イルミナティ(パヴァリア啓明結社)の興亡

 イルミナティは、フリーメーソンやユダヤ陰謀説と並んで、盛んにいい加減なヨタ話の種にされる秘密結社である。

イルミナティは、「パヴァリア啓明結社(イリュミネ)」とも呼ばれ、急進的な社会改革思想を持ち、徹底した自由と平等を唱え、反キリスト教、反王制を唱え、一種のアナーキズムを主張した。そして、原始共産主義的な共和制国家の樹立を主張した。
 とはいうものの、この結社は創立当初においては、そんなに過激な結社だったわけではない。また、初期においては政治的な色彩も薄かった。
 創立時においては、学者の知的サークル的な色彩が強かったのである。

 実際、シンボルによる人間の意識への働きかけを考察し、キリスト教神秘主義者の立場から、魔術、カバラ、ヘルメス哲学を擁護したカール・エッカルツハウゼンも団員だったが、彼は過激な政治的革命思想には批判的だった。

 イルミナティの創立者のアダム・ヴァイスハウプトは1748年バイエルン王国のインゴルシュタッドで生まれた。
 彼の父親のヨハン・ゲオルグ・ヴァイスハウプトは著名な法学者であり、インゴルシュタッド大学に、わざわざ呼ばれて教授となった。
 というのも、当時のパヴァリアを支配したマクシミリアン3世は進歩的思想の持ち主で、教育改革を行うためにインゴルシュタッド大学に科学アカデミーを創設し、そこの責任者に進歩的なイックシュタッド男爵を任命した。男爵はドイツ中から優秀な学者を呼び集め、大学改革に乗り出したのである。
 彼の父のヨハンは男爵の甥にあたり、法学の硬学として名も通っており、まさにうてつけの人材であった。
 当時のインゴルシュタッド大学は、カソリックのイエズス会系学者たちの支配下にあり、この改革は、旧体制的なイエズス会系の学者たちと摩擦を引き起こした。

 インゴルシュタッド大学がイエズス会の強い支配下にあったがゆえに、アダム・ヴァイスハウプトはイエズス会式の教育を余儀なくされた。彼はイエズス会神学校に学び、インゴルシュタッド大学法学部に入学後もイエズス会系の学者たちから教えを受けた。そこで彼は優秀な成績を納めし、わずか20歳で法学の学位を取り、若干24歳にして教授となった。
 彼は、当然の如く初期に置いてはイエズス会の強い影響下にあった。
 しかし、彼はフランスの啓蒙主義や百科全書派の書を読みふけるようになり、次第に反イエズス会の思想に染まってゆく。
 1773年のクレメンス15世によるイエズス会の解散命令は、一つの契機だった。インゴルシュタッド大学では、この事件は逆にイエズス会系の学者達を団結させ、彼らは非イエズス会の学者達に圧力を加えるようになった。
 そのため、 アダム・ヴァイスハウプトは一時期、大学での講義を禁止され、ミュンヘンに逃げるまでになる。
 彼が自由主義の秘密結社の設立を決心した大きな原因が、このイエズス会による迫害にあったことは、間違いない。
 彼は古代エジプト、ピタゴラス学派、ユダヤ教エッセネ派について研究し、さらにはフリーメーソンにも興味を持った。
 彼は一時期フリーメーソンに入会することも考えたらしいが、実現はしなかった。本来のフリーメーソンでは、ロッジ内での宗教議論や政治議論を禁止していたので、彼の思想とは相容れなかったのである。

 彼の目的は、イエズス会の影響を逃れ、自由な学問追求を目指す学者サークルであった。
 1776年、ついに彼は自分の結社を創立する。「完全可能性主義者の会」である。この同年に「パヴァリア啓明結社(イリュミネ)」と改称する。
 結成初期の団員は、いずれもヴァイスハウプトの弟子や友人たちであった。
 しかし、1778年頃に、多くの市民と下級貴族が大挙入団し、組織は巨大化する。

 初期のイルミナティの位階は単純で、新参入者、ミネルヴァル、ミネルヴァル天啓の3つしかなかった。ミネルヴァル以上に昇進した団員は、「戦士名」を授けられる。それは古代古典に出てくる英雄の名が使われた。
 例えば、創立者のヴァイスハウプトはスパルタクスを名乗り、彼の弟子で幹部のマッセンハウゼンはアヤックス、友人で幹部のツヴァイクはカトーであった。
 参入者は団員の紹介が必要である。そして、「保証人」がつく。保証人は新参入者を観察し、彼が団の規則を守っているか、道徳的に正しい人間であるかを調べ、毎月それを書類にして団の上層部に提出する。また新参入者も、同様に自分の保証人について観察を行い、これを上層部に提出しなければならない。
 要するに「相互監視制度」があった。これは実はイエズス会の真似であり、ヴァイスハウプトは反イエズス会を標榜しながら、その影響を強く受け続けていたのである。
 新参入者からミネルヴァルに昇進するときは、イニシエーションが存在した。ここで彼は上層部の幹部から祝福を受け、「戦士名」を授かった。
 そして、仲間の監視報告の他にも日記の提出が義務付けられた。
 ミネルヴァルからミネルヴァル天啓への昇進は、事務的な人事であり、イニシエーションは無かった。
 そして、下級団員達には、上層幹部のことは絶対に秘密であり、首領の「スパルタクス」の正体を知っているのは、一部の側近達だけだった。
 彼らはしばしば集会を行い、反イエズス会や啓蒙思想の本を回覧したり、情報交換を行った。
 そして、独自の暦を作り、これを用いていた。

 しかし、この組織の運営はやがて行き詰まった。
 団員達がフリーメーソンの方が楽しそうと考え、退会が相次いだからだ。
 ヴァイスハウプトは、これを止めるために、新たにゾロアスター思想に基づいた「火の位階」という新位階を設定したが、焼け石に水。
 そこで彼が考えたのは、フリーメーソン的なものを取り入れるということだ。
 彼はメーソンに忠実な団員を潜入させた。
 彼はベルリンの大ロッジにスパイを送り込み、まんまとロッジの認可証を手にれるや、ミュンヘンのロッジを乗っ取る。
 さらに、アドルフ・ファン・クニッゲ男爵の入団によって、イルミナティは大きく変貌する。
 クニッゲは、もともと高位メーソンであり、フリーメーソンの知識や人脈を豊富に持っていた。そのうえ、思想は啓蒙主義的であり、ヴァイスハウプトと意見があった。
 ヴァイスハウプトは、彼にプィロンという戦士名を与え、側近に加え組織の大改革を実行させる。
 クニッゲは、組織の位階制を13位階以上から構成されるメーソン風の複雑なものに変えた。これは1782年に正式に認可される。
 さらに彼はメーソンの人脈を利用して、ドイツ各地の小ロッジを次々に乗っ取った。貴族、政治家、高級官僚、学者、医者、高位聖職者、軍人等の有力者たちが次々に参入し、確かにこの結社はドイツ全土の政界に馬鹿にできない影響……は持てなかった。
 というのも、あまりに成長が急であったために、組織の統一性が思うように計れなかったのである。
 また、イルミナティの最盛期の会員は600人とも2000人とも言われるが、実はこうした人数は、イルミナティの正式な団員ではなく、彼らの思想に共感したフリーメーソン内のシンパを入れての数であるらしい。

 さらに、この巨大化と共に、イルミナティは政治色を強めてゆく。それも急進的な反王制、反教会的な革命を含んだ政治思想である。そして、イルミナティは次第に政治思想的な秘密結社へと変貌してゆく。
 こうなったそもそもの原因は、イルミナティを巨大化させたクニッゲ男爵によるところが大きい。彼は貴族でありながら、反王制・共和主義者であったのだ。
 とは言うものの、クニッゲは暴力革命には、はっきりと反対の立場を取っていた。
 曰く、本来国家の主権は人民にあるべきなのに、王がその座に居座っている。そして、王は人民を従えるために、他国の人々を憎むように教え(いつの時代も偏狭なナショナリストの考えることは同じということか)野蛮な戦争を起こす
 しかし、国家転覆を目指すようなことは考えない。我々はあらゆる暴力を否定する。暴力的な革命はろくな結果を生まない。我々はゆっくりと、政府の高官や支配階級に団員を送り込み、あるいは彼らを教育して同志とし、ゆっくりと国家を改造する。最終的には「国」は消滅し、戦争の無い、人民が一つの家族となる時代が来よう。
 それには数千年かかるかもしれないが、それでも構わない。
 
 さらに、クニッゲ男爵は、実はこの既存の国々を統一し、一つの国を作るという発想は、当時バラバラだったドイツを統一する程度のニュアンスしかなく、全人類レベルのような大それたことは考えていなかったらしい。
 だが、スケールの大小に関わらず、これは既存の国家政府を否定する革命思想であることには変わりなく、当時の支配者たちからしてみれば危険思想であったことには変わりない。
 言うまでも無く、反イエズス会の態度は、教会をも敵にまわす事になる。

 イルミナティの成長は早かったが、崩壊も早かった。
 1777年にマクシミリアン3世が死去すると、イエズス会が勢いを盛り返した。
 インゴルシュタッド大学でも大規模な反動が起こり、廃止されていた本の検閲と禁書制度が復活した。
 この結果、イルミナティはパヴァリアからの撤退を余儀なくされ、本拠地をワイマールとウイーンに移す。文豪のゲーテ(戦士名はアバリス)が入団したのも、この頃である。
 さらに、ライバル結社との抗争も激化する。フリーメーソンの反撃によってフランクフルト進出に失敗。
 そして、ベルリンにおいては、かの黄金薔薇十字団が最盛期を迎えており、彼らはドイツ皇帝を動かしてイルミナティに圧力を加えた。
 そして、最悪なことに、この大事な時期に、イルミナティ内部で深刻な内部抗争が勃発した。
 首領のヴァイスハウプトは、クニッゲ男爵の影響力が強くなりすぎたことに反発し、男爵から全ての権限を取り上げようとした。当然、男爵はこれに反発し、命令を拒否する。
 そして、この両者の決別が、事実上のイルミナティの崩壊であった。1784年のことである。
 クニッゲ男爵は退団し、その後はあらゆる秘密結社を否定する論者となったしまう。

 とどめは1785年にさされる。まず、「政府の許可無く組織を作ることを禁止する」という禁令である。
 さらに致命的なスキャンダル事件が起こる。
 国立アカデミーの教授でイルミナティ幹部だったヨーゼフ・ウイッツシュナイダーが、密告を行った。
 いわく、イルミナティはオーストリアのヨーゼフ2世と結託し、ドイツを転覆させ、ドイツをオーストリア帝国の支配下に置く陰謀を企んでいる。そのために毒殺や短剣を用いた要人の暗殺を企んでいる。
 政府はイルミナティの調査を命令する。結果、反キリスト教的思想、反王制思想、革命思想が発覚してしまう。
 同年、2回目のイルミナティを名指しで禁止する法令が出される。
 一連の指導者は逮捕され、政府高官は左遷、公職追放。
 さらに、団の文書の中から毒薬調合に関する物が発見される。だが、これには胡散臭さがついてまわる。本当に団は毒薬を使う気があったのか? これは謎である。

 ヴァイスハウプトはレーゲンスブルクに亡命し、イルミナティの弁護の著書を次々に出したが、無駄であった。この頃、彼は私生児を設け、これを堕胎させた。
 これは結果的に赤ん坊殺しのスキャンダルに発展し、終いには「イルミナティでは赤子を生け贄にする黒ミサを行っている」というデマまで生まれた。
 さらに、イルミナティの元団員達が裏切り、あることないことを吹聴してまわる。曰く、イルミナティは毒殺と私刑に満ちた恐怖支配の黒魔術結社であり、テロによる政府転覆を狙う陰謀結社である云々。
 そして、狂信的な反フリーメーソン論者として知られたバリュエル神父やロビンソン教授らが、イルミナティを悪魔崇拝の政治的陰謀結社とする本やパンフを撒き散らした。
 (彼らの撒き散らしたデマを信じる人間が現在もなお居るのは、何ともやりきれない)
 政府も世論も完全にイルミナティの敵となった。主な団員は公職追放され、団員達も退会する。
 オーストリアとワイマールの支部は、その後も何とか存続しようとしたが、1786年に壊滅する。
 イルミナティの寿命は、わずか十年間であった。

 ヴァイスハウプトは、その後も、ほうぼうを亡命しなら著作活動続けたが、ドイツ中部のゴータ公領に逃げ込み、彼の支持者だったエルンスト公爵に庇護され、そこで余生を過ごした。1811年に彼は死去した。

 彼は社会的な平等を唱え、全ての人間は「王(神?)」になることができ、そのためには自己の意志に忠実に生きなければならないとした。なにか妙にクロウリーを思わせる思想である。
 彼の理想は古代の家父長制度による原始共産主義的な社会であり、封建君主や教会制度はそこに至るための過渡的なものと捕らえていた。
 こうした制度を排し、一般大衆に「啓明」を与え、先の原始的なユートピアを作ろうと考えた。
 これは非暴力によって行われなければならないが、どうしようもないときは革命も仕方無いと考えていたふしも否定はできない。
 とはいえ、ヴァイスハウプト自身は、政治活動にはあまり関心がなく、あくまでユートピア建設思想を育むために、団員の徳の向上をはかることがイルミナティ創立の目的であった。

 しかし、団は暴走した。
 やがて、イルミナティの名の一人歩き、暴走はさらに続く。
 かのカリオストロ伯爵がローマで逮捕されたおり、苦し紛れにイルミナティなる国際的巨大な陰謀結社があり、自分はその命令通り動いていただけだ、というホラ話しをする。
 さらに、フランスの外交官ミラボー伯がドイツでスパイ活動を行っていたが、彼はここでイルミナティに入団したらしい。彼はその人脈を政治的にも利用したらしい。
 さらにミラボーは、フランスのフリーメーソンの実力者をイルミナティに入団させようとした。
 そして、ドイツで壊滅状態に陥ったイルミナティの難民としてヨハン・ヨアヒム・クリストフ・ボーデなる男が、ミラボー伯の手引きでフランスに現れる。ミラボーは、彼をフランスのメーソンの顧問的指導者にしようとする。
 当時フランスのフリーメーソンはオカルト色が強かった。ボーデはこれを排そうとする。
 しかし、カバラの替わりに政治思想を、ヘルメスの大作業のかわりに暴力革命を持ち込もうとする彼らの思想ははなはだ不評であった。
 それでも、一部の小ロッジの中には、彼らの影響を受ける者もいたが、やがてそこからはジャコバン党のような連中を生み出し、フランス大革命後の血なまぐさい大混乱のさなか、彼らは多くの人々をギロチンに送り、やがて自分等も自滅してしまうのである。
 また、フランスの各地でも、イルミナティを名乗る結社がいくつか作られた。
 しかし、言うまでも無く、これらの結社は、ヴァイスハウプトの正統なイルミナティとは何の関係も無い。勝手に「イルミナティ」の名を名乗っているだけだった。
 結局、こうしたささやかな団も長続きはできずに消滅した。

 しかし、「イルミナティ」の名前だけは生き残り、創立者のヴァイスハウプトの思想とはかけ離れた怪物化がなされ、今もなお一人歩きを続けているのである。


「秘密結社の事典」 有澤玲著 柏書房
「種村季弘のネオ・ラビリントス3 魔法」 種村季弘著 河出書房新社
「秘密結社」 セルジュ・ユタン 白水社
「オカルティズム事典」 アンドレ・ナタフ 三交社
「薔薇十字団」 クリストファ・マッキントッシュ 平凡社
「薔薇十字団」 ロラン・エディゴフェル 白水社