ブーラン師と魔術戦争
ウンジェーヌ・ヴァントラスは1807年フランスにて、女中の私生児として生を受けた。貧困の中、慈善教育を施された後、箱工場の熟練労働者として一時的な安定を見た。
それは1839年の夏のことだったという。彼が事務室に座っていると、突然ドアがノックされ一人の老人が入って来た。
みすぼらしい身なりのその老人は、知るはずの無い洗礼名でヴァントラスを呼んだ。施しを求めて来た乞食だと思った彼は、その老人に1枚の貨幣を与えたて外へ出した。ところが、足音が全く聞こえないので不審に思って職場の部下を呼んで共に外を調べたが、老人の姿はかき消えていた。そこで突如、教会のミサの始まりを知らせる鐘が鳴った。首をかしげながら事務室に戻ると、机の上には何と、先ほどの老人に与えたはずの貨幣が置かれており、その下には1通の手紙が置かれていた。手紙の題名は「異端の反 カトリック正統の誓願」とあった。内容は間近に迫った終末に抗して「愛の王国」の到来を説いたものだったという。
この老人は聖ミカエルであったとも聖ヨセフであったとも言われているが、この幻視がきっかけとなって、彼は宗教活動を始める。とある公爵夫人の援助を受け、「カルメル教会」なる宗教慈善団体を設立する(この会は当初「慈善の業の会」と名乗っていた)。
彼の幻視には聖母マリヤ、ヨゼフなどが現れ、ヴァントラスは預言者エリヤの生まれ変わりであると告げた。
彼の会は多くの信者を集めた。それは貧民層のみならず中産階級や知識人も集めた。やがてスペイン、ベルギー、イギリスにまで支部を置くまでになる。
ここで登場してくるのが天使ヒルマファエルの体現ことジャン・ジョフロワなる評判の悪い弁護士である。彼はシャルル・ナウンドルフなる詐欺師の片棒を担いでいた。彼はフランス革命で処刑されたルイ16世の御落胤、ルイ17世を自称する詐欺師であった。ルイ16世の息子は革命の直後に行方不明になっており、それを自称する詐欺師が何人も現れた。彼はそうした連中の一人であった。しかし、彼は王子どころかフランス人ですらなく、贋金作りの前科もある札付きであった。にも関わらず、王政復古を望む王党派は彼を支持していた。
ジョフロアはヴァントラスに接近し、この自称「ルイ17世」を擁護するように勧め、実際にその通りになってしまう。
ヴァントラスはフランス中を旅しては、魂の救済と共にナウンドルフの王位回復を説教して回った。
やがて彼はティーユに礼拝堂を設けた。
そこで祈ると、様々な「奇跡」が起こった。空の聖杯が突然血で溢れかえり、聖体パンから血が流れ出したという。
ちなみに、あのエリファス・レヴィは、この奇跡を調査したことがある。しかし、彼の出した結論は「悪魔の仕業」だった。レヴィが言うには、この聖体パンに逆ペンタグラムの図形が浮かび上がっていたからだという……。
それはともかく、彼の活動に対して、ついに教会が動き出す。カトリック教会は、まず1842年にヴァントラスの活動を異端であるとして非難した。さらに1848年には、正式な文書の形で彼を非難することになる。すると、彼は激しくローマ教皇を非難するという反撃を行った。
1842年、ヴァントラスはジョフロワともども、詐欺罪で逮捕される。信者に金銭と引き換えに守護天使の名を教えるという活動が問題とされたからだ。
彼が獄中に居る間、天使ルツマエルことマレシャル神父が実験を握る。彼は信者達の性器を聖別し、一種の性魔術を実践していたらしい。この神父にも後に逮捕状が出る。
ヴァントラスは刑期を終えると、再び活動を再開する。だが、状況は厳しい。弟子の一人が裏切り、儀式的な自慰を行う秘密ミサを行っていると言う内容の暴露本を出したからである。
こうした騒ぎによって、彼は1852~62年の間、ロンドンに亡命する。
彼は「永遠なる福音書」なる著書をあらわし、フランスにリヨンに帰国後、「預言者の学校」の礎を築いた。
彼は1875年に死去した。
ヴァントラスはキリスト教神秘主義者ではあったが、魔術師とは言いがたい。彼はジョフロアとナウンドルフに利用されはしたが、彼自身を詐欺師と呼ぶのは、あきらかに不当だ。
ただ、弟子達に、色々と厄介な人物が居たのは確かである。先述のマレシャル神父は勿論、他にブーラン師がいた。
ジョセフ・ブーランは1824年に生を受けた。そして、正式なカトリック聖職者としての教育を受けている。
プレシュー・サン・ダルバノ修道会に属していた彼はローマに留学し、神学博士の学位を取っている。そのまま行けばエリート聖職者になっていただろう。
おかしくなるのは、1856年にアデル・シュヴァナリエという修道女に出会ったことだ。彼女は幻視の能力を備えており、聖母マリヤを幻視し、お告げを聞くことができたという。
ブーランは彼女と肉体的な恋愛関係に陥る。そして、二人の子供までもうけてしまう。1859年に二人は悪魔祓いを目的とした「魂の修復の会」を設立した。お告げにより、シュヴァリエが規則を作り、二人はベルヴィルに居を置いた。
しかし、その悪魔払いの方法がスキャンダルとなる。彼らが行っていた儀式の一つに、聖体パンに彼らの尿を混ぜて信者に食べさせるというのがあったのだ。さらに、彼らの私生児を生贄にした儀式も行ったという噂すらたてられた。
1865年、ブーランは逮捕され、3年の禁固刑を受ける。
出所後、彼はアシジに巡礼し、パリに戻って、「19世紀神聖年代記」なる雑誌を創刊し、悪魔払いを続けた。
彼は晩年のヴァントラスに出会うと、彼の宗教に改宗し、彼のカルメル会に入った。
ヴァントラスはブーランを気に入り、彼を重用した。
やがてヴァントラスが死ぬと、ブーランは自分はパプテスマのヨハネの生まれ変わりであると宣言、ヴァントラスの後継者を自称した。
カルメル会のメンバー達の大半は、ブーランを認めなかったが、一部に追随する者も居た。彼は、こうした信者達と共にリヨンに落ち着いた。
ブーランの教義は、こうだ。
エデンからの追放は罪深い愛の営みのせいである。だから、人間の贖罪は、宗教的に完成された愛の営みによって成されなければならない。つまり、純粋な愛でもって、罪深い愛に対抗しなければならないのである。
では、その純粋な愛とは?
天界の神聖な霊と性的に近づき自らを高める「叡智の結合」、逆に地獄の悪魔、あるいは下等な動物と結びつくのは「慈悲の結合」と呼ばれる。 そして、善へと向かう対等な二つの存在の流体を通じ合わせることによって、現世にあって「エデンのアストラル体」、「栄光に包まれた霊的肉体」を得ることが出来るのだという。
具体的な方法として、彼らは天使やクレオパトラ、アレキサンダー大王を視覚化し、それと性交をおこなっていたらしい。
しばしばこれは黒ミサ的な儀式だと非難を受けるが、より正確には、ひどく変形したスェーデンボルグ主義を基にした性魔術と呼んだほうが、ぴったりくるように思われる。
ただ、ブーランは誰も彼にも、このような儀式に参加させていたわけではない。表向きは普通のキリスト教的な会であり、上級の会員のみに、こうした「奥義」を伝えていたらしい。
あの「彼方」で、あまりに有名なJ・K・ユイスマンスもブーランの支持者になった。彼がブーラン師の「奥義」をどこまで知らされていたのかはともかくも、彼を「世間から誤解されている白魔術師、信心深い司祭」と評した。彼の小説に登場するジョアネ博士こそ、ブーランのことである。
また、悪魔主義に関する著書で知られるジャーナリストのジュール・ボワもまた、ブーラン師をユイスマンス同様に支持した。
スタニスラス・ド・ガイタがブーランの噂を聞きつけたのは、ちょうどこの頃のことらしい。ガイタはリヨンまで赴き、参入希望者のふりをして2週間ほど、ブーランのカルメル会に入った。彼は、すぐにこの会が黒魔術の代物ではないかと、疑問をもった。
そして、パリに戻り、オスワルト・ウィルトと知り合うことにより、それは確信にかわる。ウィルトは、もとカルメル会のメンバーだったが、ブーランに失望していたのである。ウィルトはガイタの弟子となり、彼の「薔薇十字カバラ団」へと入団する。
やがて二人は、共同でブーランのことを「汚辱の司祭、ソドムの偶像、最悪の黒魔術師、哀れな犯罪者、邪悪な妖術師」と非難し、彼の欠席裁判を開いた後、「有罪」を宣告する手紙をブーランに送りつけた。
実際のところ、ガイタがブーランを呪殺しようとした、という証拠はどこにもない。
しかし、少なくともブーラン陣営は、そう信じた。確かに、これはありそうな話しではある。ガイタは著書で蝋人形を用いた呪いの方法を書いていたりするのだ。
これについては、もっともらしい話しが、色々と残っている。ブーランに味方したユイスマンスにも、霊的な攻撃があった……と、少なくとも彼自身が書き残している。彼が言うには、自分とペットの猫が、目に見えないアストラル体の拳で張り倒されたとか、オフィスの彼の席に巨大な鏡が落下して、あやうく死にかけたとか、そんな内容である。
彼は呪いよけのために、ブーラン師から教わった魔よけのインセンスを焚き、呪文を唱えていたという。
それで、1893年にブーランが死ぬと、それはガイタの呪いのせいである、と考えた。
彼が死ぬ直前に烏が鳴いたのだが、これはガイタの使い魔であるという……。
冷静に考えてみれば、ブーランは70歳近い老齢に加え、心臓と肝臓に持病を持っていた。烏なんて、そこらじゅうにいる。本当にこれは呪いなのだろうか?
だが、少なくともブーラン陣営は、ガイタの黒魔術と信じ込んだ。
ユイスマンスとジュール・ボワは、このことをマスコミで発表した。ボワは新聞に「ガイタは魔術殺人を行った」と非難。ユイスマンスも新聞記者のインダビューで同様のことをぶちまけた。
怒ったガイタは、名誉毀損であるとして、二人に(当時の悪風の)決闘を申し込んだ。
ユイスマンスは、懸命にも、こんな馬鹿馬鹿しいことで命を賭けるのは真っ平と、正式に謝罪した。
だが、ジャーナリストであるボワは黙らない。ついには、ガイタの友人だったパピュスまでも共犯者として攻撃し、彼からも決闘を申し込まれる羽目となる。
ボワはガイタとの決闘に向かう途中、彼の馬車の馬が立ち止まり動かなくなった。なんとか決闘場に辿り付いたが、両者の銃は調子が悪く、不発な弾もあった。どうにか2発の弾が発射されたが、どちらも外れた。
3日後には、パピュスとボワの決闘が行われた。が、またもやボワの乗っている馬車の馬が異変を起こす。馬が暴れて馬車を倒してしまったのだ。それも2回も。
ボワは怪我をした状態で、剣による決闘に望んだ。ちなみにパピュスはフェンシングでは全国大会に出場したことがあるほどの使い手である。勝負はあっさりと終わり、ボワは軽傷で済んだ。この後、二人は互いの勇気と健闘を称えあい、友情の契りを交わした。
こうしてトラブルは収束した。
この時、本当に魔術戦が行われたのであろうか? ボワの馬の異変や銃の不発も、互いの黒魔術のせいなのであろうか? そのことについては、確かな証拠は何も無い。だが、ボワがそう信じていたのは確かであろう。
「性魔術の世界」 フランシス・キング 国書刊行会
「薔薇十字団」 クリストファー・マッキントッシュ 平凡社
「オカルティズム事典」 アンドレ・ナタフ 三交社
「悪魔のいる文学史」 澁澤龍彦 中公文庫