうしてカバラをも古代神学の一つと規定し、これを肯定した。
特に重要なことは、神の名前に用いられるヘブライ文字の操作によって、イエスが救世主(メシア)の名前であることを証明できるとしたことである。
ジョルジは、四文字名をYHWHで現わした。その中に含まれるYとWとHは、イエスの名IESUに既に含まれているとした。すなわちY=IでありH=EでありW=Uである。そして、もう一つのHはSに置き換えられる。なぜならS(シン)という文字は、至上の神が霊的なものを創造する時の力と権能を象徴したものであり、天と地を結ぶことを象徴するものだからである。さらにSは安息日(サバト)の頭文字でもあり、これはイエスが真の休息をもたらす贖い主であることも現わしているという。
また彼は、ユダヤ教の天使論とキリスト教の天使論との照応に強い関心を示し、ピーコ以上に詳細な研究を行った。彼は天使をより身近のものとして考えることを望んでおり、こうした作業を行ったらしい。実際、彼は偽ディオニシオスの天使の階級をセフィラにあてはめた。そして彼は天使の階級と惑星や十二宮との照応をも受け入れた。占星術的な思想を通じて、霊的な進歩と宇宙の調和を理解しようとした。
とはいうものの、彼の考える占星術は一般の占いのそれとは異なることに注意しなければならない。なるほど、天体は人に影響を与える。しかし、天に存在する物は全て「善」である。例えば火星や土星のように悪い影響のように見えるのは、土星が悪いのではなく、それの受け取り方にすぎない。
実際、火星は戦乱や破戒、土星はメランコリア(憂鬱)とされがちだ。しかし、実際は火星は「強さ」と「勇敢さ」であり、天使の階級で言えば力天使である。土星は「真理を追究し霊感を帯びた学者」であり、天使で言えば座天使である。
言ってみれば、彼はピーコと同様に、星の影響よりも「人間の自由意志」を強調したのである。
もともと星は平等かつ善であり、それが天使の階級と樹のセフィラと照応した形でもって、人間に降り注ぐ。それをどう受け取るか、またそれを善用するか悪用するか、それは「人間の自由意志」によって決まるということなのだ。
「聖書の問題」は、1536年に出された。内容は「世界の調和」とほぼ同一であるが、より秘教的、魔術的な側面が強くなっている。また、終末論的な思想も濃くなっているという。
彼は、セフィラや惑星と、植物、鉱物、動物との照応を行い自然魔術的な用法を挙げている。同時に文字によるカバラについても触れる。
しかし、彼が実践的な魔術師であったかは、疑問とされる。
彼は、宇宙と言うものは、神という偉大な建築家によって、数学的な普遍の法則によって、完全かつ調和の取れた神殿として作られたと考えた。ゆえに、彼は建築学にも強い関心を示し、教会の建築にも関わっている。彼は教会の設計において、カバラの宇宙観を応用しようとした。ここでフリーメーソンとも繋がる教会建築とカバラ思想の結びつきを考察したくなるのも人情だが、時代的にもこれは、うがち過ぎというものであろうか。
ただ、ジョルジの提唱するキリスト教カバラは変形が大きいことも上げなければならない。
例えば、天使の階級とセフィラとの照応にしてみても、最下級の位階の「天使」をマルクトに配したり、ケテルを「神そのもの」に配するなどだ。
また、上では神の名を巡っての理論も、彼の主張をそのまま紹介したが、疑問を感じる方もおられよう。
しかしながら、ジョルジの「世界の調和について」は、後世に馬鹿に出来ない影響を与えた。
異端審問所は、彼の著書を危なっかしいものとみなし、一部を削除して出版させることもした。また、修道院の図書室等でも、閲覧を許可制にする所も多かった。
「調和」は早くも1578年にフランス語に訳された。また、イギリスでも注目を集め、エリザベス朝時代のオカルティスト達に、大変大きな影響を与えた。無論、ジョン・ディーも、これを愛読した。
イタリアのもう一人の重要なキリスト教カバリストは、ヴィテルボのエジディオである。
彼は1465年に中部イタリアのヴィテルボで生まれた。
パトヴァでアリストテレス哲学を学んだが、次第に新プラトン主義へと傾倒していった。アウグスティヌス修道会に入り聖職者となったが、その学識が認められ1507年に同修道会の総会長に就任した。1517年には枢機卿にもなり、引き続きコンスタンチノープルの総司教、ヴィテルボの総司教を歴任し、1532年にそこで没した。まさに、エリート街道まっしぐらの生涯であった。
彼はフィレンツェを訪れたことがあり、フィチィーノとも親交があった。そして、当然の如くピーコの思想にも通じていた。
彼もまたキリスト教と異教徒の哲学の協和を追及しようとしたのである。そんな彼が、カバラに関心を持ったのも、当然の帰結であった。
彼は、人間の「本性」と「理性」を強調する。神の御業は、自然界に満ち溢れている。したがって、こうした「本性」と「理性」を持つ人間は、ユダヤ教徒であろうと異教徒であろうと、真理を見つけることは可能であるというのだ。そしてまた、正しいキリスト教の宗教的知識もまた、この「本性」と「理性」によって獲得することが出来るのだと言う。
彼はヘブライ語とアラム語を学び、「創造の書」や「ゾハール」を所有していた。
また、彼は多数の著述を行ったが、刊行された作品は多くは無い。彼がカバラを扱った書として有名なものが「シェヒナー」である。
エジティオは言う。ヘブライ語とは、神が人間に話しかけた時に用いた言葉である。であるなら、ヘブライ語は、他のいかなる言語よりも優先される特権的な言語である。また、神の真理を理解するには、ヘブライ語の研究が必要不可欠であるというわけだ。
彼はヘブライ語からラテン語に聖書を訳したヒエロニムスの仕事を極めて重視する。しかし、残念なことにヒエロニムスはカバラを知らなかった。それが唯一の欠点であったという。
エジティオが言うには、ヘブライ文字の形にも、キリスト教の真理が隠されているという。
例えば、ヘブライ文字のAこと「アレフ」は、1つの「ヴァウ」と2つの「ヨッド」から構成されているが、これは「三位一体」を示すことに他ならない。
彼は「樹」についても、詳しく論述している。「樹」は神の声、ないし創造の過程をあきらかにするものであるが、これは神性の内的原理の展開と理解すべきであるという。最初の、ケテル、コクマー、ビナーは「三位一体」と照応させ、「至上の世界」と名づけた。残りの7つは「中間の世界」と呼ばれ、我々が住む可感覚的世界を統括していると考えた。特に重要なものがマルクトで、これは神の栄光を現わすもととし、神殿、王国、天上のエルサレムと呼んだ。
彼はロイヒリンとも親交を持っていた。ロイヒリンがドイツで攻撃を受けた時、彼を弁護し、異端の嫌疑をかけられるのを阻止した。そして自分の修道会にも迎え入れている。ロイヒリンの敵達も、枢機卿様の前では、口汚い罵詈罵倒も慎まざるを得なかった。
彼は「タルムード」すらも弁護した。当時としては、活気的な思想を持った高位聖職者であった。
「神々の再生」 伊藤博明 東京書籍
「魔術的ルネサンス」 フランシス・イエイツ 晶文社
「バロックの神秘」 エルンスト・ハルニッシュフェガー 工作舎